第32話 ダニエリ ⑦火花

 それは昨夜のことだった。

 月に一度行われる内陸部のカルテルとの取引の現場に、突然警察が踏み込んだのだった。

 取引に使っていたのは、内戦のあいだに閉鎖され人が近づく筈のない倉庫跡。すぐに激しい銃撃戦が始まった。


 そのとき現場を取り仕切っていたのがフアンの右腕、パブロだ。周囲を軍警察に取り囲まれ、暴雨のような銃弾が撃ち込まれるなか、パブロは取引相手を裏口から無事逃れさすことを優先させた。『旅団』きっての武闘派との世評にたがわず、多勢に無勢の状況下でも十分余り持ち堪えて取引相手の脱出を確認したあと、部下たちを一斉に離脱させた。大半のコカペーストを現場に残しての撤収となったが、ここまでは已むを得ないだろう。


 問題はこの後だ。

 街への帰途、待ち伏せに遭い部下の多くが蜂の巣にされたのだ。倉庫跡での銃撃戦で銃弾のほとんどを撃ち尽くしていたパブロたちには、抵抗らしい抵抗をする余力は残されていなかった。為す術もなくあるいはその場に斃れ、あるいは警察の待つ後方へ舞い戻って拘束された。パブロ自身は闇に紛れて逃れることができたが、その体には鉛玉が二発埋まっていた。

 待ち伏せしていたのは、『自警団』の連中だ。



  ***



「死んだのは?」

「エンリケ、ゴンサーロ、ビセンテ。あとは、捕まったか死んだか分からねーのがまだ十人ほど」

「ひでえな」

 分解途中のベレッタを机の上に置いて、報告を受けたフアンは呻いた。その日まだ陽が昇る前、今から十時間ほど前のことだ。


 パブロから連絡を受けるとすぐフアンは現場へ応援を派遣し、近辺に隠れていたパブロたちと残されていた遺体とを回収したのだったが、フアンの側の動きを察知していたのか応援部隊が到着したときにはもう、その場に敵はいなかったのだという。


「敵はアロンソなんだな?」

「間違いねえ。何人か、覚えのある顔があった」

「ふーん」


 宙を向いて考えこむフアンを、側近たちが見つめる。フアンの顔の周りには霞がかったような紫煙が――天井にぶら下がった扇風機ファンの届ける生ぬるい風につれゆっくりと室内を廻る。明け方の洋上をよぎる貨物船の汽笛が、遠く聞こえた。


 フアンたちが集まったのは、七つある隠れ家のうちのひとつ。パブロたちの回収と並行してフアンに召集をかけられた主要メンバーは、夜明け前の道路をぶっ飛ばして旧市街の隠れ家へ急行したのだった。


「それより」

 フアンが傍らのエリベルトへ視線を移した。

「ほんとなのか?」

 その問いに、エリベルトは黙って頷く。


 パブロがフアンの右腕なら、エリベルトは左腕だと言っていい。実力行使よりも話し合いでの交渉や組織運営の方が得意なエリベルトは、複数のルートから気になる情報を得ていた。

 ここ数日、メキシコのカルテルがこの街へ人を送りこんできている、と言うのだ。そして、彼らの潜伏する宿を提供するのは『自警団』。


 これは無視できない情報だった。

 最大市場である合衆国へのコカイン密輸ルートを押さえているのは、いまやメキシコのカルテルだ。麻薬取引のもたらす巨額の富を前に止めなく欲と残虐とを肥大化させた彼らは、軍隊並みの装備でメキシコと合衆国との国境地帯を支配し日々洩れなく二桁の死体を生みつづけている。

 彼らに比べれば、この国のカルテルはどれもこれも牧歌的とさえ言ってよい。


「メキシコ相手じゃ勝ち目ねえぜ? どうするフアン?」

 好戦的姿勢で勢力を伸ばしてきた『旅団』ではあったが、犬の身で巨象に戦いを挑むほど愚かではない。


 だが躊躇いを見せる幹部たちを見まわし、フアンは言った。

「勝ち目がねえ、だ? そんなもん、そこらに転がってるもんじゃねえ。勝ち目は自分でこしらえンだよ」

 それから椅子にどかっと腰を下ろし、ふてぶてしい笑みを浮かべて続けた。

「心配すンな。死んだ奴らの仇は必ずとってやる。たっぷり代価を払わせてやンぜ。だが――今は我慢だ。情報を集めろ、味方を探せ。五分に戦えるようになるまでは穴蔵に隠れるさ。ふん! だがこのままでは済まさねえ。メキシコだろうが合衆国ステイツだろうが、おれの道を邪魔しやがる奴がどうなるか、見てやがれ」


 それにしても、とフアンは忌々しげに吐き捨てた。

「爺い、宗旨替えしやがったか。外の連中を街に入れるのをなにより嫌ってたってのに」



  ***



「と、いうわけで」ダニエリと並んで歩くナボが言う。「フアンと縁の深い『太陽の娘』は狙われるリスクありってわけだ。ダニーも気をつけてくれよ?」




 同じ頃、娼館アパートではマカレーナの電話が何度目かの着信音を鳴らしていた。

 遅い朝食のあとの二度寝がそのまま昼にかかっていたマカレーナはベッドから手だけ伸ばして、サイドテーブルの電話を手探りする。やっと見つけた電話のディスプレイには、覚えのない番号。だがマカレーナは頓着しないでコールを取った。

 途端にフアンの声が飛び込んで来た。


「トラブルだ。おれはしばらく地下に潜る。当面連絡はしねえが心配すンな。お前も気をつけろよ。じゃあな」

「ちょっと! それだけじゃ分かんないわ。何があったかちゃんと教えなさいよ」

 電話を切ろうとするフアンに、マカレーナは電話口から手を伸ばしてとっ捕まえようという勢いで問う。

「アロンソの奴が仕掛けてきやがった。敵の規模が分かるまで表には出らンねえ。おれはしばらく潜る。奴ら、お前の店までは来ねえと思うが、念のためだ、しばらく店は閉めとけ。また連絡する」

 一息に話したあと電話は切れた。


「……なんだってのよ」

 マカレーナは電話をベッドに放り投げる。電話は枕に受け止められて跳ね、その上に勢いよく倒れ込んだマカレーナの肢体もベッドの上で揺れた。

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