第87話 コカ畑 ⑪目覚め

 どれほどそのままでいただろう。気づくとガブリエルは安心したのかまた力が抜けて、すやすやと眠っている。

 マカレーナだけが心を乱して、ガブリエルの腕のなかにいた。

 ――ガビから離れないと。

 これまで数多くの男の相手をしてきたマカレーナがいまさら男に抱きしめられたぐらいで動揺する筈もないのに、なぜだかいまはガビに触れるからだの部分が熱く、敏感になっている。


 あたしはガビが好きなんだ。


 マカレーナは、ずっと認めないでいた感情を、もう自分に隠すことができなかった。

 ガビが好き。

 おかしいくらいガビが好き。ガビなんて――ダニーがあれほど慕ってるのに子供だとしか思ってない鈍感ぶりが、どうしようもなく肚だたしい。ばかなんじゃないかってぐらいひとのこと信じる、底抜けのお人好しに苛々する。ばか正直で、うその吐けないところが心配ではらはらする。そんであたしを心配させるからまたイラっとする。自分のこといつも後まわしで、人助けばかりしてるのが危なっかしくて見てらんない。

 こんな男に大切なダニーは預けられない、と思う。でも、そう言っておいて、自分自身がガブリエルに惹かれるのを止められない。

 鈍感なガビが好き。底抜けにお人好しなガビが好き。ばか正直なガビが好き。人助けばっかりのガビが好き。



 ――こんなのは気の迷いだ。

 首を振って、マカレーナは傍らの病人を見た。仄暗い小屋のなかに浮かびあがる、生気をとり戻したらしいガブリエルの表情。ほっとして、また髪を撫でた。髪は汗を含んでしっとりしている。そっと起き上がって、汗くさい髪に接吻した。ずっとひとつになっていた男の体から離れて空気に触れた肌は妙に心細くなって、すぐにガブリエルの体温が恋しくなる。

 マカレーナはガブリエルをかき抱くと、唇を重ねあわせた。するとガブリエルの目が開いて、虚ろにマカレーナを見た。まだ頭が醒めないままなにか言おうとする唇を、また唇で塞いだ。

「黙ってて、ガビ」

 唇を離すと、マカレーナはガブリエルの唇を左の人差し指で押さえた。

「夢を見てるのよ、あたしたち」

 腰から下にまだまとわりついていたドレスを足首まで下げて、まるまった布を足首から抜きとった。生まれたままの白いからだが闇のなかに浮かんで、ガブリエルの浅黒い肌のうえに重なった。



 ……………………


 ……………………



 農具小屋のなかに洩れ入る朝陽が最初に当たったのはガブリエルの顔のうえだった。

 目をくすぐる淡い光にもガブリエルは目を開けないで、朝のまどろみの快楽に深くしずんでいる。市場のアルバイトに行かなくなってひと月ばかり、その間にガブリエルは朝寝の心地よさを知ってしまったらしい。


 凪の海に身をまかせるようなまどろみから、だんだんと頭が醒めてきた。意識がはっきりしてくるとともにふと気づいた。

 両手で抱える、やわらかくあたたかいなにか。自分のからだにぴったりと寄り添うしなやかないきもの。ちいさく波うつように動いている。心をとろかす匂い。頸にかかる吐息。

 まだ夢心地のままゆっくり開いた目に飛びこんできたのは、女の白い肌。鼻をくすぐる豊かな銀髪。

 一気に目が覚めた。

 銀髪の下に隠れていたマカレーナを見つけた。次第に明るくなる小屋のなかで、無防備な寝顔がいつもより幼く見えた。マカレーナは一糸まとわぬからだをガブリエルにぴたりとくっつけ、寝息にあわせて肩を上下させている。

「マカレーナ……マカレーナ!」

 あわてて背中を揺すって起こそうとすると、離れた拍子にマカレーナの裸のからだが目に入る。

「うっわ」

 急いで目を逸らしたが、残像はしっかり目に焼きついてしまった。



「うるさいなあ……なによ」

 徐ろにからだを起こすマカレーナ。ガブリエルの目の前で胸がやわらかく揺れた。

「マカレーナ、前、前」

 動揺したガブリエルは、だが視線を外せない。

「え。ああ、これね」

 マカレーナもようやく目が覚めた。昨夜を思い出し、ついガブリエルの目から顔ごと逸らした。からだを隠さないとなんて思いもよらずに。

「はあー。なんてことしちゃったんだろ」

 ため息を吐いたあと、ちらとガブリエルを見た。

 ガブリエルは半身を起こして、ふたりともが裸でいることに、いまになって気づいた。

「しちゃった……? おれ、きみを襲ったの?」

「あんた、覚えてないの? なんにも?」

 マカレーナの表情が険しくなる。ガブリエルはうろたえた。

「うああぁ、ごめん! ごめんよマカレーナ。 いや、ごめんで済むことじゃないけど。どこもケガしてない? いや、ケガなんて話じゃないな。きみの心を傷つけた」

「ちょっと、落ち着いてよ」

 口を挟もうとするが、ガブリエルは聞いていない。

「なんてことしてしまったんだ。傷つけてしまったのか、おれが。そうだとしたら――命を懸けて、どんな償いでもするよ。なんでも言ってくれ。いや、どうしたって、傷を消すことなんて……!」

「落ち着きなさいって!」

 声を大きくするマカレーナの言葉は、やはりガブリエルには届かない。

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