第17話 ガブリエル ⑤ボーイミーツガール

 旧市街、車両の進入は禁じられた大通りの中央に設けられた小さな公園。せわしなく歩行者たちが往来する通りからそこだけ切り離されたかのように、ゆったりした時間が流れている。大木の木陰に四台だけ置かれたベンチはいつも、歩き疲れた観光客や散歩中の市民で埋められていた。


 そのベンチの一つから、路地裏の四人の様子を覗き見ている少女がいた。ダニエリだ。

 四台のベンチのうち三台は、二組の若者たちと、孫娘を連れた老夫婦で占められていた。ひとつ残ったベンチにダニエリは、コーラとポテト片手に腰かけて、大通りを急ぎ足で過ぎる人びとをさしたる感興もなしに眺めていたのだった。


 十六歳のダニエリが、なぜ平日昼間にひとりで公園にいるのかと人は訝しむかもしれない。

 たしかにダニエリは、マカレーナが無理に押し込んだ学校の生徒ではあった。だが、もう二週間も教室へは顔を出していなかった。更に言うと、二週間前はほんの三日ほど授業を受けただけで、その前となると一カ月ばかり前に、無理やりアナマリーアに手を引かれて進級試験を受けに行ったぐらい。

 つまりは気儘な不登校児なのだ。


 この時間、おなどしのアナマリーアや年少のレメディオスたちは学校に行っているし、店の姐さんたちは朝まで働いて、昼はだいたい寝ているか部屋に籠ってやすんでいる。アパートのなかにダニエリの遊ぶ相手はいなかった。

 だが、ここは常夏の港町、昼のあいだをアパートの部屋に籠りきるにはダニエリは若く、健康的に過ぎた。太陽が頭上に昇りきる前には、大きくデフォルメされた女体の落書きに彩られたアパートを飛び出し、観光客に混じって旧市街を歩き回るのが此頃このごろの日課になっている。



 ベンチに腰かけたときから、ダニエリは路地裏の三人の様子に気づいていた。

 Tシャツとパーカーの若者ふたりには見覚えがある。以前見たのもあの路地裏だった。いかにも気の弱そうな中年男にからんで金を巻き上げていた、ごく平凡なチンピラ。もういい年齢だがどこかの組織に属してプロになろうってほどの気概を見せるでもなく、命の賭かるリスクの少ないケチな路上強盗をしているんだろう。

 特に興味もなく、テレビのCMでも見る程度の淡い好奇心で眺めていると、横から学生らしい男が割り込んだ――。

 何のつもりか、チンピラたちに話しかけている。仕事を邪魔しようとでもいうのか? 無益なことを……。案の定チンピラたちは学生を相手にせず、老人から鞄を取り上げた。


 はい、一件落着。の、はずだった。


 もう仕事は片づけたつもりのチンピラたちに、まだ学生がなにか言っている。言うだけでなく、腕を取って鞄を取り返そうとさえしている。

 ――あーあ、くっだんないお節介しちゃって。

 ダニエリは冷笑した。だがめずらしい演目に、知らずと唇は緩んでいる。


 学生の介入は、この街では滑稽だった。

 街で毎日のように見かけるごくごく普通の恐喝には、警察もいちいち取り合わない。住み慣れた住人なら、鉢合わせたところで知らぬ顔して素通りするのがこの街の流儀。運悪く自身が遭遇すれば、おとなしく端下金はしたがねを渡してさっさとサヨナラするのが一番だ。そもそも、チンピラに狙われるような隙を見せた間抜けな爺さんが悪い。


 しばらくチンピラたちの様子を見ていたダニエリの目は、いつの間にか学生の行動に惹きつけられている。

 いい加減に払いのけようとするチンピラたちから、学生は離れる気配がなかった。チンピラの面倒そうな仕草が可笑しい。そのうち強く押されて学生が倒れた。浮浪者たちの小便や食べ残しなんかで汚れた路上に尻もちをつく学生に、思わず小さく声をあげて笑った。


 怪訝な顔して見てくる向かいのベンチの大学生たち。手元のポテトは、気がつけばもう尽きていた。くしゃっと袋を丸めてポケットにつっこみ、無遠慮な好奇の視線を無視してダニエリは席を立った。足の向く先は、もちろんくだんの現場。ダニエリはわくわくしていた。この先なにが起こるのやら。


 路地裏でふたたび立ち上がった学生は激昂するでもなく、だが懲りもせずまたチンピラたちに話しかけている。

 ――あり得ない、あの反応! なんなのあいつ。

 ダニエリは口許に笑みを浮かべながらさらに近づいた――。


 チンピラが銃を取り出し学生へと向けたのが、ちょうどそのときだった。

「うるせえっ!」と荒げた声ももう届く距離。さすがにこの騒ぎに周りが気づかないはずはないが、街行く連中はみな見ぬふりで、大通りを過ぎていく。

 銃は小型のリボルバー。国じゅうに出回っている粗悪品なら命中精度は高くない筈。とはいえ、さすがに目と鼻の先の学生がまとでは、余程でないと外さないだろう。

 学生は馬鹿なのか命知らずなのか、その銃に向かって手を伸ばそうとしている。チンピラが引きがねをじりじりと絞った。



「止めときなよ、殺すと面倒じゃん」

 脇から聞こえてきたその声の方へ、チンピラと学生が同時に目を向けた。視線の重なる先ではダニエリが、灰色の壁に凭れかかっていた。ふり向いた彼らの顔を見返せば、命の危険に晒されているはずの学生よりもむしろチンピラの表情の方がテンパっている。ほんのちょっとしたはずみで銃は火を噴くだろう。


「さすがに警察も動くしさ。そんなリスク冒すより別のカモ探した方が、いんじゃない?」

 ダニエリの言葉に、チンピラふたりも熱くなっていたことに気づいた。顔を見合わせて、鞄から手を離した。銃をおろすと、あわてて反対側へと走って行った。

 その姿が消えるのを見届けるとダニエリは学生の方を向いた。

「あんた、ばか? わざわざこんなことに首つっこむなんてさ」

 つづいて、大事そうに鞄を受け取る爺さんに。

「そんであんたも! とっとと金わたしてしまいなよ、命より大事ってこたないだろうに!」


 路上生活者たちの生活の痕跡が匂う小汚い路地裏。そこがガブリエルとダニエリの初めて会った場所。

 大通りを行く人びとの喧騒が波のように聞こえた。頭上の狭い青空から届く光が、ふたりを照らしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る