第2話 マカレーナ ②女王

 土曜の市場は、午餐ひるどきを過ぎたあともずっと客足が絶えない。たいした目当てがあるわけでもなく漫ろに歩く買い物客たちがふと人だかりを見かければ、なにがあるかとつい覗いてしまうもの。だがほんの軽い気持ちで覗いたつもりが、真ん中に立つ女を目にすると誰もが見惚れてそこから動けなくなった。


 すぐに広がる人の輪の、無数の視線の向かう先――その中心に、マカレーナと少女たちはいた。アナマリーアは顔をうつむけダニエリのうしろに隠れるが、ダニエリは幼馴染を背に匿いながら、自身は意地になって顔を野次馬どもへと真っ直ぐ向けている。


 そしてマカレーナは――まるで女王だった。絡みつく熱い視線を当然と受け止め、それでいて誰にも彼女の尊厳を犯すことを許さず、美しく胸を張っていた。

 自由で、猛々しく、気高い女王。臣民たちを暴風のなかへ放り込んでおいて平気な顔で笑う、残酷でなにものにも囚われることのない女王。彼女の眸に射すくめられた者はみな、雷光に撃たれその足下にひれ伏さないわけにいかなかった。

 マカレーナは、危険な孤高の花だった。その花は毒と棘とを隠しもせずに、できようものなら触れてみるがいいと挑発していた。



 マカレーナの燃えるような眸に、ホセはやや気圧される。だがすぐに気を取り直し、居丈高な大声で言った。

かばいだてするか? お前も同罪にしてやるぞ!」

 志操が堅いのか鈍感なのか、この警官は女王の威風と妖艶とを前にしても、ひれ伏すことも魅惑されることもないようだ。

「へええ? どんな罪なんだい?」

 からかう口調でマカレーナ。

「説明が必要か? 見ろ、泥棒だ。市場でリンゴを盗みやがった。叩けばいくらでも余罪が出てくるだろうぜ」


 ホセの言うのを途中からは相手にしないで、リンゴを手にマカレーナはダニエリたちの方へ向き直った。

「ダニー、あんたほんとに盗んだの?」

「やってないよ、濡れ衣だ! あたしたち、店でちゃんと買ったもん!」

 ダニエリは真剣な顔でうったえる。アナマリーアは黙ったままだ。

「そう。いい子だ」ダニエリの頭をぐしゃっと撫でて、警官へ向き直る。「盗んでないってさ」

「そんな言い逃れ、通じると思ってるのか?」

「だって本人がこう言うんだもの。無垢の子供が言うことは信じてやんないとねえ」

 涼しい顔のマカレーナに、周りからは同調する声が届く。マカレーナに魅せられた野次馬どもはどうやら、すっかり女たちの味方になっているようだ。ホセはますます激昂した。


「無垢だと? 春をひさぐ売女ばいたのくせに!」

「あらら。そう言うあんただって、なんだか見覚えあるんだけどねえ。あたしの店に来てくれたんじゃなかったかい、売女目当てにさ?」

 嘲るような笑顔で目を細めて、女王は大男の顎を撫でた。

「ひ、人違いだ……っ!」

「そんな言い逃れ、通じると思ってるの?」

 にっこり笑ってマカレーナ。ホセの顔を流れる汗が、いっそう量を増す。


「でも、残念ねえ。うちにはもう来ないのね? 売女が汚らわしいってんなら警察の面々は来ちゃだめよねえ。あんたたちのボスの、署長様にももう会えないのかしらん。じゃ、あんたからよろしく伝えておいて」

「いや、おれはただ……」

「ただ、なあに?」

 あくまで笑顔のマカレーナ。たじたじになるホセに、野次馬どもは爆笑と喝采。ホセは周りをぐるっと見まわし、凶暴な犬の目で睨みつけると一呼吸おいて、冷静を取り戻した。

「……いい根性だ。おれを愚弄しようってんだな? 警察を敵に回して、ただで済むと思うなよ」


「あんたこそ、あたしが誰だか知ってんでしょうね?」

 マカレーナも笑みを収めた。その表情は、先ほどまでの嘲弄も影を潜めて、どこか憂いに沈むよう。

「……まずいですよ」

 横から囁く同僚の警官に、

「分かってる」と低声こごえで応えて、ホセは憎々しげにマカレーナを睨んだ。


 その視線の先でマカレーナは帽子を深くかぶり直して、広場の白い砂の照り返す光さえ眩しげに、ヴェールで顔を覆おうとしている。しばらく雲のなかに隠れていた太陽が、ふたたび地上を灼きはじめたのだ。

 代わりに市場の人びとの目に潤いを与えていた女王の玉容はヴェールの奥へと隠れた。彼女は夜を生きる女王、本来昼の陽の下には姿を現さないものだ。そして夜の女王は、光に背を向け闇の社会を牛耳ろうという男の盟友だった。


 その男の名は、フアン・カルロス・ペイロ・デ・バウチスタ。この街の裏社会に身を置く者のなかに、いまや彼の名を知らぬ者はいない。

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