第14話 ガブリエル ②友誼
「最初はいけ好かねえ野郎だと思ったんだよ」
そう言う通り、ガブリエルとの出会いはホセにとって実に忌々しいものだった。
頭からビールをかけたマカレーナが捨て台詞を吐いて去ったとき、後を追おうとしたホセをガブリエルが止めたのだ。
「どけ!」
行く手を塞ぐガブリエルを荒々しく押しのけ先へ進もうとするのを、ガブリエルは後ろから腕を掴んで止めた。だが怒りに狂ったホセは止まらない。掴まれた瞬間ホセは引く手に逆らわず相手に体を寄せると、キレよく足を払って倒した。
石畳の上に背中から落ちたガブリエルを放ってまたマカレーナを追おうとしたところを、今度は足首を取られた。苛だった目を向けると、ガブリエルは間抜けな笑顔でホセを見上げている。
「やめとけよ、やっぱりあんたは強すぎる」
海風の凪いだ、うんざりする暑さの午後だった。青年のやわらかい黒髪から流れ落ちる汗が太陽を映していた。見下ろすホセの顔の上にもいつの間にか噴き出した汗がビールと混じっている。
派手に背中を打ちつけられた男は青息吐息と見えるのに、足首を掴む力だけは強かった。どうあっても手を離さない青年に逆上してホセは、思わず空いた左足で力任せに腹を蹴る。倒れているガブリエルに、抵抗する術はなかった――いや。
本当は、ホセを掴む手を離して防御に回せば身を守ることはできた筈だった。だがこの青年は、女を守るためなら自分の身などなんでもないというかのように頑なに、あくまでホセの足首に執着した。どれだけ蹴ろうと手を離さない。
怒りに任せて容赦なく蹴りつづけるうち、酔いのまわったホセの方が先に音を上げた。足をもつれさせ石畳に倒れこむ巨漢の、鈍い音が響いた。
「こいつ、いい加減……離しやがれ!」
息を喘がせ言うホセに、さんざん腹を痛めつけられたガブリエルも苦しい息の下から答える。
「もう、追うのはやめた?」
青年の答えに、ホセは毒気を抜かれた。もはやその心中は、怒りより呆れ果てたという方が近い。
「……お前なんなんだよ。普通じゃねえよ、見ず知らずの女を守ってそこまでする奴」
石畳の上に座り込んだまま吐き捨てた。こめかみの辺りを指で押えると、酔った頭がぐるぐると回る。
「普通だよ。目の前でか弱い女が痛めつけられてりゃ、ふつう助けるだろ?」
「か弱い? あいつが?」
ホセは思わず天に向け大口を開いた。その拍子に、今のいままでどす黒い憎しみに濁っていた胸の奥まで、新しい空気が通った気がした。
「お前はとんだ間抜け野郎だぜ。その目は節穴か? あの女は、マカレーナ。この街で一番の毒婦だ」
ホセは気を取り直して立ち上がった。服についた砂を払い落し、石畳の上に寝転がったままのガブリエルを見下ろすと、青年はいつまでも起き上がれないでいる。
「ほら」
手を差し出し、椅子に座らせてやった。気を利かせた店主がふたりにミネラルウォーターのボトルを持ってきた。ふたりとも汗と砂まみれだ。
先ほどまでの不機嫌はどこかへ行って、そのときホセの心中には、女たちへの醜い怒りは残っていなかった。どろどろした感情の
「飲み直しだ。お前もつき合えよ、いいな? おかげで酔いが醒めちまった」
答えも聞かずに手を上げると店主にジョッキを二杯注文する。
「醒めたんならもう飲まなきゃいいのに」
言いながら、ガブリエルもビールを断らなかった。ジョッキを鳴らして、ひと口に飲み干す。
「その格好、学生だな? どこの田舎から出てきたんだ?」
「プエルト・ベッラ。知らないだろ? 小っさな漁村だよ。生きてくには漁師になるか、村を出るかしかない、そんな村だ」
二十一歳になったばかりのガブリエルは、笑うとどこかまだあどけない。
「海には出てたんだろ、その肌」と陽に焼けた顔を指して、「でも漁師にはならなかったのか」
「舟は、兄貴が受け継ぐんだ。貧しい村で、貧しい家だ。舟ひとつで兄弟ふたりは養えねえからな。まだ下に妹もいるし」
自分と同じだ、とホセは思った。ホセの両親は小さな農園を経営していたが、四人の兄弟で分け合うには小さすぎる。上の兄が跡を継いで、他の三人は今はそれぞれ独立している。
残酷な太陽の照りつける下、刈っても刈っても懲りずに蔓を伸ばす生命力旺盛な雑草たちと格闘した日々が懐かしく思い出された。森の奥に棲む二足の獣の啼き声が聞こえた気がした。
「だが、街で生きてくってのも楽じゃねえぜ。お前みてえな奴は、いいように利用されて、野垂れ死ぬってのがこの街の定番だ」
「ありがとう。心配してくれて」
またあどけない笑顔で言うガブリエルを思わず見直した。
「心配? してねえよ」
この街で生きていくにはあまりにもお人好しだ――だが不思議と軽蔑も嫌悪もなかった。酒の代金をテーブルに置いて立つ。
「お前、なんて名だ?」
「ガブリエル」
「覚えとく。おれはホセだ」
ガブリエルと別れたあともしばらく、ホセの顔には笑顔が浮かんでいた。
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