第63話 アロンソ ⑪ヘリ

 アレシャンを放すと、プロペラ音がふたたび近づいた。

 フアンが肩にかけたグレネードランチャーを握り直す。その隣で呆然と宙を見上げるアレシャン。赤い夕空を背に、ヘリが頭をこちらへ向けた。


 フアンはかるく目を閉じ、正門から流れてきたオイルと血の匂いの混じる風を吸って、腰にげていた鉄筒のピンを抜いた。戦場の喧騒のなかの澄んだ金属音。一瞬の後、前方に投げ捨てた鉄筒からは激しく煙が噴きだして、コンクリートとガラスの散乱する庭を覆った。


「支援しろ」

 と言い残し、レナートが止める間もなく壁から飛び出すと、紫の煙のなかへ紛れた。その煙のなかへ、ヘリから見境なくばら撒かれる機銃の弾丸。

 アレシャンとレナートは左右からヘリを狙い撃つ。レナートと部下たちが手にしているのは強力な対物ライフル――ヘリの装甲を貫通はするのだが、ヘリはしつこく空に居座りつづける。

 発煙筒がまた一つ、庭の真ん中で煙を噴きはじめたがすぐ風に吹き払われた。


 その煙の切れ間からグレネードランチャーの砲口が姿をあらわす――と、榴弾を吐き出した。ひょろひょろと空中へ上がる榴弾。ちょうどヘリの目と鼻の先まで来たと思うと、一瞬驚愕する表情を見せたパイロットの顔が、爆風の向こうへと消えた。



 空中でヘリを襲った爆風が収まるのと、地上で紫の煙が消え去るのがほぼ同時だった。

 ヘリの前面ガラスは粉々に砕け散って――だが、パイロットは無事だった。隣で砲手が機銃に手を伸ばす。

 そのときにはもう、身にまとう煙幕のなくなったフアンが二発目の榴弾を空へ放っていた。パイロットの目の前へ迫る榴弾、旋回しようとするヘリ、身をちぢこませる砲手。音は消え、心臓は凍り、すべてはスローモーション。


 だが、今度の榴弾は破裂しなかった。かすれた空気音とわずかな閃光だけを残して、破片を撒き散らすことも忘れて――地上へ墜ちた。


「おいおい」

 ここで不発かよ?


 舌打ちする間に頭を廻らせるフアン。

 次の弾を用意する時間は、残されていない。

 頭上では、いちどは体を固まらせた砲手が、目を開け事態を呑みこんで、ふたたび機銃のボタンに手をかけるのが見える。無駄と知りながらもフアンは尻ポケットのベレッタへ手を伸ばした。砲手の目がフアンを捉えた。

 てのひらに握った汗が、やけに粘っこく感じた。



 砲手がスイッチを押すのと、ヘリが傾くのが同時だった。ライフルの甲高い声が遠く聞こえた気がした。

 機銃がでたらめに火を噴くが、揺れるヘリの頭につられて狙いが定まらない。迷走するヘリはやがて機首を下へ向け、二度、三度と地上の植栽の上でバウンドしたあと、レンガを重ねた花壇の上に落ちた。一瞬の後、断末魔の叫びのように醜怪な炎が上がる。



 フアンが背後へ目を向けると、対物ライフルを構えたアレシャンがいた。上気した顔で、燃え上がるヘリを見ている。

「へへっ。どーだ、やってやったぜ」

 言いながら、まだ手が震えている。アレシャンがパイロットの胸を撃ち抜いたのだ。レナートが口笛を吹いた。

「こりゃ自慢できるな。ライフルでヘリを墜とした奴なんて、『旅団』のなかにもいねえぜ」

 肩を叩くと、呪縛が解けたのか、アレシャンがようやくライフルから手を離した。



 すぐにフアンは邸の奥を目指して、ふたりに背を向ける。


「おい、待ってくれよ、おれも行くから」

「おめーらはもう脱出だ。おい、レナート!」大声上げて、振り返る。「みんな連れて撤収だ。警察サツが来る前にきれーに片づけて帰れ」

 さすがにヘリの墜落音と炎が麓から見えれば、警察も動かないわけにいかないだろう。


「イシドロを黙らせろ。あいつ、放っとくといつまでも戦いつづけるぜ」

「結局正門はおとせなかったな。『自警団』の腰抜けども、悪くねえガッツだった」

 正門でさかんに上がる黒煙へ目をやって、レナートが言う。

「おれはアロンソの野郎に会ってくる」

「独りでいいのか、大将?」

 フアンは答えず、回廊の奥に目をやった。視線の先では邸ぜんたいが薄暮のなかに黒々と浮かびあがっている。

「奴は書斎で待ってるはずだ……いつもそうだった。思い出すぜ」

 全弾撃ち尽くしていたベレッタを渡して、代わりにグロックを受け取った。オーストリアの湖畔で生まれた、飾り気のない自動式拳銃オートマチック。シンプルイズベストの形姿フォルムも嫌いではない。

「じゃ、先に行くぜ? いずれ警察も乗りこんでくる。無茶すんなよ、ボス」



 さっさと奥へ歩きだしていたフアンには、レナートの言葉は届かなかった。

 庭では墜ちたヘリがまだ黒煙を上げている。邸からの抵抗はもうなかった。正門前での攻防はまだつづいているが、徐々に『旅団』の側が押して、『自警団』は逃げる者が出はじめていた。

 あわてふためくギャングどもを無造作にけながら、フアンは真っ直ぐ書斎へ向かった。すれ違う者はだれもフアンを止めようとしない。大半の者は目の前の男が敵の大将だとは気づいていないが、たとえ正体を知ったところで、いまさらアロンソのため命を賭けてフアンを止めようなどとはしないのだろう。


 ――沈む船の乗員なんて、こんなもんだ。

 浮かんだ自らの言葉に苛立ちながら、フアンは足を速めた。


 アロンソ。半世紀かけて築いた王国が、こんな最期だとはな。

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