第54話 アロンソ ②女たち

 翌る日。

 マリオは級友たちと課外活動のフットボール教室へ行った。いつも彼にくっついてるアンジェリカも一緒だ。アナマリーアとレメディオスは、部屋に籠ってレポートを書くのだと言っている。

 今日はガブリエルを独占できる日だ。

 ……筈だったのだが。



 ダニエリが扉を開けると、そこは色香溢れる女の園だった。


 陽気にさんざめく笑い声、甘く酸っぱい女の匂い。肌も露わな美女たちはけんを競い、ときに戯れにいだきあい、互いの香水を試す合間にチョコレートには手を伸ばし――かしましい嬌声で部屋をいっぱいにしていた。それは娼館のなかの一室で繰りひろげられる情景としては、なんらおかしくはなかった。ただ一点、その部屋の主が居候の青年であることを除いて。


「ねえねえ」とガブリエルの顎を撫でるのはアンドレイア。「ちょっと息抜きしない? このクッキー、甘くておいしーよ?」

「気をつけなよ、この子にかかっちゃ、息抜きのつもりが体力消耗の大仕事になるからねえ。一回や二回じゃ満足してくれないんだもん」

 と婀娜あだな笑みで注意するのがウルスラ。

 勝手にベッドに寝そべって、上目遣いに誘うのがタシアニ。

「うちに晩ごはん食べに来なよ。シチュー作ったから分けてあげる」



 ダニエリは頭を抱えた。

 みんな色気が、無駄にあり余っているのだ。

 娼館が店の門をざしてからもうひと月近く、女たちは馴染みの客相手に個人営業を細々と続けているぐらいで、そのせかえる色香は行先を失っていた。

「要は、暇なのよ」とウルスラ。

 色香が発散できる場をようやく探り当てたとでもいうように、ガブリエルを発見した女たちは暇さえあれば部屋に寄ってからかっている。



 女たちに囲まれた真ん中でガブリエルは、ノートを広げながら今日も独習していた。

「んもう、勉強なんてやめてさ、あたしたちと遊ぼーよ?」


 こりゃ駄目だ。やっぱりあたしが、がつんとひとこと言ってやらないと――

 ダニエリがすうっと息を吸ったとき、

「ほらー! あんたたち、帰った帰った! こっからガビは、ダニーのものよ」とダニエリのうしろから大声出して女たちを追いたてにかかるのは、扉に立つマカレーナ。

「邪魔するなんて野暮ってもんよ。ねえ、ダニー?」

「……あんた、からかってんでしょ?」



 呆れ声で応じながらダニエリは――かなわない、と思った。

 マカレーナがあらわれると、あたりは一段と輝きを増す。彼女の身からあふれる香気が女の濃度を一気に高めて、飽和した色香が結晶にこごってガブリエルやダニエリの上に降り落ちてくるよう。

 部屋着のシャツにショートパンツというなんの飾り気もない格好なのに、ひとり眩しく見えるのが不思議だった。



 嫉妬とも羨望ともつかない、いままで感じたことのない感情にとまどって、ダニエリは八つ当たり気味にアンドレイアの背中を叩いた。

「男に飢えてるんだったら、マリオにでもコナかければ?」


「そんなムキになんないの」たしなめるアレクサンドラと、

「えー? そんなこと言ったらほんとにヤっちゃうよ? マリオに手ぇ出してもいいの?」悪びれなく笑って返すアンドレイア。



 嬌声をあげているところへちょうど、

「ここにマリオ来てない?」と声がした。

 振り返ると、そこにいたのはマリオの母のアナローサ。

 未婚のまま十代でマリオを産んだあと娼館に流れてきたアナローサは、としを重ねるにつれ艶麗を増して、三十を手前にその容色はいまを盛りと咲きほこる。


 マリオの父親は反政府軍に参加するといって飛び出したままようとして行方が知れない。内戦が終わったら結婚しようと言った男の約束をいまも信じて、アナローサは生死不明の男の帰りを待っていた。


 それはいいのだが。

 目下の問題は、彼女の衣装。客を悩殺するためのキャミソールはピンクのシースルー。その下には、なにも着けていない乳房が豊満に揺れている。


「あんたまで、なんて格好してんのよ?」

 ダニエリの悩みは尽きないのだった。



  ***



 金曜日の午後、マカレーナたちは港に停泊する高速艇の上にいた。総勢、五人。つき従うのはダニエリとアナマリーア、ガブリエルに、ナボだ。



 船上の客たちは皆リゾートを前に、心を浮き立たせて騒いでいた。若い男女連れが前を通りしなに話す会話が耳に入る。

「やきが回ったな、『自警団』も。がっかりだぜ」

 女はあわてて声を落として、まわりへ視線をやった。

「ちょっと、気をつけてよね。声っきいよ」

 ビールとリゾート気分と、彼女の前で気が大きくなったのか男は忠告を気にも留めない。

「遠慮なんか要るもんか。なあーに、これからはフアンの時代さ。アロンソは、おれたちを裏切った」


 目をまるくして、彼らを見送るガブリエル。

「おどろいた。アロンソって、人気なんだな」

「あんた耳おかしいの? 『裏切った』『がっかり』、ってあいつ言ったのよ」

 鼻でわらったマカレーナへ、真面目な顔でガブリエルが返す。

「だからさ。信じて、好きだったから、裏切られたって思ったんだろ?」

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