第82話 コカ畑 ⑥山荘

 町を出てすぐ、舗装された道は途切れた。さっきフアンが言った通り、山道を行く四駆はその巨体を揺すりながらスピードを落とすことなく進む。

「ひどい道。どうにかなんないの?」

 上下左右とおおきく体を揺すぶられドアの把手とってにつかまるマカレーナがうったえるが、フアンは平気な顔だ。

「言ったろ?」

「これじゃ歩いた方がマシだわ」

「歩かねーくせに」

 それからうしろへ向けて、

「よぉガビ、おめーは平気か? ちょっとこいつの面倒みてやってくれよ」

 話を振られたガブリエルは、ときおり視界が開けた先に見える下界の景色にほうけて見入っている。波のうえの舟に慣れた海の男は、車の揺れをなんとも感じなかった。



 その後も思い出したように文句をつけるマカレーナを適当にあしらううち、急にまた整備された道に入って、その一時間後には大きな山荘の前に着いていた。

 人里離れた山中には似つかわしくない、新しい造りの山荘の前には既に、四台の車が停まっている。さらに、裏の開けた草っぱらにはヘリが一台。

 なかに入ると、出迎えたのはパブロとレナート。その向こうには談笑しながらこちらの様子を窺う者が四、五人。さらにその周りを囲んで四方に目を光らせる者が数人。会談へ向け友好的な空気をつくるよう努めるうちにも優位なポジションを手探りする両陣営の間には早くも緊張が漂っている。



「来やがったか」

「そっちから呼んどいてその言い草かよ」

 口では文句を言いながら、相好を崩してフアンと肩を抱き合い挨拶するのは『MB』の幹部のひとり、エクトル。


「ちょっと見ねえうちに、大出世じゃねえか、フアン。まずはめでてえこった」

「そっちゃ変わりなさそうだな? こんな山ん中まで、はるばるご苦労だったな。今日はおめーが全権か」エクトルの目の奥を覗いて、フアンが問う。「で? 本部の連中はなんつってんだ?」

「助けてやった分はちゃんと分け前よこせってよ。ウチが手ぇ貸さなかったら、てめーんとこは潰れてたんだ。犬でさえ恩は忘れねーんだぜ?」

「けっ。恩ならお互いさまだろ? おれがメキシコの出鼻挫いたおかげで、おめーらだって北米ルートを横取りされずに済んだんじゃねーか。だいたい、助けがなけりゃおれが潰れてた、だと? 見くびってンじゃねーぞ。なんならどっちが強えか試してみっか?」

「あンだとぉ?」

 エクトルを怒らせたところでフアンはにやっと笑った。

「ふん……今日はケンカしに来たんじゃなかったな。まあ落ち着いて話そうや」


 エクトルもあっさり機嫌を直して、ちらっとマカレーナを見る。

「女づれ?」

「ウチのファーストレディさ」

「なんで小声なんだよ?」

「あいつが聞いたら怒りやがンからだよ」

 肩に手をまわして顔を寄せこそっと言うと、エクトルが馬鹿にしたように歯を見せた。

「けっ、情けねー奴。腑抜けやがったか? そんなでカリブを押さえられるのかぁ?」

「おめーにゃ関係ねーこった」


「にしても、いい女だな。あんなの反則じゃねーか、ほかの女がみな霞んじまう」

 あらためて上から下までじっくりと眺めわたして、エクトルがごくっと唾を飲んだ。

 マカレーナは悪路を旅した疲れが表情ににじんで、陰影を帯びた艶がいつにも増した色気を醸していた。例によってロングドレスで肌の露出は控えめになっているものの、室内に入ったいまは上着を脱いで、おおきく開いた胸元から白磁のふくらみの息づくのが目に毒だ。視線を下へ移せばスリットから覗くあしが白くなまめかしい。


「人の女を物欲しそうな目で見てんじゃねー」

 フアンはエクトルの腹に拳を入れるが、その表情は満更でもなさそうだ。

 ふたりのやりとりを遠目に見て、マカレーナは婉然と笑みを送って見せた。男ってばかねえ、と言わんばかりに。




 てがわれた部屋に入ったマカレーナはぐるっと室内を一瞥すると、真ん中のおおきなベッドに体を投げ出した。

「はあー、つっかれた。もう山道ドライブはごめんだわ。帰り、あのヘリで送ってくんないかしら」

「そう言うな。……お前はしばらくここでやすんでていい」

「あんたは?」

「商談だ。難題山積みだからな。ディナーをはさんで、夜中か……もしかしたら朝までかかるかもな」

「うっわぁー。ごくろうさんね」

 ふざけた調子でおおきく伸びをしてベッドからフアンを見上げた。

「あの男、顔見知りみたいだったじゃん」

「まーな」マカレーナの視線の先で、汗をたっぷり吸ったシャツを脱ぎ捨てながら言う。「内戦んときからの腐れ縁だ」



 内戦中フアンが属した特殊部隊に、エクトルも四年ほど在籍していた。フアンとは別のチームを指揮して、共同で敵に当たったり、ときには助けられたり。もともと『MB』の中堅だったエクトルは内戦終結より二年早く部隊を抜け、次フアンが会ったときにはもうカルテルの幹部に収まっていた。

 フアンが『旅団』を立ち上げるに当たってなにかと便宜を図ったのは、エクトルだ。



「水くせーこと言うな。戦友だろ?」

 エクトルの口癖だ。メキシコとの抗争時に首都の助けを求めた際もエクトルは、しれっと言った。

 そして、欧州ルートに参入させろと言ってきたときも、

「おれにもすこしは手柄立てさせろよ。戦友だろ?」だ。



「まったく、喰えねえ野郎だぜ。恩でがんじがらめにしやがって、最後はおいしーとこを摘まんで行きやがるのさ」

「たいへんなもんねー」

 他人事、とあっさり聞き流しかけたところではっと起き上がった。


「じゃ、さ。あいつをたらしこんでやれば、交渉うまくいくの?」

 目を輝かせて言うマカレーナに、フアンはうんざり顔で応えた。

「ば、お前ぜったいやめろよ、んなこと」

「なあーんだ、つまんない」

 ベッドにまた倒れこむマカレーナ。その顔のうえに、フアンが帽子を投げかけた。

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