第108話 罪の女の歌 ⑥迷い

 厳重なボディチェックを経て応接室に通された客は、カリブ地方には珍しくスーツを隙なく着こなす細身の伊達男。エヴァンと名乗って右手を差し出した。


「殺されかけたと聞いたが……無事のようでなによりだ」

「どの話のことだ? 命なら年がら年じゅう狙われてるからな。いちいち覚えてられねんだ」

 空っとぼけて答えるとどかっと椅子に座って、相手にもソファを示した。勧められるままエヴァンは腰を下ろしたが、うしろに従えた部下二人は立ったまま。二人の肌が輝くような褐色なのに対してエヴァンは、支配者であることに慣れた純血白人の顔をしている。彼が今日の『MB』全権だ。


「レストランで、女連れだったらしいな。……ボスからも、お見舞い申し上げるよう言われている」

「お見舞い痛み入る、とでも言うべきとこなんだろうがな。ありゃおめーんとこだろ? 見舞いより先に詫びじゃねーのかよ」

 レナートが棘々しく言うのをじろっと睨んだあと、フアンに向き直った。

「誤解があるようだから、最初に言っておくが――あれは我々とは無関係だ。我々の望みは『旅団』との共存共栄だ。あなたを殺す理由はない」


「それが本当ならいいがな。どうもおれたちの調べじゃあ、ウーゴって野郎が噛んでるらしいんだな。奴を『MB』の次のトップに推す者も多いってえじゃねえか。そんな大物に狙われてるってんじゃおれとしても放っとくわけにはいかねえのさ」

 ウーゴの名が出たときエヴァンはすこし目を細めたが、答えは澄ましたものだ。

「それはない。『旅団』との協調が組織の方針だからな。ウーゴもその方針に反することはできない。約束しよう――我々があなたの命を狙うことは断じてない」


 淡々と話す相手の目の奥を、フアンがいっと覗きこんだ。

「……そういうことにしといてやるよ。だが、なんにせよウーゴがなにしてるか、一度調べることを勧めるぜ」

「忠言は痛み入るが」外した眼鏡をハンカチで拭いて、「組織の統制は我々に任せといてもらおう。外からの口出しは無用だ」

「そうかよ、なら言わねえや。だがおれたちとしちゃ、だれがケンカ売ってきやがったのかは調べるし、相手にはきっちり酬いを受け取ってもらうぜ」

「好きにするがいい。我々とは無関係だ」

「もしあんたらのだれかがやったとしたら?」

「勝手な私闘だ。組織の関知するところではない」眉ひとつ動かさず答えるエヴァンに、フアンはふんと鼻を鳴らした。

「明快な回答ありがとうよ。なら、好きにさせてもらうさ」



 エヴァンが帰ったあとの応接室。隣の隠し部屋に潜んでいたパブロが入ってきて言う。

「奴ら、ウーゴの動きを知らねえのか?」

「んなわけねーだろ。だが、めるつもりはねえらしい。まあいいさ、積極的に支持することもねえってことはわかった。それに、ウーゴを殺してもいいって言ったしな」

「そこまでは言ってねえだろ」

「そうか? とにかく奴の尻尾をつかめ。『MB』の幹部を殺ろうってんだ、大義名分と証拠は必要だ」



  ***



「あれ、ダニーは? またガビんとこ?」

 まだ客もまばらな宵の口。ナボのつくってくれた夜食を持って階段を上ろうとするアナマリーアを、ホールからマカレーナが追って来た。

「今日は寝てる。進級テストがやっと終わって、精魂尽き果てたって感じ。あたしも上がったら寝るよ」

「ねえねえ、あの子たち、楽しくやってんの?」

「たぶん。ここんとこいい顔してる。まだつきあうとこまではいってないみたいだけど……ダニーにはそのぐらいがいんじゃない?」

「え? まだくっついてないの? じれったいわねえ」

「ダニーは繊細なんだよ。マカレーナとは違うの」

 そう言うアナマリーアは、マカレーナとガブリエルとの間になにがあったか知らない。

「アナあんた、ちょっとつついてやんなさいよ」

「あんた絶対面白半分で言ってるでしょ。わるい癖だよ、ゆっくり見守ってやんなよ」



 ホールに戻ったマカレーナは優雅な媚態で客を魅了しながらも、今夜はガブリエルの部屋にダニエリがいないと思うと心がざわついて仕方がなかった。つい杯を重ねて酔いがまわると、ますます気がたかぶった。クロエの部下の刑事がいつも通り酔ったふりで座っているのも今日は許せなかった。

 客の男が腿を撫でる手にもとうとう我慢ならなくなって、思わず立ち上がると、おどろいて見上げる客には構わず歩きだした。向かった先は出口の扉。行き合って道を譲る客へ微笑。門番にはウインク。用心棒を兼ねる門番が恭しく扉を開ける。

「カタリナ」ホールをふり返って軽く声かけた。「ちょっと出かけるわ。店をよろしくね」

 返事は聞かない。止めるに決まっているから。店の前にいたタクシーに乗りこむとガブリエルのアパートの住所を告げた。行ったことはないのになんども胸のなかで繰り返すうち、覚えてしまった住所。



 だがアパートの前に着きタクシーを降りたところで、マカレーナは我に返った。

「なーにやってんだか」

 ガビには会えない。会ってはいけない。二度と会わないと、自分でそう決めたのだ。

 くるんと体を翻して旧市街へ向け歩きだし――数歩進んだところで、足を止めふり返った。アパートに点々と灯る窓の光。あのどこかに、ガビがいる。

「だからどうした」

 未練を振り捨てるように声に出して言うと、どこへ向かうのかも知れないまま人の群れに飛びこみ流れをかき分け歩いた。




 気づけば旧市街と新市街の境にまで来ていた。数軒並ぶクラブのネオンサインがマカレーナを誘う。そのうちの一つに、深く考えもしないでマカレーナはふわふわ迷い込んだ。蝶が花に惹かれるみたいに。

 さっそく声をかけてきた男に笑みだけ返して、ホールの中央で踊る男女の間を通り抜け、飛びこんだ化粧室。鏡に向かうと、肩にかけていたバッグからちいさな紙包みをとり出した。しばらく手のなかで弄んだあと流し台のうえに置いて、あらわれた白い粉末を見下ろした。まだ酔いのなかにいるように、頭がくらくらした。

 粉末を前にまだ迷っていたが――外から足音が近づくのが聞こえてくると急いで紙のうえにストローを当て、鼻から一気に吸いこんだ。


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