第36話 ダニエリ ⑪フードコート

 ダニエリにかけた電話がいつまで経っても応答がないのに、マカレーナは焦りを募らせていた。

「ダニーったら! どうして出ないのよ?」

 声には怒りを含ませるが、心中は怒りより不安の方が大きい。

 もしも、電話に出られない事情があるんだとしたら――嫌な想像を頭から振り払って、マカレーナは当てもなく街を走った。


 道にはクスリ売りの男に、獲物を探して徘徊する二人組、道路清掃夫と大声で談笑する路上生活者、物売りの子供たち。縄張りテリトリーを守る番人のつもりか、二階のテラスから道に睨みを利かす赤ら顔。


 目にするやくざ者たちすべてが敵に見える。

 カルテルの奴らは子供には手を出さない。でもダニエリは。十六歳のダニエリは、大人びたかおだちのダニエリは、見た目だけならもう娼館の女たちと大差ない。

 『自警団』の奴らは平気であの子を殺すだろう。マヌエラを殺したように、鼻歌でも歌いながらきっとやってのける。



 電話が鳴った。マカレーナはディスプレイを確かめもせず、急いで取った。

「ダニー? あんたどこよ?」

 電話に噛みついたが、返ってきたのはカタリナの声。


「フアンと連絡がとれたよ。こっちに護衛を四、五人よこすって。だから動くな、だって。いいかい、マカレーナ。戻ってきな。ダニーよりあんたが心配だ。奴らの狙いの一番はあんたなんだから」

 まだ話を続けようとするのを遮って、

「ダニーを放っとけってこと? それ本気⁉」

 返事も聞かずに電話を切った。

 ふううっ、と猫が凄むような息を吐いて顔を上げると、目の前には陽を眩しく照り返す白い壁。それは、公設市場の壁だった。



 ここに来るまで既に、マカレーナはたっぷりと陽の光をその肌に浴びていた。普段なら肌をほとんど露出しない服装で外へ出るのが、今日はあんまりあわてたために肩から先を無防備に陽に当ててしまっている。

「帽子かぶって出たのがせめてもの救いかあ」

 赤みの差した二の腕をさすって、聞く者のだれもいない路上でひとり呟くと、目を細くして空を見上げた。まだスコールを準備していない空は、雲もまばらな深い青。はやく日陰に避難しなければ、と思うマカレーナの前に、公設市場は口を開けて待っている。



 公設市場に一歩入ったところで、また携帯が鳴った。今度もマカレーナはディスプレイを見ない。

「ダニー?」

「……おれだ」

「『おれ』なんてひと、知らないわ。じゃあね」

 落胆の色を隠さず冷たいマカレーナに、

「待て待て、切るんじゃねー」とあわててフアン。

「てめー今どこだよ? ったく、人の言うこと聞かずに外ほっつき歩きやがって!」

「いま忙しいの、悪いけどケンカ売りたいならあとにして」

「ああー、クソ! お前はまったく……もういい、とにかくGPSをオンにしとけ。いまから迎えに行く。いいか、GPSだぞ」



 適当にあしらって電話を切ったあと市場のなかへ進むと、ちょうど午餐ひるどきのフードコートは買い物を終えた地元の人びとでごった返していた。連れ立ってきた奥さん方、親から手を離して駆け回る子供たち、ひと仕事終えてビールを喰らう威勢のいい兄さんに親爺ども。

 なんの気なしに見まわしていたマカレーナの目線が、ふと止まった。

「……どうして」

 ――こんなところにダニーが。こっちは心配で駆けずり回って探してたってのに、呑気な笑顔見せちゃって。

 緊張が解けた途端に湧いた怒りに、大声を出そうとして思いとどまった。


 フードコートのテーブルに、ダニエリは男と並んで座っていた。こちらに背を向け座るダニエリは、しきりに隣の男へ笑顔を見せている。声かけようと息を吸った瞬間垣間見えたその横顔に、マカレーナはそのまま息を呑みこんでしまったのだった。あんなに幸せそうな笑顔のダニエリは、いままで見たことがなかった。


「あの子、男は苦手な筈なのに」

 マカレーナは距離をとったまま、ふたりの姿を観察しはじめた。




 マカレーナに見られているとも知らずダニエリは、大口開けてハンバーガーを頬張っている。

 ガブリエルの前にはボリューム重視の、モツとくず肉を煮込んだフェイジョアーダ。ブラジルの国民食とも言うべきフェイジョアーダは、の地への出稼ぎから帰ってきた夫婦が屋台で供しはじめると、特に市場の肉体労働者に愛され公設市場で名物料理になっている。

「それ、美味しそう! ひと口ちょうだいよ」

 スプーンを奪って勝手に食べるダニエリに、呆れ顔で抗議するガブリエル。

「あ、おれの大事な飯とったな! ひっでえ。その肉、楽しみに残してたのにー。ダニー、きみ食いしんぼなの? そんなじゃ太るぜ?」

「うっさいなー。代わりにこれあげるよ」と食べかけのハンバーガーを突き出すダニエリ。「あ、ひと口だけだよ?」


 ダニエリの振る舞いに呆れたのはマカレーナも同じ。

「あーもう、あたしが赤面するわ、これ」

 心配していたのが馬鹿らしく思えてきた。もう放って帰ろうか。心でそう呟いてふり返った途端、男が目の前に立ちはだかった。それは背後から密かに間近まで近づいていた黒服の男。目が合うと、男は無機質な笑みを浮かべた。


 男が服の下に銃を隠しているのが、マカレーナにも分かった。


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