第58話 アロンソ ⑥波間

 C市の旧市街の外れでは、『自警団』の事務所内の攻防がいよいよ佳境を迎えていた。だがパブロはまだ携帯を耳に当て片手で応射している。なかなか電話を切ろうとしないフアンの、そう珍しくもない気まぐれに、今回もあきらめ気分でつき合うことにしたらしい。


「おい、そろそろ最後の突入なんだけどな?」

「楽勝だろ?」

 返事の代わりに銃弾を三発撃ち込んだ。それを合図に配下の四人がマシンガンの集中砲火を浴びせる。奥の一室にバリケードを築いていた敵の砦は沈黙――その隙を衝いて、陰に潜んでいたセザルがバリケードを乗り越えた。向こうで怒号と銃声が入り乱れた。


「ぼちぼち終わりなんだがな」

「ちぇ。楽しみやがって。最後は警察サツにとっ捕まりやがれ」

「はっ。馬鹿にしてんのか? おれがそんなヘマするとでも?」

 パブロはそう言うが、実は事務所のあるビルは、早くから周辺の通報により警察が動きだし、ビルの周りは警察車両の角灯とサイレンとでさっきから活気づいている。三つある出入り口はすべて固められていた。


 窓から外の様子を覗いて、パブロは嘲るようにうそぶいた。

「銃撃戦に介入できねー腰抜けなんざ、敵じゃねーや」


 そして、次第に銃声が疎らになる前方を寂しげに見やる。

「なあ、いい加減切るぞ? もう言うことねーよな⁉ ねーだろ? これ以上、おれの愉しみを邪魔すんじゃねーー!」



  ***



「ふわあー。退屈」

 デッキチェアに寝そべり大きく伸びをするマカレーナへ、隣のナボが顔を向けた。

「……そりゃ、海に来ておいて泳がないんじゃあな」

 チェアから離れず海へ近寄ろうとしないマカレーナにつき合いナボは横になっているが、それでは鍛え抜かれた肉体も甲斐がない。


「いまごろフアンの奴、どうしてるかな?」

「……さあ。あっちはあっちで、楽しんでんじゃないかな?」

「ナボも、あっちの方がよかった?」

 いたずらな笑みを見せて訊くマカレーナへ、

「おれは断然こっちだね。見なよ、ガビのあのはしゃぎよう。眼福って奴さ。十年若返るね」

「あんた、幾つのじーさまよ?」

 言いながら半身を起こして海を見た。視線の先には、波打ち際で少女ふたりと水をかけあって遊ぶガブリエル。頭上から陽光をまともに浴びて、浅黒い肌が眩しい。

 三人は陽だまりのなかにいるようだ。



 少女ふたりの懇願で、彼女たちがつかまる浮輪を、ガブリエルは足のつかないところまで引っぱって行くことになった。

「やっぱりあたし、帰る」と途中で向きを変えたのはアナマリーア。

 まだぎりぎり着く足で水底の粗い砂を蹴ると、マカレーナの待つパラソル指して泳ぎだした。

 残されたダニエリとガブリエルは目を見合わせる。

「どうする?」

「せっかくだから、行こうよ。もっと先まで」

 すっとガブリエルへ手を差し出した。引っぱって、という合図だ。



 手を引いて歩くうち、じきに足が砂を捉えられなくなったが、ガブリエルは力強く浮輪を押して泳いだ。

 漁村に生まれ育って、気づいたときには海を遊び場にしていたガブリエルの、海に慣れた振る舞いはダニエリをうっとりさせた。水面に顔だけ出して、水を掻くたび肩から腕が浮かび上がる。水に濡れた肩は美しかった。

 水と戯れることに気をとられたガブリエルはダニエリを見ていない。安心してダニエリは眼下のガブリエルに見惚れた。

 腕を動かすたび波とぶつかり飛び散る水しぶき。ひと粒ひと粒に陽の光が反射して水晶のように輝くさまは、口に含みたくなるほどみずみずしい。


「海っていいね」

「生き返る気がするよ」

「……ずっとアパートに籠りっきりだったもんね」

 ごめんね。あたしたちに関わったばっかりに。胸のうちで呟いて、波に濡れたガブリエルの黒髪を撫でた。


「でも、おれまでこんないいとこ連れてきてもらってよかったの?」

「いーのいーの、フアンのトラブルのとばっちりで閉じこめられて、学校にも行けないんだから。このくらいのお詫びはとーぜんってもんよ」

「じゃ、これフアンの奢り?」

「ま、あたしたちにってより、マカレーナへのプレゼントだね」

「へえ。フアンって、気前いいんだ?」

「ま、ね。そんで、恐ろしい人殺し」



 気がつけばずいぶん沖まで出ていた。見わたす限りの海と空。

 波間に浮かぶのはふたりだけ。浜に寝そべるマカレーナたちから、大波がときどきふたりを隠してくれる。

 しばらく潜っていたガブリエルが、海の底から大きな貝を拾ってきた。

 ダニエリが脱いだ帽子のなかには、色とりどりの貝殻がすでに五つばかり入っている。


「うわあ。これもきれいだね」

 よろこんで受け取ったところで、思ったより重たくて落っことしそうになった。

「なにこれ、生きてるやつ?」

「焼いたら旨いぜ」

「ええー? 残酷ぅ」と言って笑ったその笑みを、ダニエリはすっと引っこめた。自分で言った言葉に、マカレーナの残酷な愛人を思い起こしたのだ。


「フアンに近づいちゃだめよ」と、あらためて注意する。


「フアンが恐い男だってのはわかったけど」泳ぐのにようやく飽いたのか、ガブリエルは波間に仰向けに浮かんでのんびりと言う。「そんなに残酷なの? 悪い奴には見えなかったけど。それに、マカレーナの恋人なんだろ? マカレーナって、人を見る目がありそうじゃねえか。そのマカレーナが信頼してるんなら、非道ひどい奴じゃねえと思うな」

「あんたは人を見る目なさそうだね。フアンは、だれだって平気で殺すよ」

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