第97話 カリブの波間 ⑧女客
「いいのか? 警察に真っ向ケンカ売ることになるぜ?」
エリベルトが言うと、他の幹部たちも渋い顔でそれぞれの思惑を胸に描いた。
まさに陽が落ちようとするばかりの港街。倉庫に併設された事務所に集まった幹部たちは、光あるうちにと貨物の積み下ろし作業を急ぐ機械音を遠く聞きながら、目下の課題への対処を議論している。
「逆だ。あっちが喧嘩売ってきやがるんだよ。こっちは共存しようってサインを送ってるってのに。まったくあの喰えねえ野郎は――」
そうフアンに評されたクロエは、たしかにまったく妥協しなかった。
組織犯罪課の峻烈な取り締まりに、フアンの
「あいつに弱味がありゃあな。そこから脅しをかけるって手もあるんだが」
「家族は絶縁してるし、恋人もいねえときた。あーゆーの、落とすのは面倒なんだ」
「だろ? やっぱり邪魔なんだよ」
「惜しいな……いい女なのに」
ぼそっと洩らしたパブロの言葉に、
「え? お前あんなのがいーのか? きっつい性格してンぜ? お前Mだっけ?」
「てめーが言うか? それ言ったらマカレーナはどうなんだよ。あの女の方がよっぽどきついじゃねーか」
「へえ、あの女がねえ。ま、健闘を祈るぜ、成就はしねえと思うけどな。カルテルと警察ときたら、水と油だ」
にやにや笑うフアンに、パブロが声を荒げる。
「いい女ってだけしか言ってねーだろ。べつに成就もなんもねえ」
「仕方ねえ。じゃ、クロエを殺すのはナシだ。どうにか別の手で奴を黙らせるとすっか」
「てめえ、聞けよ!」
「しかし、どうする? エリベルト、ちょっと一肌脱いで、いい作戦考えてやってくれよ」
脅しには屈しない、懐柔には乗らない、となれば対カルテル捜査から退場してもらうしかない。だが――
「殺さねえとなると……あー、めんどくせえなあ」
残る手段は、失脚させること。ただし口で言うほど簡単ではない。州警察内ならばフアンもある程度影響力を行使できるが、クロエは連邦警察から派遣されていた。彼女の進退は州警察だけで決められるものではなかった。
「スキャンダルでもあればな」
真面目な顔で言うエリベルトに、フアンも頷いた。
「もうちょい身辺を洗え。いざとなりゃでっち上げもありだ」
***
その夜、店が開いて間もなく入ってきた客の姿に、ひとの疎らなホールには困惑の空気が流れた。
客が妙齢の女だったからだ。
明確な決まりはないものの、『太陽の娘』ではふつう女客は受け付けていない。セキュリティを兼ねる門番を非難の目で見たマカレーナに、門番は肩をすくめて返した。
どうしても止められなかったのだろう。その理由もだいたい見当がつく。あーあと天を仰いで、しぶしぶマカレーナは女客のテーブルへと向かった。
「こんなところへなんの用? お客? それとも転職希望かしらん?」
甘い棘を含んだ声に、クロエが顔を上げた。その整った貌だちを台無しにする相変わらずの仏頂面で、それに劣らず不愛想な声を返す。
「飲食代ぐらいは払うさ。なら、客だろ?」
ホール全体を見わたせる位置を選んでいたクロエは、ソファからゆっくりと視線を巡らせた。
まだ夜が始まったばかりの店は静かで、客も女もごく
クロエは視線をホールからマカレーナに戻して尋ねた。
「指名、できるの?」
「するのは自由よ。受けるかどうかは女の子たち次第だけど」
「じゃあマカレーナ、貴女相手してよ。受けてくださる?」
意外なほどやわらかい声を出すクロエをまじまじ見たあと、
「よろこんで。とことんつきあってあげる」
すぐにテーブルへやってきたガブリエルに、
「ドライマティーニ」とクロエは注文したあと、「貴女は?」とマカレーナに問いかけた。
「ナボにお任せ」
「アルコールは軽めにしてもらうよ」とガブリエル。
「はいはい。もう潰れたりなんかしないわよ、心配性なんだから」
マカレーナに追い払われカウンターへと戻っていくボーイの後ろ姿を、クロエが意味ありげな目で見送りながら言った。
「へえ。噂はほんとだったんだ」
「なによ」
「あの坊や、貴女の恋人になったんだって? おめでと」
「はァ? どっから聞いたのよそんなこと」
「ゴシップも立派な捜査対象になるんだ。安心していいよ、まだそんなに噂は広がっちゃいないから。……ゴシップついでに訊くけど、フアンの愛人なんだろ? 二股かけてるんだ? どっちが本命?」
くすりともせず冷ややかに訊くクロエに、マカレーナもすまして返した。
「娼婦に本命なんて
そのときグラスを載せた盆を手にガブリエルがテーブルへ近づいてくるのが目に映って、一瞬会話が途切れた。ふたりが黙って見守るなかカクテルを並べるガブリエルを指差し、
「こんな男の、なにがいいの?」と唐突にクロエが問うた。
「え? なんのこと?」
ガブリエルは話についていけない。ふたりを交互に見比べて、
「あー! きみ、警察のお姉さん!」
と急におおきな声を上げるのには、マカレーナまでが渋い顔になる。なにズレたこと言ってんだ、と呆れるクロエだがそれを口にする気も起こらない。
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