第98話 カリブの波間 ⑨発覚
「なに? ふたりって、友達だったの?」
うれしそうに訊いてくるガブリエルを、マカレーナは邪険に追い払った。カウンターへ戻っていくうしろ姿を見送って、
「……あんたに理解してもらおうとは思わないけど。あの子のあーゆーとこがいいのよ」
と気乗りしない声で言った。
「で? そんな話しに来たんじゃないんでしょ? とっとと本題に入りなさいよ」クロエに正面から向き直って。「ここんとこ、フアンを攻めてるらしいじゃない。言ってたわよ、虻みたいにしつこくって、蜘蛛みたいに陰険だって」
「それは光栄。奴らに嫌われるようでなきゃ、仕事してるとは言えないからな」
クロエは鼻で嗤う。
「あんた、そんなじゃそのうち殺されちゃうわよ。気をつけなさいね」
「心配してくれるんだ? でも、気をつけるべきなのは、私より貴女。狂犬のフアンがいながらよそに恋人つくるなんて、危なっかしいったらないね」
「ふふふん、それこそ要らぬ心配よ。あたしがだれと仲よくなろうが、そんなの文句言わせない。たとえフアンにだってね」
「ああそれと、ダニエリ――って言ったっけ」
ふっと出てきた名前に、マカレーナが反応した。
「なんであの子の名が出るのよ?」
「そんな恐い顔しないで」クロエはしらじらしく応じる。「たまたまさ。今日、署内で見かけたなって思い出しただけ。貴女の妹分なんだ? あの
「あんたには関係ないわ。あの子に関わらないで」
噛み殺しそうな顔して思わず襟をつかんだマカレーナの手を、クロエは易々と捻りかえした。
「暴力反対」手首を極めて、顔を歪めるマカレーナの耳許へ囁いた。「むしろ感謝してほしいね。一晩留置場にぶち込むって息巻いてたホセを説得したのは私」
その日の午後、警察からのコールを受けたのは、ナボの携帯だった。
「なんであんたにかかってくるのよ」
ナボから報告を受けたマカレーナは不満顔で言ったが、それはつまりダニーが保護者としてマカレーナじゃなくおれを選んだってことなんだろうなあ、とナボがけろっと答えるからますます心を苛立たせて、ガブリエルの面会に行って以来の警察署へ向かったのだった。
警察からの連絡の内容は、ダニエリがそこに保護されていること、保護者が迎えに来れば帰してもらえること、そして――保護の理由が売春だということ。
この国では買春自体は違法ではないが、未成年の少女が相手となれば話は別だ。相手の男は逮捕されたのだという。
頭のなかを真っ白にして着いた警察署内の一室には、憎たらしく嘲笑うホセと、反省の色などひとつも見せずにそっぽを向いて座るダニエリがいた。
その頬を平手で叩いた手応えと、部屋のすみずみまで響いた乾いた音が、いまもまだマカレーナの手と耳に冷たく残っている。
「いつからよ? どうして? ダニーあんた、こんな……自分を
たしかそんなことを言ったのだった。隣で勝ち誇った顔するホセに醜態を晒すことを気にもかけずに。
「……マカレーナだけだよ、知らなかったのは。ずっと体売ってたわ」
ダニエリは目を合わせず、冷たく言った。
***
「そう。ホセがあっさり帰してくれたのは、あんたのおかげってわけ」
テーブルのうえでカクテルが氷を融かしていくのを見つめながら、呟いた。
もっとも、マカレーナが言うほどあっさりと帰してくれたわけではない。厭味ったらしい説教をさんざんかましてもまったく反撃して来ないマカレーナに拍子抜けしてホセは、むしろがっかりした様子でふたりを解放したのだった。
「ダニエリちゃん、気づいたんだろうね……貴女と坊やとの関係」
クロエの言葉にぎくっと顔を上げて、しばらく睨んだあとちいさく、「まさか」とだけ吐き出した。
「なんで『まさか』? 恋する女なら、好きな男がだれを見てるか感づかないわけないだろ。あの子が坊やに恋い焦がれてること知ってるくせに。ダニエリちゃんが売春なんてしたのも、それが原因なんじゃないのか?」
「ガビには言わないで」
警察からの帰り道、ずっと黙りこくっていたダニエリがようやくしぼり出した一言が、それだった。
「ガビには知られたくないの」
うっかり本音を洩らしてしまったダニエリは、もうなにも取り繕おうとせず、堰を切ったように止まらなくなった涙をぼろぼろ落とした。
――あのときダニーは、ガビとあたしのことを知っていた? そうだとしたら、あのときあの子は、どんな思いで涙を流したんだろう。
「そんなわけないわ」
昼の追想を断ち切って、傲然とマカレーナは言った。自身に言い聞かせるように。「ダニーには特別内緒にしてるんだから」
「そう思いたければ、好きにすればいいさ。噂どおりの我儘女王だな」
クロエがおそらく今日初めての、愉快そうな笑みを見せた。
「カルテルの領袖を手玉にとって、可愛い妹分の恋を奪って」冷たく笑って、眸の奥を覗きこんだ。「わるい女だ」
冷たい眸のクロエを、マカレーナは燃えるような眸で睨みかえした。だがその眸の炎が焼くのはクロエではなく、マカレーナ自身だ。数秒睨んだあと、唇を歪めて言った。
「そうよ。あたしそんな女なの。なんにも恐くなんかないわ」
バッグから携帯をとり出し、「見てなさいよ」という目でクロエを熱く見据えながらディスプレイに指を走らせた。
「フアン? ひとつ頼まれてよ。週末にどこか行きたいの、ガビとふたりでね。いいとこ見つくろって、ホテルとってちょうだい。……そうね、海がいいわ。あんまり流行ってないとこ。人目を避けるの、だって、んふふ。愛の逃避行だもん」
ひときわ陽気に、艶を帯びた声で電話を終えると、挑戦的な眸でクロエに向き直った。
「……意地っ張りめ」
そうよ、あたしはこんな女なの。行くとこまで行かなきゃ気が済まないんだわ。
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