第68話 州警察 ④勾留

 島から戻った翌朝、抗争が片づいて得られた大きな変化はまず、ガブリエルが二週間ぶりに自分のアパートへ戻れたこと。

 熱帯の雨季の湿気をたっぷり半月分吸った部屋は、かび臭い匂いでむっとしていた。放りっぱなしだった服やシーツを洗濯にまわして、小さい窓から新しい空気を入れ、ようやく人心地ついたと思ったら、二つめの変化がやってきた。

 大学へ出る準備をしていたとき、滅多に鳴ることのないドアのベルが鳴ったのだ。まったく用心も警戒もせず扉を開ければ、そこには屈強な体つきの男が四人。なにごと、と驚いた顔になるガブリエルに、先頭のひとりが言った。

「警察だ」



 半時間後、警察署に連れ込まれたガブリエルは、取調室で途方に暮れていた。


 前に座る刑事はさっきからさまざまな質問を投げてくるが、どれひとつガブリエルにはぴんと来ないのだ。そもそも刑事の発するのは質問というより詰問、あるいは恫喝に近い。

 ガブリエルには、刑事のその態度は理解できなかった。まともに答えられないまま、思わず浮かぶ苦笑い。すると刑事は一瞬顔に笑みを浮かべて――次の瞬間ガブリエルの頬を平手でなぐっていた。鈍い音がして、唇の端が切れた。

「ひどいなあ。なにも悪いことしてねえってのに」

 言いおわらないうち次のビンタが飛んできた。顔が派手に右へ振れる。

「いつまでもなめてんじゃねえ。次はしっかり答えろよ?」

「だったら普通に質問してよ」

 今度は正面から胸に正拳。椅子ごとうしろに倒れた。


「あんまり顔に傷拵えんのもだろ?」

 刑事は一切表情を変えずに言い放った。

「ほどほどにしとけよ? こんな奴の肩持つメディアだってあるんだからよ。騒がれるとけっこ風当りきついんだぜ」

 横で静観していた、もうひとりの刑事が注意する。立ち上がって、ガブリエルの目の前に手を置いた。

「さて、交替だ。名前は?」

「さっき言ったよ。忘れた?」

 先刻から殴りつづけの刑事が、また飽きもせず腹を殴る。白シャツを汗で透かせたこの刑事は、どうやら殴るのが仕事らしい。

「しっかり答えろって言ったろ? 物覚えの悪いガキだ」

「ひとの名前を覚えられないでおいて、よく言うよ」

 椅子がまたうしろに倒れて、倒れた椅子の背からガブリエルが転がり落ちた。訊問役の刑事は何事もなかったように質問を続ける。


「で。この二週間、フアンの事務所に潜伏してたってんだな?」

「いや、女の子たちの住んでるアパートの四階。さっきもそう言ったんだけどな」

「事務所で襲撃の準備してたのを見た、と」

「おれの言うこと、聞いてる?」

 椅子を起こして座り直そうとするところを、また刑事が捕まえ、今度は肘を逆手さかてに捩じ上げられた。

「あとさー、白い粉の入った袋も見てるよね? どのくらいあった? このくらいかなあ?」

 両手でサッカーボールを抱えるようなポーズをつくり、サイズを示した。その唇は笑っているが、目は冷たく鋭い。何を言っても聞こうとしない目だ。

「だんまりか。まあいいや……おい、もう離してやんな」

 指で椅子を示すと、白シャツが乱暴に放り投げるようにガブリエルを椅子に座らせた。

 訊問役の方は、ずっと部屋の端で会話を記録していた若い女性警官から受け取った紙にさっと目を通し、机のうえに置いた。

「じゃ、ここサインしな」




 取り調べを終え廊下を歩かされるうち、ガラス越しに警官たちの集う部屋が見えた。ガブリエルには興味を持たず、みな忙しそうに立ち働いている。掛けられた時計は夕方の六時を指していた。昼食前に連れ出されたことを思い出して、急に腹が減ってきた。

 財布を持ってきたっけと尻のポケットに手を伸ばそうとしたが、それだけのことで肩が痛む。あれっと思って腕を上に上げようとするが体が言うことを聞かない。

 いつか漁師仕事でまる二日、舟の上に嵐をやり過ごしたときのようだと思った。海が急に懐かしく思い出される。太陽の光を撥ね返す穏やかな波。雨粒に叩かれる荒れた海面。雨雲の向こうに別世界のように輝く晴れた水平線。

 海はいつも人知を超えて、ときに凶暴だったがそこに底意のあったことは一度もなかった。



「おい」

 ゆっくり歩いていたところを突然うしろから肩を叩かれ、振り向くと、そこにいたのはホセだった。

「ぼろくずみてえになってるなぁ、ガビ」

 気の毒に思う様子をまったく見せずににやっと笑う見知った顔に、

「ひでえ目にあったよ」

 半日の取り調べも、隣を歩く刑事のことも忘れて、ガブリエルは笑顔を見せた。



 ホセも隣の刑事がいないかのように、遠慮なくガブリエルの肩に手をまわした。刑事の権威などはなにもかけないホセはここでも傍若無人だ。ガブリエルには乱暴放題だった刑事も、ホセの前ではおとなしい。

「ま、取り調べなんてこんなもんだ……おいおい、肩外れかかってんじゃねえか。これじゃあ、どっちがギャングか分かんねえな」

 言いながらガブリエルの腕をとって、脱臼しかけていた肩を入れてやった。

って。おれはギャングじゃないよ」文句を言ったあと肩をさすって、痛みが消えたのに気づいた。「……あ。なんか直った」


 腕を振り回して具合を確かめるガブリエルを、ホセは兄貴づらで見守る。

「しばらくは帰れないぜ、きっと。せっかくいろんな罪を暴き立てるチャンスだからな」

「暴くって……でっち上げるの間違いだろ?」

「せっかく『自警団』を潰したってえのに、その後釜にフアンが座るんじゃ、酬われねえもんな。こいつらも必死さ」


 そう言ってホセが目で示す刑事と、ホセの顔とをガブリエルは交互に見て、どちらへともなく訊いた。

「ところで、なんでおれ捕まってるの? 身に覚えあるといえば市場での立ち回りだけど、あれってギャングから身を守っただけなんだよな」

「……いまさらかよ」

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