第24話 ガブリエル ⑫再会

 ガブリエルの言葉を聞くとダニエリの顔がさっと青くなり、すぐまた赤くなった。マカレーナへ向けたガブリエルの笑顔は、ついさっきまでは喜びの光だったのに今は遠い世界の影絵のように思えた。

 マカレーナが値踏みするようにガブリエルを見るのを目にすると、ダニエリはもう我慢できなかった。ふたりを突き飛ばして自分の部屋に飛び込み、中から鍵をかけ、そうやって外の世界との間に壁を完成させて、ベッドに突っ伏した。


 どうしてマカレーナを知ってるの? 店に来たことあったの? なんにも知らないような顔しておいて、結局あんたも他の男と一緒なの?


 胸の裡で問いかけたところでシーツを撥ね上げ起き上がって、ベッドの上に放り出したままだったポーチを掴むと、力任せに壁に投げつけた。ポーチから飛び出たルージュやコンパクトが、床に音を立てて散らばった。



「ありゃりゃ。説教中だってのに、閉じこもっちゃったよ」

 いつの間にか廊下に顔を出していたウルスラが言う。今は上下ねずみ色のトレーナーで色気の欠片かけらもない姿だが、これでも店に出るとなれば蠱惑的な体のラインを強調したドレスで男たちを悩殺する売れっ子だ。


「どうしたってんだろね? 反抗期?」

 と、ウルスラの背に手を当てて言うのは、男と金にだらしないマヌエラ。

 次々と現れる女たちの匂いに、ガブリエルはくらくらと船酔いしたような心地がする。


「とにかく、ダニーを叱らないでやってくれよ?」

 そう言い残し甘い匂いに背を向けたガブリエルの腕をついと取って、マカレーナが引き止めた。

「なに帰ろうとしてるのよ」


 ふり返ると、目の前にマカレーナがぐっと迫って、その鼻息がガブリエルの肌を撫でる。化粧どころか髪をいてさえない寝起きの素顔に、かえって生々しい色気が息づいていた。薄着の下の素肌から匂い立つ色香に、あとすこしの呼吸で肌が触れそうなほど間近な美貌に、思わずガブリエルは一歩後退あとずさりながらも見惚れてしまう。

「関係ない奴は素っ込んでろ、って言ったのきみの方だぜ?」

「事情が変わったの。細かいこと言ってんじゃないわよ」

 マカレーナはふん、と鼻を鳴らした。そのまま強引に腕を組んで一階の店まで連れて行く。

 有無を言わせぬマカレーナに逆らわず、おとなしく連行されるガブリエルの後ろ姿を、娼館の女たちがくすくす笑いながら見送った。



「店が始まるのはずっと先だから、ちょうどいいわ」

 ライトを落としたホールは仄暗かった。申し訳程度に開いた明り取りの窓から洩れた光が、幽かに客席を浮かび上がらせていた。

 マカレーナは慣れた様子でホールに降り立つと、床の清掃のためにテーブルの上に上げてあった椅子をふたつ下ろして並べた。さっさと片方の椅子に座って、興味津々にホール内を見まわすガブリエルの肘を引っ張る。

「なにぼけっとつっ立ってんの。愚図々々しないでとっとと座んなさいよ」

 促されるままガブリエルが腰かけると、カウンターの奥から声がした。


「昼間っから店に男連れ込むなんて、やるねえ。フアンに言ってやろ」

「ナボ、いたの?」

 驚きもせず、マカレーナがカウンターの方へ顔を向けないまま返す。目を凝らすと、カウンターの奥に双つの眸がぼおっと浮かんで、そのまわりで巨大な黒い影が蠢いた。

「あんた、真っ黒だから、灯の落ちたホールじゃ見つけらんないのよね」


「おかげで、おれの方からはいろんなものが見えるのさ。この店で起こることはなんでも知ってる」

「そんでフアンにチクるのね? 勝手にフアンに言いつけりゃいいわ。あたしはなんにも恐くない」

 ふふんと笑って、「水ちょうだい」と続ける。


「誤解しないでくれよ? おれは話するためにここに来ただけ」正面のマカレーナとカウンターのナボを交互に見て、「そんで、きみも誤解はちゃんと解いとこうよ? ちゃんと話せばわかるってのに」

「ナボは誤解なんかしてないわよ。ばかね」

「え? そーなの?」

 驚いて黒い影の方を向いたが、光の届かぬ先にいるナボの表情は、ガブリエルには読み取れない。仕方なくマカレーナに向き直って見ると彼女は、馬鹿を憐れむような目をしているのだった。


「で、話ってなに?」

「ダニーに決まってんじゃん」

 ナボが投げてよこしたミネラルウォーターを受け取って、ひと口飲むと、ガブリエルにボトルごとわたした。まだ七割ほども入っていた残りの水を、ガブリエルは一気に飲み干した。旨そうに喉を鳴らすのを感心して見ながら、マカレーナが問うた。

「あの子、今度はなにしたの? どこの店?」


「『今度は』って……初めてじゃないってこと?」

「質問してんのはあたし」

「ひでえな、それ。おれ、答える義務あんの?」

 マカレーナの冷たい言いようにもさして気を悪くした風なく、ガブリエルは真っ直ぐに返した。

「いいから教えてよ」

 重ねて問うマカレーナの眸は、冷たい口吻くちぶりに反して、切羽詰まった熱い光を宿している。その眸の色にガブリエルは押された。


「帽子屋だよ。羽根飾りのついた帽子」

「あの子、帽子なんかかぶらないくせに」

 そう言ってから、「ああ」とマカレーナは手を拍った。


 あたしへのプレゼントだ。


 陽光を長く浴びると決まって赤く腫れあがる弱い肌に、マカレーナはいつも呪いの言葉を吐いていたから。マカレーナの白い肌をだれよりも愛おしんで、日焼けに苦しめられるマカレーナにだれよりも心を痛めていたのは、ダニエリだった。


 続くガブリエルの話を碌に聞いていなかったマカレーナは、「警官が」という言葉が耳に入るとはっとしてガブリエルの顔を見据えた。

「警官がどうしたの⁉」

「ああ。なんか、捕まっちゃったんだよ。たまたまそこにおれが通りがかって」

 手短てみじかにホセとの経緯を説明すると、マカレーナの表情が見る見る変わっていく。

「あー、『助けてくれた』ってあの子が言ってたの、このことか」


 マカレーナの反応に、頬を緩めるガブリエル。

「なにか可笑しい?」

「いや。不思議な縁だな、と思って」


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