第18話 ガブリエル ⑥登校

「ありがとう、助かったよ」

 さっきダニエリに思いきり「ばか」と罵倒されたのも耳を素通りしたのか、ガブリエルはただ素直に感謝を述べた。ダニエリはすまし顔で答える。

「気にしないでいーよ。あんた、この街の人じゃないね」

「ああ、わかる?」自分の姿を見下ろして、「みんなと同じ格好してるつもりなんだけどな。服、それっぽくない?」

 ダニエリは噴き出した。口の中のコーラが足下の敷石に散るついでに、ガブリエルのやたらかしこまったズボンにかかる。もちろんそんなことダニエリは気にしない。

「それで同じ格好? あんたね、見た目も行動も、ぜんぶ田舎者丸出しなの! それじゃあ、奴らに狙ってくれって言ってるようなもんよ」


 そう諭すダニエリは、ライムグリーンのキャミソールにデニムのショートパンツ。惜しげなくつき出されたももが、はちきれそうに揺れている。露わになったなめらかなウェスト、可愛くくぼんだおへそまでが陽の光を浴びている。

 常夏の陽の下ダニエリは、街の少女らしく輝いていた。

 そんな十六の少女が偉そうに諭すのを、ガブリエルはおとなしく聞いている。


「あ。もう時間じゃないの?」

 街の真ん中に立つ時計塔を見上げてダニエリが言うと、ガブリエルもあわてて安物の腕時計を見る。

「ほんとだ。もう行かねえと」

 このあと州立大学の授業に出ると、さっきダニエリに話したばかりだった。


「さ、立って。途中まで一緒に行ってあげるよ。ひとりで歩かせるとあんた危なそう」

「助かるよ。口は悪いけど、いい子なんだな」

「口が悪いは余計」


 先に立ったダニエリが手を貸して、ベンチからガブリエルを引っ張り上げてやる。元漁師の体は少女の想定したよりも重くて、思わずふらつくのをガブリエルが支えた。間近で目を見合わせ、笑った。つまらない日常が淡く色づいた気がした。

 天は高く、陽に輝く雲は白く、並んで歩きだす道は人びとで満ちていた。

「あたし、ダニエリ。あんた、なんて言うの?」

「ガブリエルだ。長いから、みんなはガビって呼ぶけどね」

「そう、ガビ。じゃ、あたしのことはダニーでいいや」



 大学は、公園からほんの十分程度の距離にある。観光コースから外れたその坂道には、進むにつれ学生らしき若者たちの姿以外はほとんど見かけなくなってきた。

 ふたり並んで、ゆっくり歩きながら道々でいろいろ話した。幼馴染のこと、姉のような保護者のこと、この街のこと、学校のこと。

「そういやダニー、学校は?」

「えへへー。サボっちゃった」舌を出すダニエリに、

「だめじゃねえか。せっかく学校に行けるんだから、行かねえと」

 ガブリエルはさっと顔色を変えて、強い口調で言った。びっくりして思わずダニエリが見つめ返すと、真剣な顔で見下ろしている。

「そうだ、いまからでも遅くない。おれがついてってやるから、これから学校行きな」

 あー、また余計なお節介。そう思うが、なぜだかうれしい。

「いーよ、なに言ってんの。ガビこそ授業、遅刻しそうなんでしょ?」

「でも」

「心配しないで、あんた送り届けたら、あたしも学校行くから」



 大学の正門の前で、「学校行けよ、絶対だぞ」と念を押すガブリエルと別れて、ダニエリは本当に学校へ足を向けた。この六年、何度も辞めると言ったけれどマカレーナが授業料を支払い続けるおかげでまだ籍は残っている学校へ。


 久しぶりに授業に出てやるか。気取ったな連中ばっかしの、退屈な教室だけど。あ、でも、教科書もノートもなんにも持ってきてないや。


 立ち止まってすこし考えたあと、青い空に背中を押されるように決心した。


 まあいいや、アナに貸してもらお。


 近頃にない晴れやかな気分で、ダニエリは歩きだした。



  ***



「今日学校行ったんだって?」

 幼いアンジェリカと店のグラスを並べて遊んでいると、いつの間にか降りてきたマカレーナに背中から声をかけられた。

 まだ薄手の無地キャミソールのまま、化粧もしていないマカレーナは、それでも白く輝く素肌がダニエリさえもうっとりさせる。


「ん、たまたま。気が向いたから」

「もお、えらーい! ぎゅってしてあげる」

 抱きついて頬をすりよせてくるマカレーナを面倒そうに押しのけて、

「酔ってんの? まだ店も始まってないのに」

 と冷たく返すと、マカレーナは拗ねた顔をして見せた。

「ちぇー。つまんない、むかしはよろこんでくれたくせにー」

 そう言って、代わりにアンジェリカを抱きあげると、アンジェリカは目を細めてきゃっきゃと声を上げた。

「うっわ! なにこの子、お肌もちもち」


 指で頬をつつくたびに嬌声を上げるアンジェリカ。

「……あんた、なにしに来たの?」

「息抜きに決まってんじゃん」

 そう言ってまたアンジェリカと戯れる普段着のマカレーナが、男たちにかしずかれる美しい夜の女王よりもずっと好きだ。

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