第61話 アロンソ ⑨ユートピア

 わずかな人数で踏みとどまった『自警団』の戦いようは、内戦中に特殊部隊で鳴らしたフアン配下の男たちにとってはまるきり他愛ない抵抗だった。


「ど素人じゃねーか」

「あんなのでよく内戦を生き残れたもんだな?」せせら笑って、隣のレナートに目をやる。

「ま、兵隊ったって、大半はあんなもんさ」

 そう答えるレナートは、フアンとともに特殊部隊で過ごした四年の間に二度死にかけ、二度ともフアンに救われている。


「じゃ、一発本物の凄みを見せてやるとすっか」

 トラックから銃弾の応酬のなかへ飛び出そうとするフアンの肩を押さえて、

「大将はここにいてくれよ。あんたを前線に出したら、あとでパブロに殺されっちまう」

「あぁ? どこまでおれの愉しみを邪魔しやがんだ、あの野郎」

 レナートの襟を掴んで忌々いまいましげに吐き捨てたフアンの周囲を、弾が空を切って通り過ぎる。前に立っていた男が血を噴いてよろめき、痙攣しながら荷台の上に崩れ落ちた。

 それでも『旅団』の精鋭どもは仲間のしかばねを無言で乗り越え、車の陰から応戦する敵へと向かう。敵の撃つ銃弾は大型の盾に弾き返され、男たちの歩みを止めるには足りない。


「頼むぜボス、最前線はおれたちに任せてくれよ」

 子供をなだめるようなレナートに舌打ちして突き放すと、幌を撥ね上げた荷台の上から戦いの様子を見下ろした。


 だが最初は不興を隠さなかったその表情も、前方で展開される戦闘を見守るうち緩みはじめて、荷台の上を左右に行ったり来たりしながら、そのうち鼻唄を口ずさみ、鼻唄に合わせて踊るように体をひねって、ときどき気まぐれに敵へと狙いをつけて撃った。



 次第に向こうからの反撃は弱々しくなっていく。断末魔の喘ぎのように銃声はだんだんと途切れがちになって、最後の一発が赤くなりだした空に響くと、影の長くなった山道を沈黙が覆った。


「……終わりか?」

 トラックの荷台の上で、傾きかけた陽光を背に受けフアンは両手をゆっくりおろしてダンスをやめる。その肩に手を置いてレナートが言った。

「終わりだよ。よく我慢してくれたな。さ、急ごうぜ、ボス。丘の上でアロンソが待ってる」



  ***



「その服、結局脱がないのね」

「あたりまえ」

 朝からマカレーナはデッキチェアに寝そべったまま、一度として海水に触れていない。首から足先まで肌を隠した黒いドレスを脱ぐこともなかった。

 カリブのビーチにそぐわない異様な装束は遠目にも人びとの興味を惹いたが、まして近くから彼女の貌をひとたび覗き見た者は――もう目が離せなくなってしまう。一日じゅうマカレーナは男たちの熱い視線を浴びていた。

 ドレスの下には一応濃紺の水着を着けてはいるが、太陽光に弱いマカレーナがドレスを脱いで肌を陽に晒すとは、ほとんど考えられなかった。


「いけずだねえ。周りの男ども、ずっと期待してたってのに」

「へっへーんだ」チェアの上に起き上がると黒いドレスの襟を掻きあわせ、「見せてやんない」

 そう言って、粘っこい視線を送る男たちへ舌を見せた。



 傾いた陽が、海を黄金色に染めていた。

 ガブリエルはまだ海で泳いでいた。凪いだ海が夕陽を照り返す波間に、浮輪につかまったダニエリが見える。

「好きねえ」

 マカレーナが呆れて笑った。



  ***



 道を塞いでいたトラックを崖下に落とし、フアンたち一行がふたたび山道をアロンソの邸へと進みはじめたとき。陽はここでも傾いて、海の照り返す光は金色に輝いていた。


「もう見えるぜ、フアン」

「ああ、わかってる。通い慣れた道だ」

 アロンソの広大な邸が視界の端に入ると声を上げるレナートに、フアンは顔を上げず応えた。かつてアロンソに仕えていたとき何度も通った道。

 まだ駆け出しだったフアンにアロンソは目をかけて、たびたび呼び出しては仕事のアドバイスついでに旨い飯を食わせてくれた。世界中にコカインの害毒をばらまいておきながらいまだにユートピアを希求するような妙に理想主義的な考えは理解できなかったが、その魂を焦がすような情熱は嫌いではなかった。




「知ってるか? ユートピアってのはな」

 こうアロンソが切りだしたのはもう十五年も前の話だ。息子に諭すようなアロンソの額には、夕陽が射していた。

「どこにもねえ国って意味なんだ」

「それがどうしたってんだ? あんたの話はいつも雲をつかむようで、っともわかンねーよ」


 フアンはまだ二十歳を幾つも越えていなかった。そうでなくとも、十二を境に学校へ通うのをやめたフアンにとって、いつもアロンソの話は腹の足しにならない御託ごたくと聞こえたものだ。

 アロンソは、フアンが理解しているかどうかなど、どうでもいいようだった。それとも、いずれ判るときが来ればいいとでも思っていたのか。



「結局のところ」とアロンソはつづけた。「異教徒が考え出した夢想さ。奴らは、この世の理想を提示しといて、そんなものは実在しねえと否定しやがったのさ。ひでえもんだろ?」



 海からの湿った熱風がやたら体にまとわりついて、ふたりとも汗でシャツの色が変わるほどだった。

「奴らが否定するから、おれが作ってやるのさ、この街に」

「この街が? クスリまみれのユートピアだな」

 そう返したフアンに、アロンソは自嘲するように笑った。

「言ったろ? ほんとのユートピアなんざ、どこにもねえ。クスリも盗みも売りも殺しも、クソみてえなこの世からなくなりはしねえさ。だから自己満足のユートピアさ、それでいいんだ」

 それからフアンの目の奥を覗いて、つづけた。

「忘れるなよ。おれたちは、この街にユートピアを作ってるんだ。お前もその一員なんだぜ」




「ユートピア、か」

「なんだって?」

「なんでもねえ」

 顔を上げた。体が覚えている、ここが邸の門の前だ。だが、見えたのは門ではなく、トレーラーが三台。それも先刻承知だ。ずっとエリベルトから映像が送られてきていた通り。ここを破らなければ、アロンソには届かない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る