第70話 州警察 ⑥面会

 反論しようとしてダニエリは、言葉を見つけることができずに口を噤んだ。


「いまは大事なときだ。アロンソの勢力とマーケットを飲み込んで組織を飛躍させるか、足元をすくわれて全てを失うかの、分かれ道の上に立ってンだよ。警察と正面切ってケンカしろなんて願いは聞けねえな。愚の骨頂だ」

 立ち上がると腰に巻いていたバスタオルを落として、真裸でダニエリのすぐ横に置いてあった下着をとる。ダニエリの目の前でまだ半ば勃ったままの男根が揺れた。

「きゃああぁぁっっ」

 悲鳴を上げて目を逸らすダニエリ。

「なんだ? 男を知らねえわけじゃあるめえし」

 むくれた顔するダニエリを不思議そうに見下ろすフアンは、自分の配下のひとりが端下金はしたがねを代価にこの少女と寝ていることを知っている。



「あら、もうヤんないの?」

 さっさと服を着るフアンに、窓から顔を半分出して煙草を吸っていたマカレーナが煙草を外に抛り捨てて問う。さっきから変わらずシャツにショーツだけの軽装でいるマカレーナの弱い肌を、窓から差しこむ常夏の陽の光がちりちりと焼いていた。

 逆光のなか立つマカレーナは、周囲に女の匂いをまき散らしていた。その匂いはダニエリまでをくらくらさせるが、今日のフアンにはそうでもなかったらしい。

「気分じゃねーな。今日は帰るわ」

 糊の効いたYシャツをズボンの下に折り込んで、フアンはドアに手をかけた。

「とにかく。あいつを警察から奪おうなんてのは、無理な話だ。諦めておとなしく帰りを待っとけ。死にやしねえさ」



 結局その日、ガブリエルは署内に設置された留置所に留め置かれたまま、一夜を過ごした。その情報はフアン配下のナサニエルを通して、翌る朝マカレーナの許へ伝えらえた。



  ***



 二日目の取り調べも一方的な内容に終始して、真実を追求する気があるのか怪しい訊問を、刑事ふたりは涼しい顔でつづけた。

 午を過ぎ訊くこともなくなっただろうという頃、取調室にあらわれた警官が刑事と二三ことばを交わしたあと、ガブリエルを外へ連れ出した。

「どこ行くの? そろそろ帰してくれるとうれしいんだけどな」

 廊下を並んで歩く警官に訊いても、当然答えはない。



 連れていかれた先、扉を開いた向こうにいたのはダニエリとマカレーナだ。

 ガブリエルを見るとダニエリが飛びついてきた――が、アクリルガラスに阻まれて触れることはできない。

 ガラス越しに手を伸ばす先の、ガブリエルの顔は青く腫れあがっていた。


「顔、やられたの? 痛い? ごめんね、あたしのせいで」

「なんでダニーのせいなの? そんなわけないだろ」

 不思議そうに、笑顔で返すガブリエル。隣に控える制服の警官に目をやって、無表情に見返す警官へも笑顔を見せた。

「なんか誤解されてるみたいだけど、そのうち誤解も解けるさ。……なるべく早く解いてほしいけどね。もうずいぶん授業に出てないからさ」


 市場で襲撃を受けて娼館のアパートに匿われて以来、ずっとガブリエルは大学に行けないでいる。昨日は二週間ぶりに授業に出るはずのところを、警察に身柄を拘束されたために、大学への復帰はまた先延ばしされてしまった。


「ほんとにごめん。……あたしたち、出会わなければよかったね」

 目に涙を浮かべるダニエリに、ガブリエルは笑顔のまま答えた。

「なんでさ。ダニーのおかげで、この街の生活が楽しくなったのに。警察に捕まるのだって、こんな経験めったにできないし、おれは楽しんでるよ」

 その言葉にダニエリは顔を上げ、笑顔をつくったが拍子に目からは涙が零れ落ちた。ダニエリに代わってマカレーナが言葉を継ぐ。

「甘く見てたら、痛い目に遭うわよ。気をつけなさい。奴らのほんとの狙いはフアンだけど、難癖つけて、あんたも有罪にされちゃうかもよ。弁護士つけさせるから、詳しいことはそいつと相談して。それから――」と小さな袋を掲げて、「着替え持ってきたわ。長丁場になるかもしんないからね」

「また女物じゃないだろな?」

「さあね。開けてみてのお楽しみ」

 ウインクするマカレーナ。



  ***



 三日目、この日も夕方にダニエリとマカレーナは面会に来た。

「もう少しの辛抱よ」

 別れ際マカレーナはそう言った。

 同じ日の昼間、フアンのよこした弁護士が接見に来ている。ただ、弁護士が入ったところで釈放されるわけではない。気休めだとダニエリは思ったが、ガブリエルは素直に笑って応じた。



「傷が増えてたね」

 警察署を出てダニエリがぼそっと言うと、「わかってる」とマカレーナが応えた。

そのまましばらくふたりとも黙ってタクシー乗り場を目指し、その手前に来たところでダニエリがまた口を開いた。

「どうにかならないの? ガビがかわいそう」

「あと一週間もしたら出してくれるらしいけどね」

「フアンが言ってるんでしょ? 当てになんないわ。だいたい、七日のあいだになにかあったらどうすんのよ」

「なにかって?」

「だから、とんでもないなにか」


「ふうーむ……」マカレーナはすこし考えこんで、「いざとなったら、あたしがどうにかするわ。任せときな」

 芝居がかった仕草で親指をぐっと突き立てるマカレーナを、ダニエリはおどろいた目で見た。

「……どうやって?」

「うふふん。あたしのためなら命張ろうって男も、けっこういるのよ。それに……警察のなかにもね」

 マカレーナは悪い笑顔をつくって見せる。

「あたしも手伝う!」

 つられて笑ったダニエリがまっすぐ目を見て言うと、

「いい子だね、ダニー」

 マカレーナは顔をほころばせて、おでこをダニエリにぶつけた。

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