罪の女の歌を歌おう、コカ畑の木陰で、カリブの波間で
久里 琳
第1話 マカレーナ ①濡れ衣
赤道直下の太陽が、広場の砂をじりじりと焼いている――そんな土曜の昼下がり。
カリブ海から届く潮風が、昼食後の
その心地よいまどろみを破ったのは、少女の悲鳴だった。
なにごとかと声の聞こえてきた広場へ目をやれば、ふたりの少女が巨漢の男に腕を捩じ上げられている。
「おとなしくしろ、こら! キャンキャン吠えんじゃねぇ。覚悟しろよ、たっぷり絞め上げてやるからな!」
呆気にとられる店主たちの視線を無視して男は、少女の方を見もせず荒々しく手を引っ張った。痩せっぽちの少女ふたりは必死に抗うも、大柄な男の力の前に為す術なく引きずられていく。よく見れば男が身に着けているのは、だらしなく着崩れた警察の制服。
引っ立てられていく少女のひとりは、名をダニエリ。さっきからしきりと身を
もうひとりは、アナマリーア。明るい栗色の髪を短く刈って、愛嬌のある丸い目に、いつも笑っているのがお似合いのえくぼを両端に宿した唇。それが今は痛みと恥ずかしさで、うつむけた顔を赤くしている。
下を向いたまま、ともに引っ立てられている幼馴染の横顔をそっと見ると、ダニエリの真っ直ぐ伸びた
不安げに見つめるアナマリーアに気づくと、「心配無用」と言うように笑って返して見せる。すうっと息を吸う音が聞こえた。
「アナに触んないで! どうせあんた、濡れ衣かぶせて変なことしようってのが目的のくせに!」
おだやかでない言葉に、視線が集まるのが分かる。ダニエリは臆することなく、胸を張って挑戦的に周囲を見回した。
「じゃあ、このバッグに入っているのはなんだ?」
警官が肩から素早く取り上げたバッグから、リンゴが数個、転がり落ちた。目を逸らすアナマリーア、勝ち誇った目でふたりを見下ろす警官。
だがダニエリは平然と言った。
「買ったのよ。文句ある?」
「ああ? 見え透いた嘘だ。じゃ、どこで買ったのか、言ってみろ」
警官の訊問を無視してダニエリは続ける。目の前の警官よりも周りの野次馬に聞かせるように。
「こんないたいけな少女を捕まえて、どうするつもり? あたしで遊びたいってんなら、ちゃんとお金払ってよ。前払いだからね!」
「あそぶ、だとぉ……?」
巨漢の警官が汗だくになった顔に血を上らせるのを見、ここぞと声を一段大きくするダニエリ。
「だってそうじゃない。くっだんない難癖つけて、とどのつまりはねぐらに連れ込んでイイコトしよってんでしょ? タダはいやよ」
まわりからこぼれる失笑に、顔をこれ以上ないほど赤くして警官は太いだみ声を上げる。
「からかってんじゃねえ! もう許さねえからな!」
警官は怒りの顔で、その巨体をダニエリの上にかぶせるように睨みつけた。少女たち二人を足した分以上もありそうな大質量は、どうしても少女に威圧感を与える。強気でいたダニエリも思わず怯んで、うしろのアナマリーアの手を握った。
口を噤んだダニエリに満足して、警官はその腕をふたたび掴んだ。ふたりを促し歩きだそうとしたそのとき――
「待ちなよ、ホセ」
うしろからアナマリーアの空いた右手をとって、女が呼び止めた。
「うちの子たちを乱暴に引っ張ったりなんかして、どういうつもりよ?」
「マカレーナ!」
振り向いたアナマリーアがうれしげに声を上げる。
少女ふたりを庇うように警官に対峙したのは、真っ黒なドレスに全身を包んだ女。
手と脚をすっぽりくるむ、長くタイトな袖と裾。
やはり黒色の帽子を、夏の陽差しを忌避する風情で目深くかぶる。帽子から垂れる黒いヴェールの奥にはあでやかな薔薇の頬。背には豊かな銀の髪を垂らして、三つ編みに編んだ横髪が頬にかかる。その三つ編みを思わせぶりにいじる右手に着けたレースの手袋も黒、その指先へ視線を落とす眸は
ヴェールの上からさえ見てとれる、息を呑むほどの美しい姿。
カリブの海の泡からいま生れ出たかのように、妖しく眩い輝きをその身に纏う。
女は、自分たちを注視する視線に気づくや、笑みを帯びた碧の眸で艶然と周囲を見回した。
貌から、
男たちから一斉にため息が洩れた。
「汚い手で、いつまで触ってるつもり? 早く離しなさいよ。まさか、ロリコン?」
男も女もうっとりと見惚れるなか、マカレーナと呼ばれた女は妖艶に笑った。
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