第10話 マカレーナ ⑩ネックレス

 次の日曜。

 朝からマカレーナは、カタリナを伴って街へ出たついでに教会へ立ち寄った。と言って、特別信心あついわけではない。幼い頃両親に連れられ日曜ごとに教会へ通った記憶が、今でもときどきマカレーナに教会へ足を向けさせるだけのことだ。

 聖母マリアに捧げられたその教会は、長い内戦の間も日曜には欠かさずミサを挙げたのだった。街の上を飛び交った砲弾にも無傷だったステンドグラスに描かれた聖母の衣を通して、青と赤の光が今日も堂内に射していた。聖母に抱かれた幼いキリストは三十年後の受難をまだ知らないのか、おだやかな顔をしていた。


「あんたが教会なんて、似合わないったらないねえ。マリア様も怒るんじゃない?」

 からかうカタリナに取り合わず、マカレーナは先に立って教会から出た。

「怒るもんか。膝に取りすがる者を、マリア様は追っ払ったりしないよ。あんたも少しぐらいお祈りしといたら?」

「マカレーナはなんて祈ったのよ?」

 長身をこころもち屈めて耳元へ問うカタリナにつられて、マカレーナも顎を上げ相手の耳元へ小声で返す。

「うちの商売はあんまり神様に褒められるもんじゃないからね。あたしはいいけど、うちの子たちをゆるしてちょうだいって」

「は! 神様なんかに赦してもらう必要ないさ。あたしらが困ってるとき、なんにも助けてくれなかったくせに。きっと人間が増え過ぎたんで、神様の奴もイェルサレムから遠く離れたこんなとこの子羊にまで目が届かないんだろうよ」


「……そうかもね。神様がなに考えてるか、結局あたしたちが生きてる間は分かんないんだろな、きっと」

 ぽそっと呟くマカレーナ。あわててカタリナは大げさにその背中を叩いた。

「とにかく! あたしら生きるために必死にやってるんだ、文句なんて言わせない。この商売が気に喰わないってんなら、カラダ売らなくても食べていける世界を今すぐ作れってんだ!」


 思わず大きくなった声を、ちょうど教会から出てきた老夫婦が耳にしたのか、マカレーナたちを汚らしいものでも見るような目で一瞥して顔をしかめ、すぐ背を向けた。

「だから嫌なんだよ、こんなとこ」

 舌打ちして、カタリナが聞こえよがしに言う。「みんな気取ってやがる」

 ふんと鼻を鳴らすとマカレーナの手をとって、大股に歩きだした。



 身長百八十センチを超えるカタリナが早足で歩くと、マカレーナはほとんど小走りにならないとついていけない。おまけに彼女が身につけるのは、くるぶし近くまで脚をしっかりくるむタイトなロングスカートにハイヒール。危なっかしい足どりで走るマカレーナを数軒の商店が並ぶ小路の前でようやくカタリナが解放したときは、マカレーナの息はすっかり乱れていた。


 しばらく下を向いて息を整え、ふと顔を上げたマカレーナの目に飛び込んで来たのは、宝石店の飾り窓に並べられたさまざまなアクセサリーが乱反射する光。花を見つけた蝶のように吸い寄せられるマカレーナに肩をすくめて、カタリナがあとに従う。

「あれ、どう?」

 ネックレスのひとつをカタリナに目で示した。

「いんじゃない、なかなか」

 その視線の先にあるのは、真っ青なサファイアを三つあしらったネックレス。

「でもあんたにはちょっと地味かもね」

 ネックレスについた小さな石は、女王の胸元を飾るには控えめに思えたのだ。夜を女王の風格で颯爽と歩むマカレーナには、男たちが競って贈る数カラットもの色とりどりの宝石が似つかわしい。

「あたしじゃないよ。アナにね」



 アナマリーアは今日は学校の友達と遊びに出かけている。

 マカレーナは娼館の子供たちの学費を工面すると、「娼館の娘に学校なんて」と尻込みするアナマリーアたちを学校へ半ば無理やり放り込んだ。女子修道院が経営する名門校は、内戦のあとでも富を失わない上流の子女たちで占められ、窮屈だが躾が行き届いている。

 そのお上品さに辟易して早々とダニエリは落伍した学校に、アナマリーアは今も毎日通っている。笑顔で、幼いアンジェリカたちを引き連れて。


「あの子たちに肩身の狭い思いをさせたくないじゃない」

「まあね」

 血のつながりもない子供たちにやたらと構うマカレーナの心情を、カタリナは半ばは理解するが、そうかといって全面的に賛同する訳ではない。

「あれ、どうにかして手に入れらんないかな?」

「欲しけりゃ買ったらいいじゃん。……お金ないの?」

 まさかという顔のカタリナにマカレーナは肩をすくめて、

「すっからかん」と手を振った。


 フアンから娼館の管理を任されたマカレーナはそれなりの金を得ているし、男たちから貢がれた金品も少なくないのだが、彼女の金の管理はあまりに杜撰ずさんだった。

 アナマリーアやダニエリ、さらにその下のレメディオス、マリオ、アンジェリカの学費はまるまるマカレーナが抱え、困った者を見ると財布の中身を数えもせずにまるまる渡し、客からプレゼントされた宝石さえもその価値を知ることもないまま周りに分け与える。

 彼女の口座に金が貯まることはついぞなかった。


「思い出した……そういや、昨日マヌエラに財布渡してたね。いい加減にしなよ、マカレーナ! あの子の泣き落としなんて、全部嘘なんだからさ!」

「いーじゃん、あのお金でマヌエラの男が助かるってんだから」


 カタリナがため息を吐く。

「……あんたね。いい加減にしなよ。あたしらの商売、稼ぎどきは限られてんだから。いつまでも羽振りよくいられる訳じゃないんだよ?」

「はあいはい、ありがと、心配してくれて。愛してる、カタリナ」

 背中に両腕を回しぎゅっとハグするマカレーナに逆らわず、

「適当なんだから」

 とカタリナは呆れ顔をして見せる。


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