第6話 マカレーナ ⑥娼館

 娼館『太陽の娘』はその名に反して、街から太陽の痕跡がすっかり消えた後に店を開ける。

 その夜も十時を越す頃から店内は賑やかになりはじめ、古びたクーラーが役に立たないほどの熱気に包まれていた。

 マカレーナは昼と同じ黒のロングドレスを着て、カウンターに立っていた。背中に並んだグラスがダウンライトを反射するきらきらしい光を横顔に浴び、隣でバーテンダーがカクテルを作るのを物憂げに見つめる。闇に溶けるほど黒い顔のバーテンダーは女のような繊細な仕草だが、よく見るとお仕着せのボーイ服に包まれたその体つきは、本職のレスラーさえ目を逸らすんじゃないかという凶暴な逞しさ。


「マカレーナ、こっち向いてくれよ」

 四杯目のグラスをあおった紳士がマカレーナの手を握る。マカレーナはその手に右手を重ねて微笑んだ。

「どうしたの? あたしはいつだってあんたを見てるじゃない」

「違うんだ、おれだけを見ててほしいんだよ。おれのものになってほしいんだ。きみの目に、他の男が映るのが耐えられないんだ」

「あらら。子供みたいなこと言うのね。だめよ、そんな我儘」

 マカレーナは紳士の頬を撫でて、カウンターからホールへと足を踏み出した。淡い光に照らされ、下界に降臨する女王。


 ホールの客たちの視線が一斉にマカレーナの上へ集まる。花と輝く顔容かんばせ、均整のとれた体を包む漆黒のロングドレス、その切れ上がったスリットから覗くは白い腿。天敵の太陽がいない世界で、美しい花は存分に甘い毒を放った。

 歩きだしてすぐのテーブルにいた客から声がかかるが、マカレーナは適当にあしらいながらそのままホールを横切る。


 だが三歩も進まないうちに思いつめた顔の男が立ち塞がった。

「金ならあるんだ。ほら」

 と鞄を開いて見せた札束を一瞥し、マカレーナはすぐ口を閉じさせる。男をたしなめる口調は、まるで親身な姉のよう。

「こんなところで開けちゃっていいの? どこで手に入れたんだかは聞かないけれど、命と引き換えに掴んだんでしょ? 大事にしなよ」


「ああ、こんなもの」男はふたたび鞄を開けて、ひと束掴むとマカレーナの前に差し出した。「マカレーナのためなら、惜しくない」


 差し出された札束をマカレーナは無感動に眺めて、そこから一枚だけ抜き取った。表裏を透かして見たあと、バーテンダーに渡す。

「カクテル作ってちょうだい。どんなだっていいわ、このひとの奢り」

 手近のスツールに腰かけて、頬杖ついたうえに乗せた首を斜めに傾げ、客を見つめる。

「お金であたしを落とすつもり? 鞄全部でも足りないわよ。身を滅ぼす前に、忠告しといてあげる」


 そんなときマカレーナの眸は少女のようになって、真っ直ぐ男へ向けられる。

 その眸の魔力に捕らえられて男は我知らずマカレーナに顔を近づけた。夢でも見るような恍惚の表情。だが唇に触れようとする男の唇を人差し指で押さえて、駄々っ子をあやすようにマカレーナは笑った。

「だめよ。いい子だから、あたしの忠告聞いときなさい」

 相手の男は一回りも齢上だが、こんなときマカレーナの前ではだれもが初心うぶな少年に戻る。

 横からバーテンダーが一言、「今日のマカレーナは優しいな」

「うふん」途端に澄ました仮面をかぶるマカレーナ。苦笑いでバーテンダーを睨む。「余計なこと言わないの。ナボはおとなしくお酒作ってなさいよ」


 ナボと呼ばれた、二メートル近くの長身にしなやかな黒い筋肉をよろうたバーテンダーは、もし夜のストリートで出会ったら決してケンカしたくない相手だ。だが店では彼は、柔和な笑顔で白い歯を唇の下から覗かせ、

「へいへい」

 とおとなしく従う。

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