第40話 海の囀り

 乙峰姫花、『良識ある区民』という表向きの称号を持った乙峰家の若き当主。しかし、前に起きたウラシマを使用した黒フードの侵入を許し、アルマによると彼女からは黒フードの臭いがしていたという。


 そして、現在はほとんど屋敷から出ず、ボランティア活動もしていないという。もとより、ボランティアと言っても寄付が多く、アウトドアな人間ではないという。


「うーん、どうも裏がありそうだにゃ。アウトドアじゃないにしろ売名行為には手を抜かなさそうな人間にゃ。それが黒フード事件から一転、驚くほどに静かにゃ。この屋敷もなぜか埃っぽい」


「しかも、乙峰家は薬師ばかりが集まってできた薬のエキスパート集団……ウラシマについても関係がありそうね。でも、それ以前に気になるのは──────」


 雪のように白い肌、血のように赤い頬や唇、黒檀の窓枠の木のように黒い髪を持つ女性、ホワイト地区の地区長スノーさん。あまりの美しさにチラチラと刑事が見ている。

 人の気配が薄れた乙峰家は高価な骨董品や肌触りの良い木材を使った光沢のある床や天井。柱は朱色でなんとも気品漂うが、このスノーさんと言ったらお花畑で蝶々を頭に乗せ、動物と会話してそうな人である。なぜこんなにもミスマッチな場所に来ているのだろうか。


「あらあら、わたくしの顔に何かついてらして?」


 茶色の大きな瞳に私が映る。微笑むだけで花が舞っていそうな人……いかん、このままでは士気が下がる。オデットがこの場にいたら凄い顔をしそうだ。


「いえ、ついてませんが、その……なぜスノーさんがここに?」


「そうですわね、乙峰家は何十年も昔から怪しい話は出ていたのですが、いつも調べても何も出てこず歯痒い思いをしていたのよ。それがようやく向こうから尻尾を出してくれたのよ? とても唆りますわ」


 和んでいた空気が一気に冷えていく。なにせその顔は知的な悪役そのもの。エピソーダーではあるが、本人曰く非戦闘向きだと聞いていたが、何故参加するのだろうか。まさか、たかが家宅捜索で乙峰を厳しく尋問、なんてことはないか。


「えーと、あの、まず我々は屋敷内とどこかにある地下室を捜索していこうと思っています」


「地下室ね、元使用人の証言から分かったとは言え、場所が分からないんじゃ意味がないわね。色んな人を呼んでいるのだから匂いで見つかるような仕様なわけがない。おまけに本人は不在」


 本人不在のところを見ると警察側ももう無視できる範囲ではなくなってきたということだろう。スノーさんは相変わらずの微笑み顔で辺りの本棚や花瓶、カーペットなどに躊躇なく触れていく。


「人を呼んではパーティーを開いていたというのに、どれもこれも埃と汚れが少し目立ちますわ。いくら本人不在といえど家の使用人はいるのは当然。それなのに全く見当たりませんねぇ」


「あぁ、それが二、三週間前に突然クビにしたんですよ。それも全員。おかげで乙峰家は綺麗な廃墟となっているんです」


 刑事さんは首を傾げながら答える。確かに不可解な話だ。口封じにしても殺す対象が多いため、一斉にクビにしたというのだろうか? いや、ここの使用人のほとんどは乙峰の世話より屋敷内の掃除がメインだったはず。乙峰の世話役は信頼している者だけで、クビにするなら前者のみだけでいいはずだ。


「うーん、確かにこの屋敷はあまりにも静かで埃もあるにゃ。でも、運が良いことにここにはがいるんだよねぇ?」


 カプリスは得意気に笑い、奥座敷がある場所へと移動する。そして畳をベリベリとはがすと一目で地下室の扉だと分かる銀色に鈍く光る扉があった。暗証番号ではなく、円状の2つのダイヤルに東西南北と書かれたものがあった。

 カプリスは迷うことなくダイヤルを回して、なんと一発で解除してしまった。地下室への扉はゆっくりと開き、中には先の見えない階段が現れた。


「流石カプリスだわ」


「まぁ、僕が見えたビジョンはここまでだけど、当然の事をしたまでだよ。だって、僕はを導く猫だからにゃ」


「その呼び方はやめて? では、刑事さんは屋敷内の調査をお願いします。地下室へは私とカプリスが行きます」


 刑事は納得したのか頷いていたが、スノーさんは何か気に入らないらしいくらい首を傾げる。そして私やカプリスよりも先に地下へと続く階段に足を踏み入れた。その様子はまるで少女が花畑にでも行くかのように軽やかで、何故か体が強張った。


わたくしもエピソーダーですの。それに、獲物を前に逃げるような間抜けな狩人ではないので進みますわ」


「……わかりましたが、戦闘向きではないエピソードですよね? 私は攻守に使えるエピソードですので私の後ろにいてください」


「まぁ! わたくしと同じメルヘンズであるセルバンテスさんが前衛なら頼もしいですわ」


 まるで最初から守られることが分かっていたように振る舞うスノーさんはあどけない少女のように見えて仕方がない。男女問わず魅了されるのは相手の庇護欲に上手く触れるからだろう。抱きつきもせず、握るわけでもなく、ただただ庇護欲に触れるだけ。中途半端にされるから相手は無意識的に彼女に歩み寄ってしまう。憐れにもその愛は届かないというのに……


「流石はシルトの初恋ハンターにゃ」


「もう何年も前の話よ。しかも恋じゃなくて得体の知れない恐怖心だったのよ。これ以上突っ込むのなら首根っこ掴んで放り出すわよ」


 そんなことを言うためだけにやってきたカプリスはニヤニヤしながらスノーさんの後ろに戻る。

 スノーさんが持っていた懐中電灯で暗い階段を降りていく。歩くたびに鳴る靴の音がやけに響いて自然と心拍数が上がっていく。先の見えない恐怖というものに慣れるのは不可能だな。


 会話も無く、長い階段を降りきる。路地裏のように細く暗い道が顔を出した。また懐中電灯で照らさなくちゃならないのか、と思っていると頭上にあった蛍光灯が順番に点いていく。やがて、この細い道が何なのか漂う異臭と点いた灯りで嫌でも分かってしまった。


「これ、は……」


 そこには拍動している青白い肉塊のもの、何かがドロドロに溶けて粘り気のある液体となったなにか、人語を話さずにうめき声を上げる痩せこけた人間、骨と皮だけの瀕死の獣人が檻の中に閉じ込められていた。異臭の正体は腐敗臭と薬品の臭いだった。

 蛍光灯で照らされたそれらは、私達を散大した瞳でこちらを覗く。


 "深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ"


 まさしくこれはそういう状態だ。人として認識出来ず、あのような怪物にはなりたくないという本音がつい漏れそうになる。


「実験体……ですわね。劇薬、麻薬とウラシマを作る過程でこうなったのか、はたまた彼女自身が興味本位で作ったのかは分かりません。確かなのはもう彼らは救えないということ。先を急ぎましょう」


 スノーさんは硬直する私達の肩に触れ、先へと続く牢獄の道を指す。しかし、どうもおかしい。ゴールの見えない道の先に群青の何かがそこにはあった。


「ああああっ!! ううぅ、ああああ!!」


 檻を強く揺らす金属音と瀕死だったはずの喋れる人間や獣人が一斉に断末魔が如く声を荒らげる。その怪物に気を取られた瞬間、群青の何かは気付けば目の前に立っていた。音もなく、ただ静かに……そして不気味なほどの笑みを浮かべて。


「ようこそ竜宮城へ。彼らの舞は美しいでしょう? 彼らの美しい声を自分は海の囀り《さえずり》と呼んでいるのです。お気に召しましたか?」


 群青の着物に、一つに結ばれた黒く長い髪、ハイライトの無い青い瞳は深海のようで見つめるだけで息がし辛い。この男は何を言っているのだ? これらと同じ実験体……にしては小綺麗だ。情報の中ではこんな男は上がってこなかった。


「ふむ、どうやら怖がらせてしまったようですねぇ。久々の入居者……ではなく! お客人でしてね? 名乗るのを忘れていました。自分は浦島太郎うらしまたろう、そしてエピソード『浦島太郎』を持つ、エピソーダーです」



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