第81話 コカ畑 ⑤王位継承

「だまされた」

 日本製の四駆に揺られながら、ガブリエルが前に座るふたりに言った。さほど尖った口調ではないが、そこにはかるめの非難もすこし。

「あたしは知らないわよ、文句あるならフアンに言って」

 ふり返って、明るく笑うマカレーナ。隣のフアンの頭をぽんぽんと叩く。フアンは前を向いたまま、落ち着いた声で言った。

「だましてねーさ。おめーに頼んだのは、こいつのボディガード。おれたちの仕事には、ノータッチでいい」




 ここしばらくフアンは、アロンソの遺した組織とコネクションの吸収に努めている。


 自警団からスタートしたアロンソのカルテルはある意味、市民に支えられて発展してきた。自治政府や警察との折り合いも悪くはなかった――その倫理的良否はともかく。

 もとよりこの街でクスリを捌いたところで、たいした儲けにはならない。世界各地へのルートを開いて、仕入れたクスリを輸出するのが『自警団』の主な収入源だった。皮肉な話だがアロンソは、世界中に麻薬をばら撒くことを通して街に繁栄と秩序をもたらした。近隣の零細なコカイン製造者に売り先を、貧民街スラムの若者たちに仕事を、そして得た資金でさまざまな副業を始めて街に産業を。

 街のならず者どもはアロンソの定めたルールに逆らえば粛清された。内戦中この街が無法状態に陥ることを免れたのも、内戦終結後いち早く秩序を回復したのも、アロンソの厳しい統制によるところが大きい。

 もちろんその平和の裏には無数の死体が転がっているのを市民たちが知らないわけではないが、それでも彼らは「カルテルによる平和」を諒とした。


 その点フアンの仕掛けた情報操作は、抗争前後を通して正鵠を射たものだったといえる。


 子供に手を出さない。

 外の力を街に入れない。


 人びとが街の法だと信じる規律を、老朽化した『自警団』が破ったと喧伝し、代わって自らをその規律の新たな守護者として人びとに印象づけた。市民は『旅団』による裏社会の統治を認めたように見える。



 アロンソからの王位継承のための仕上げとして、フアンにはメキシコや首都の組織と話をつける仕事が残されている。

 そのため今日は、首都のカルテル『MB』との会談が極秘裏にセッティングされたのだった。

 場所は、山深く分け入ったコカ畑。



 先のアロンソとの抗争時は味方についた彼らも、片がついたうえは旨い汁を吸わせろと、欧州ルートの商売に一枚噛ませるよう先日から執拗に要求してきている。だがこれは、フアンには譲れない一線だ。欧州との商売は『自警団』の最大の収入源だった。ましてC市を『MB』の構成員が我が物顔に歩くなど許せば、それは市民への裏切りにも等しい。

 この件についてフアンは一歩も退くわけにいかなかった。今日の交渉は、決裂する恐れを多分に孕んでいる。



「メキシコからの返事は来たか?」

 助手席に座るエリベルトに問うたが、答えは「まだ」。

 フアンは不満顔だ。


 北米へクスリを回す商売にはほとんど関与していないフアンは、本来メキシコとは利害が衝突しない。今後も巨大な北米市場への野心を封印することにより、アロンソの一件は忘れて今後は互いに不干渉とすることをフアンは申し入れている。

 一方『MB』は北米への直接の密輸に色気を示しているため、メキシコとは火種を抱えている。フアンがメキシコとどのような関係を結ぶかは、彼らにとっても重大な関心事だった。

 それは即ち『MB』との今後の交渉で重要なカードになり得るということでもある。フアンとしては今夜の会談の前にメキシコの反応を確かめておきたかった。




 次第に坂道を上ることが多くなり、ときに空が近く感じられるようになった。

 途中、ちいさな町のガソリンスタンドに車を停めて、隣の古ぼけた店に入った。テーブルの出された中庭には、脇に植わった二本のネムノキが木陰を作っている。

 一行はテーブルを囲んで座り、茶を頼んだ。

「こっからは山道だ。ちょいと揺れるぜ」

「じゃ、いままでは山道じゃなかったわけね?」げんなりした調子で返すマカレーナ。


 もうシエスタの時間でもないのに、人通りの少ない町はどこか寂しい。太陽だけがここでも眩しく路地を灼いていた。店のねずみ色の壁のうえには、ところどころ剥げたパステルブルーのペンキが恨めしげに残されていた。道端にうずくまる黒と茶の薄汚い塊は、よく見れば木陰に涼を求めて寝そべる二頭の犬。

 屋内からコカ茶を運んできた女の顔に浮かぶ深い皺には、インディオの悠久の歴史が刻まれている。

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