第60話 アロンソ ⑧ガードレール

 ビーチのマダムたちが物憂げに砂を払い、ホテルのロビーで新聞でも読んでいるだろう夫の元へと戻る頃。旧市街をまわる観光客も足の疲れを感じだし、二大カルテルの抗争に息を詰めていた貧民街スラムの人びとも日々の営みに帰るだろう。

 傾きかけた太陽は、それでもまだ眩しさを失わず街とビーチとを照らしていた。同じ太陽が山の上ではアロンソの邸が立つ丘全体に陰影を与えていた。


 車を連ねて山道を登っていたフアンたちは、カーブにさしかかったところで立ち止まらざるを得なかった。行くを一台のトラックが塞いでいたのだ。

 ブレーキ音を聞いて途端にフアンの機嫌は悪くなる。


「あぁ? あんなトラック気にすンじゃねー。ケツから突っ込んで昇天させてやれ」

「無茶言わねーでくれ。やりあったら昇天させるどころか、こっちが先にイっちまうぜ?」

 ドライバーが言うが、フアンは聞きわけない。

「こんなとこで立ち往生する気は、おれはねえんだよっ!」

「うぉわ、銃口向けんのはナシだぜ、フアン。わかったから、行くから、そいつはけてくれって」

 あわてて前を向いて、ドライバーはアクセルを踏んだ。



 車二台すれ違うのがぎりぎりの、細い山道。左は岩肌、右は崖。崖側にある頼りないガードレールを突き破ってしまえば、あとは崖を転落するばかりだ。

 その山道を塞いだモスグリーンのトラックは運転席をガードレールにぶつけて、布の幌を掛けた荷台は斜めに道を塞ぎ、尻を剥き出しになった崖の岩肌へ向けている。

 ガードレールの先には、崖下から生えた樹々の枝が覗いていた。そこへ突っ込んで左前輪を空回りさせている運転席はまるで見晴らしのいい展望台だ。新旧の市街地にコンテナ船の停泊する港湾、ビーチ、その先には水平線と空とが溶けあった海が鮮やかに見えることだろう。


 崖になったガードレールの側を通るルートはあり得ない。一方、山側の壁とトラックの荷台の間はバイク一台通り抜けるのさえ心許ない。

 まして車が通り抜ける隙間などなかった。

 だが、フアンが突っこめと言うのなら、運を天に任せて突っこむのみだ。



 バンがトラックの横っ腹へ向けスピードを上げると、荷台の幌から無数の銃口が顔を出した。続いて轟く乱射音、飛び散る火花。マシンガンから排出された薬莢カートリッジがバラバラと、道路を転がりそのまま崖下、奈落の底へと落ちていく。

 バンの強化ガラスはすぐ亀裂ひびだらけになって、その上から次々と銃弾が叩く。フアンはまだ一発も撃たずに、シートに体を沈めて目だけがやたらと輝いている。足下から鉄の塊を二個掴んだ。なにも前が見えないなかドライバーは勘でハンドルを左へ切った。


 絶頂のスコールのようにいよいようるさくなる銃声を、タイヤの軋む音がかき消した。

 ちょうどマシンガンの銃口を掠めるようにバンがトラックと並行して止まる。

 口を開けていた後部座席の窓からフアンが手を出した。ピン、と澄んだ金属音がする。

「ご褒美だ、受け取れ」

 落ち着いた声で言うと、手にした鉄のボールをトラックの幌の中へ、優雅に抛りこんだ。


 二秒後、あたりをつんざく爆発音。荷台から迸るのは閃光と爆風。

 その爆風を、体をシートに倒してやり過ごしたフアンが身を起こしたとき、トラックの荷台の上には数人の男たちの影があった。男たちは足下に横たわる者どもをさっと見わたし――炸裂した無数の破片を受け多くは息絶えていたが、なかにはまだ苦悶の呻き声を上げる者もいた――まだ息ある者へ、非情のとどめを刺していった。




「さあ、続け」

 フアンが促すと、先行部隊が制圧したトラックの荷台のうえへ、次々と手練てだれのギャングたちが上がる。

 彼らはみな、フアンとともに内戦を戦った強兵つわものどもだ。荷台に上がったと思うとすぐ、トラックの反対側にいる『自警団』の連中をマシンガンで薙ぎ倒していった。



 乾いた連発の銃声に、やや低音のマシンガンと、断続的にショットガンの太い音が応じる。狂ったように吐き出されつづける薬莢の金属音に、香ばしい硝煙の匂い。

 戦況優位と見てとると、フアンも幌に手をかけ颯爽と、荷台の上へ飛び乗った。軽いステップで向こう側へと進み出ると幌を半分からげて、必死に応戦する敵を眺めわたす。

 トラックで隔てられた道の山の側にはまだ、『自警団』の車が数台踏みとどまって、マシンガンを無茶苦茶に乱射していた。

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