第11話 あり得ない話

「アルマ、ビースト化を解けよ。その姿でここまで来ただろ。そのうち元の姿に戻れなくなるぞ」


 ヘイトリッドは冷や汗を流し、浅い呼吸であることを悟られないようにリズム感の無い不自然な呼吸をする。

 彼の瞳には赤ずきんに出てくる狼そのものが映っていた。人を丸呑み出来そうなほどの裂けた口に鋭い瞳、ゴワついた毛皮。彼の顔にかかる息は生暖かいものなのだろう。久しぶりになった、私達、獣人族の始まりである姿に……


「その黒フードは口封じされたんだろうよ。アルマも来て上空にはテュランがいる。さらにはこのレッド地区を管轄する第二部隊が騒動を聞いてやって来る。相手はそれに勘付いてもうこの近くにはいねぇはずだ。隊長、ちょびっと頭に血が上りすぎだ」


 ヘイトリッドに返す言葉はなかった。ビースト化は獣人族が獣人の始まりであるケモノに戻ることで、長くその姿でいると元の人の顔や体に戻れなくなる切り札だ。力は倍増する代わりに理性ではなく本能に戻り、ただのケモノになる。

 私は力を抜き、元の姿に戻る。耳と尻尾のみが現れた人の姿に戻るとヘイトリッドはその場でしゃがみ込み、安堵のため息を漏らす。


「たっくよぉ……無駄な心配かけさせんなよ。あのなぁ、無事だったことに喜べよ。俺達はいつだって前線にいるんだぜ? 怪我ぐらいする。冷静キャラは俺じゃなくてお前で良いんだよ」


「すみません」


 ただそれしか言えなかった。テュランから目を離さなければ良かった。私はいつだって遅い。上空にいたテュランを乗せたグリフォンはゆっくりと下降し、テュランが駆け寄る。

 ヘイトリッドの傷はそこまで深くはないが、銃弾が残ったままだ。黒フードが持っていた拳銃には鉛弾が入っていた。早めに抜かなければ……


「おやおや、ハンスくん。部署に書類を散らかし、闇市で盗聴器を買ってそれをテュランくんにつけ、僕のグリフォンに乗ってレッド地区に……何か情報を知り得たら僕に知らせてくださいと言いましたよねハンスくん?」


「え、シェヘラザード!? なんでここいるんだ!?」


「おや、僕がいてはいけませんか?」


 いつの間にか後ろに立っていたシェヘラザードが黒い微笑みを浮かべている。シェヘラザードは細い瞳を開き、私と同じ黄色の瞳を覗かせた。ヘイトリッドの傷をじっと見つめ、懐から透明な液体の入った試験管を取り出し、それを雑にふりかける。


「うわっ! なんすかそれ……」


「これ? んー、僕の涙。義手は……後にして、先に鉛弾を取ろう」


 シェヘラザードはヘイトリッドの左太腿に触れると、傷は塞がっていた。シェヘラザードの手のひらには鉛弾があった。同じエピソーダーだというのに何故か同族には思えない。ある時は火を、ある時は雷を、ある時は強固な壁を、ある時は怪我を治す。これだけ長くいるのに彼のエピソードは誰も知らない。まるで千のエピソードを持っているようだ。


「可愛い女の子じゃなくて、シェヘラザードの涙で命を救われるとか……」


「不満ですか? 黒フードの遺体は第三部隊に任せましたので、ハート夫妻のお部屋を借りるとしよう。もちろん、もう許可はとれてるよ」


 シェヘラザードはまるでこうなることを知っていたかのように冷静に対処し、黙ったままハート夫妻の家へと歩きだした。その時、シェヘラザードからは血の臭いがした。


 ─────────……


 キャロルが案内してくれたのは天井が高く、半透明の巨大シャデリアや赤いソファーに赤い絨毯。白い壁紙にハート型の白い机。白と赤しか存在しない高級部屋となっており、とても落ち着かない。シェヘラザードはハート夫妻に礼を述べ、二人が部屋から出ていくと同時にテュランに話しかける。


「さて、テュランくん。話せることだけ話してくれないか?」


 テュランは申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。


「記憶はないけど、奴ら……英雄ヴォートルの報告書には僕は──────怨毒となって死んだ者みたい」


「人の魂や記憶を他の体に定着させる? そんな事ができるエピソーダーはとっくの昔に死んでるはずだ」


「詳しくは僕も分からない。でも、どうやら実験段階のようで僕は実験動物ラットだったんだよ。白い服の女がいたって言ったでしょ? あの人は恐らく、あちら側じゃない。なにか脅されて仕方なくやってる感じだったよ。僕が目覚めた時、とても悔しそうな顔をしてた」


 テュランの口から出る話はどれも真実なのだろう。だが、信じがたい真実で頭に入ってこない。確かに、一部のエピソーダーは対象者の生前の記憶を違う器に移し変えれる事ができるものがいる。だが、それは何十年も前に怨毒との戦いで死亡したとされている。まさか、新たなエピソーダーが現れ、英雄ヴォートル側についたというのだろうか。


「最初にたまたま本に触れてエピソーダーになったといったよね。あれは嘘なんだ。実は僕よりも前に同じように目覚めた人がいて、無理矢理エピソーダーにしようとしていた。適合しなければ二度目の死が待っていた」


 テュランはそう言い、小さなかぼちゃを作り出す。そのかぼちゃに彫られた顔はとても悲しそうで、悲しげに笑うテュランは哀れなピエロにも見えた。


「僕はたまたま適合し、ストーリアに忍び込んで怨毒の報告書を奪ってくるように言われた。でも、僕は安泰な人生よりも敵は増えるけど安心する人がいる人生を選んだんだ」


 テュランはかぼちゃを消し、能力を発動させた彼はとんがり帽子を深く被る。


「僕は二回も君達に迷惑をかけた。これ以上は迷惑もかけたくないから大人しく君達から離れるよ。疑いのある危険因子はいない方が─────」


「誰もあなたを危険因子なんて思っていませんよ」


「え?」


「私があなたを危険と判断していたならばこんな所に案内しませんし、童話語りもしません。ヘイトリッドはあなたを信じる為にあなたを調べ、その結果、怪我をしてまであなたを守りました。なによりまた童話語りをして欲しいと頼まれましたので」


 目を大きく開け、握っていたとんがり帽子をギュッと更に強く握りしめて深く被る。そして肩を何度か小刻みに揺らした後、歯を見せながら少年らしい笑顔を向ける。


「今更返品は受け付けてないからね!」


「はい。こちらとしても返品するつもりはありません。ようこそ……第五部隊へ」


 ヘイトリッドもやってきてテュランの頭をくしゃくしゃと撫でる。テュランは髪が乱れると怒るが、その顔はとても楽しげだ。初めて、あの子の素の笑顔を見たかもしれない……ピエロが仮面を取ると必ずしも泣いているわけではないということか。



 テュランとヘイトリッドはその後、ジャック・オ・ランタンを作るために外へ出たが私はシェヘラザードのそばにいた。

 ずっと血の臭いがするのだ。全く、動くのは私達だけでいいというのに彼も無茶をするものだ。


「ヘラ、ここに来るまで事務仕事ではなく、怨毒を相手にしてきたよね?」


「あはは……やっぱり鼻が効く狼にはバレちゃうか。でもね、僕はこの通りすぐに元通りさ」


 彼が服を少しめくると、もう傷が塞がりつつある腹部の裂傷だった。確かに、彼は錠人離れした再生力を持っている。ただでさえ命を狙われやすい身だというのに……


「僕を心配してくれるのはありがたいけど、今は英雄ヴォートルに警戒して欲しい。怨毒となった死亡者を蘇らせてるってだけで十分危険だと思うけど、一番怖いのはエピソードである童話を入手していることだ」


「一体、どこで入手してるのだろうか。童話戦争に行われた焚書のせいで残っている童話は数少ないはず……」


「そのはずだった。僕は焚書を免れた全てのエピソードを知っているし、どこに保管しているかも知っている。だけど……」


 ヘラは眉をひそめ、大きくため息をつく。


「『けちんぼジャックとあくま』なんていうエピソードは残っているはずがないんだ。つまり─────あのエピソードは焼かれたはずの童話なんだ」


 全身の毛が逆立ちそうなほどの悪寒が走った。どういう事だ? 消えたはずの童話がなぜここにあるというのだ。童話を創ることは誰にでもできるが、創造神同等の力を込めることは不可能だ。

 だったら一体、テュランの『けちんぼジャックとあくま』はなぜエピソードとして成り立っているのだろうか。


 英雄ヴォートル……お前たちは一体何を目的として動いているんだ。お前たちはなぜ『英雄』と謳っているのだ。

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