第43話 フアン ④反攻

 娼館の前で三人を降ろしたあと、リムジンは隠れ家の一つへ向かった。旧市街から出、新市街も抜け、リゾートホテルの並ぶ海岸沿いを走る。


 ビーチでは裕福な婦人たちが揃いも揃って、浜辺に打ち上げられた白鯨のような肉体を太陽の下に並べているのが見えた。その間を縫って給仕するのは、見目よく白シャツを着た浅黒い肌の少年たち。

 風の出てきた海は波を立て、白い光を眩しく煌めかせている。



「フアン。あの女はあんたの急所だ。足を掬われねーよう頼むぜ」

 助手席から振り向いて言ったのはパブロ。組織を立ち上げた当初からフアンを支える右腕の忠告を、フアンはうるさそうに聞いた。

「分かってら。いちいち言うんじゃねー。おめーはおんか」


 ふいっと窓の外へ顔を向け吐き出すフアンの不機嫌も、パブロは意に介さない。その横顔へ向け畳みかけた。

「今日だって、あんたまで出てくるこたなかったんだ。おれたちの大将はあんただってこと、忘れねーでくれよ? 応戦すんのもいーけどよ、車から顔出しやがって……危うくあんたが殺されるとこだった。肝を冷やしたぜ」

「分かってる、っつってんだろ?」

「……もう言わねーよ。で? まだ籠っとくのか? みんなあんたの一声を待ってんだ」


 パブロの言葉に、フアンは視線を海から車内へ戻した。正面に向けた眸は、目の前の部下の姿を透かして遥か先を睨むかのようで、得体が知れない。やがて、焦れた目で見るパブロに気づくと、ふっと片頬を上げた。


「潜伏はもう止めだ。おめーら、かくれんぼも飽きただろ? 存分に暴れさせてやンぜ」


「いいのか?」

 パブロの問いは、もう潜ってなくてよいのか、だ。


 フアンが地下に潜ったのは、我が身可愛さに敵から逃げるためではない。

 相手がどれだけ強大だろうと、目の前の敵から尻尾を巻いて退散するような身の処し方から、フアンは最も遠かった。だが一方で、計算高くもある。いっときのプライドのために勝算のない戦争に突入するのは愚か。ナルシストの蛮勇なぞ犬に喰わせてしまえ、とフアンは吐き捨てる。


 好きに生きたいならば戦わなければならない。戦う以上は勝たなければならない。


 それがフアンの人生哲学であり、羅針盤だった。狂犬と呼ばれ見境なく喧嘩を売って周囲に恐慌を巻き起こす男でありながら、同時にフアンは最後の勝利のためには一時の撤退も屈辱も躊躇なく受け容れた。


「ああ。反撃開始だ」

 煙草に火を点け、シートに背中を預けて深く吸い込むフアン。

「たしかに、マカレーナを攫おうってのは、おれの急所を衝くって点じゃあ正解だ。だが――」

 目を閉じ、ゆっくり煙を吐き出す。

「だが、今回奴らは二つ失敗ミスを犯した」

 そう言うフアンの唇は、なにかよこしまな愉しみを見つけたように、冷酷な笑みを浮かべている。


「一つは、メキシコ野郎どもに加担させたこと。もう一つはガキを巻き込んだことだ。奴らにでっけえ代償を払わせてやる」




 地下に潜っている間の工作と、今日の敵失。反攻の条件は整った、とフアンは見たのだ。


 地下に潜っている間、フアンはB市のカルテル『MB』と連絡を取り合っていた。

 カリブ地域最大の人口を擁しこの国の首都でもあるB市。富と文化と頽廃の都を拠点とする『MB』は、アロンソの『自警団』とは長年敵対関係にあった。一方フアンとは互いに縄張りを侵すことなく時々は仕事も融通し合って、良好な関係を築いている。

 「敵の敵は味方」というわけだ。


 今回アロンソに助っ人を寄越したのはメキシコを拠点に各国を跨いで暗躍する巨大カルテルの末端組織。いかに武闘派で鳴らすフアンでも、まともに戦えば勝負にならない。

 そこでフアンは首都の『MB』を動かし、メキシコの動きを封じる作戦に出た。連中としても、メキシコのギャングどもがこの国で幅を利かすのは面白くない話だ。義にせよ利にせよ、フアンの要請に応える理は十分あった。



「今日応戦してみて、どう思った?」

「メキシコ野郎ども、思ったほどのもんじゃなかったな」

 パブロの答えに、「だろ?」とフアンはうなずく。



 『MB』にフアンが頼んだのは、彼らの政治力を活かしての国境封鎖だ。出入国管理と通関にまで及んだ組織の網をフル活用して、メキシコからの便はなんだろうと厳しく監視させた。

 じゃの道はへび。密輸も密入出国も、普段いつもはあらゆる手練手管で監視官の目を欺く彼らだ。抜け道を知り尽くした者ならではの着眼で、メキシコから来るものは、人なら刺客らしき者、物ならば武器らしき物の入りを徹底的に抑え込んだ。



「奴らは補給がままならねえ。今なら戦えるぜ」

 短くなった煙草を窓の外へ抛り捨て、フアンは凄みの効いた笑みを見せる。

「それでもまだ、俺たちよりゃずっと人も装備も多いけどな」

「ふん、なんてこたねえさ」両足を上げフアンはリムジンのシートに仰向けになった。車の天井を睨んで言う。「相手がデカい方が燃えるってもんだろ?」

「ああ……あんたはケツのデカい女が好みだったな」

「白くて丸けりゃ最高だ」

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