第49話 フアン ⑩創世記
迎えに来たリムジンでホテルを出たフアンは、途中でバンに乗り換え次の隠れ家へと向かった。窓の外を流れる海岸は、ようやく紫に色づきだした海へとつづいていた。
足下に五挺置かれたショットガンのひとつを拾い上げ、助手席のピオに訊いた。
「準備はどうなってる」
「弾も兵隊もやる気満々だ。パブロの奴、ご機嫌だぜ」
「分かりやすい奴だ」
くっくと笑うと、「あんたも似たり寄ったりだぜ?」とピオが笑い返した。
今日、フアンは『自警団』の拠点の一つを急襲する。
外を見ると、海の波が高くなっていた。空には朝から太陽を隠した雲が、不吉な色の腹を見せている。風が椰子の木を
「ほら、スコールが来るぜ」
と言うと、目を閉じた。固いシートに頭をあずけて、浅い眠りに落ちたフアンは、夢にふたたびアロンソを想った。
***
首都からC市へ乗り込んだ『MB』は、街を着実に侵食していった。
アロンソだけでなく、彼と行動をともにするクラブのチームメイトのうち何人かはそのうち顔を覚えられ、街でなにかとちょっかいをかけられた。チンピラたちははじめは甘言で仲間に引き込もうとしていたのが、少年たちが
アロンソには弟がいた。名をフェルナンド。
十五歳にしてフォワードを任される彼はチームの中心選手で、プロを夢見ていた。子供の頃からの優れた運動能力で、ケンカしても同世代では敵なしで育ってきたため鼻っ柱が強い。いつもアロンソを心配させる、だが仲のいい弟だった。
彼が仲間たち四人と下校途中、路地で戯れにサッカーボールを回していたとき、事件は起こった。
「よお。俺たちとも遊ぼうぜ」
にやにや笑いながら声かけてきた三人組のチンピラに、
「いや……学校の生徒以外と話すのは禁止されてるから」とフェルナンドは言葉を濁した。
「なんだ、お坊ちゃんなんだな。つまんねー奴」
「臆病者には俺らも用はねー。一人ぐらい金玉ついてる奴はいねーのか?」
目の前でせせら笑うチンピラの挑発に、フェルナンドはあっさりキレた。相手の顔面中央にいきなり右ストレートを放りこむと、ふらふらと膝をついた男の顎を蹴り上げた。その二発でチンピラは動かなくなってしまった。
突然のことに残りふたりのチンピラは呆気にとられていたが、すぐに罵声を上げてフェルナンドに襲いかかった。それを見てチームメイトたちはフェルナンドに加勢し、乱戦になった。
夢中で揉み合っているところへちょうど、教師への報告を終え遅れて帰宅する途中だったアロンソが通りかかった。ビルの狭間で乱闘する少年たちのなかに弟の姿を認めると、「またか」と顔をしかめた。
叱りとばしてやろうとアロンソがおおきく息を吸ったとき、路上に一発の銃声が轟いた――
驚いてふり返ったフェルナンドの目に、ひとりの少年が倒れているのが映った。痙攣する体から血がどろりと溢れた。次から次へと止め
フェルナンドはその場に膝をついてしまった。
他の少年たちは四散した。周りにいた人だかりも潮が退くように消えた。アロンソだけが逃げなかった。フェルナンドの手をとって立ち上がらせ、銃弾を受けたイスマイルを抱えて病院へと向かうアロンソを、カルテルの男たちは黙って行かせた。
病院に着いたときには、イスマイルは既に息絶えていた。
翌る日からしばらく、チームメイトの大半は学校へ来なかった。学校中が息を潜めていた。
そして伝説の仕上げは金曜日、少年が亡くなって三日後の午後に起こる。
イスマイルの葬式にはフットボールクラブを代表してチームメイト十八人が参列した。胸に悲しみと怒りと、恐れとを抱えて。
墓地の周囲にカルテルは銃を誇示した男たちを配した。彼らもなにか不穏な空気を感じとっていたのだ。だがそれが、繊細な高校生たちの感情を逆撫ですると察する想像力には欠けていた。
親たちは少年たちの短慮を危ぶみ、自制するよう戒めた。警察はその緊張から目を背けていた。
埋葬を終えたときには、海からの風が吹き出していた。空にはスコールを孕んだ真っ黒な雲が広がっていた。
会葬者たちがのろのろと散会するのに合わせ、高校生たちも固まってグラウンドへ向け歩きだした。思い出深いグラウンドで、彼らだけの送別をするつもりだったのだ。
雨が降りだしていた。半数ほどが傘を取り出し、雨を避けようとした。意味ありげにこちらへ視線をやるカルテルの男たちとすれ違うときも、彼らを見向きもしなかった。
そのとき足下から吹き上がった突風が一人の傘を飛ばして、傘は飛んだ先でチンピラの頬を掠めた。あわてて取りに行った少年を、チンピラが殴るのをチームメイト全員が目撃した――。
瞬時に少年たちは激昂する。真っ先にチンピラに向かっていったのは、このときも弟のフェルナンドだった。
参列者十八人のうち、最初に殴られた少年とアロンソとを除いた十六人はフェルナンドを先頭に狼の群れのように、カルテルの男たちに襲いかかった。
彼らを止めることは、もはやアロンソの手には余った。
雨粒が次第に大きくなっていた。海から遠雷が不吉に響いていた。風が墓地を囲む林の樹々を揺らしていた。
そして、アロンソはまた発砲音を聞いた。
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