第4話 マカレーナ ④審判者

「マカレーナ」マカレーナを追ったダニエリが小声で囁く。「ごめん、ほんとはあたし――」

 言いかける唇をマカレーナは人差し指で押さえて、にっと笑った。

「ほら、堂々とする! あんたなんにも悪くないんだからね」


 だが直後、マカレーナが警官の間を通り過ぎようとしたところで変調は起こった。

っ」小さく上がる、短い声。

 ハイヒールの足首を捻ったのだ。拍子にマカレーナは若い警官の胸に抱きついてしまう。


「痛たた……。ついてない! ちょっと肩かして」

 警官の顔を間近に見上げて、ヴェールからこぼれ出た細い眉を苦しげにひそめて見せる。赤面する若い警官にべったり体を預けて、

「挫いちゃったみたい。ちょっと、あんたたち、その店の人呼んできてちょうだいな」

 と甘い声で言った。耳元で囁かれた警官がふらふらと従いかけるのをホセが制する。

「その手に乗るかよ。こいつらを逃がすつもりだろ?」

「だって、歩けないんだもの。それともあんた、怪我した女を無理に歩かせるつもり?」

 周りの野次馬に流し目で「ねえ?」と同意を求めると、蠱惑された野次馬どもはホセを非難する声で応える。


 なおも睨みつけてくるホセを無視してマカレーナは、広場の中央に置かれたベンチのひとつに座りこんでしまった。ずっと陽に当たっていたためじっとり浮かんでくる汗を扇であおいで、

「警察が呼んできてくれないんなら……仕方ない。ねえ、だれかその店の人呼んできてくれないかしら? ここで確認しようよ」

 野次馬の輪へ向け言うと、幾人かの請け合う声が上がった。マカレーナはうっとりさせる笑みを群衆へ与える。

「ありがと、親切な男って好きよ。ダニー、買った店の名前教えて?」


 すぐには思い出せないのかしばらく考えた後にダニエリが店の名を告げ、野次馬から何人かが走り去った。

 周りを囲んでいた野次馬のうち幾らかは仕事やあるいは買い物へと戻っていくが、まだ半分ばかりは興味を失わずマカレーナたちとともに広場で店の者が来るのを待っている。



 ベンチに腰かけたマカレーナはもう警官と野次馬たちの存在など忘れて、ふたりの少女をからかってはどうにか笑わせようとしている。それからふと、目の前に立つ磔刑たっけいのキリスト像を仰ぎ見た。


 青空市場は公設市場から百メートルと離れていない広場に、公設市場に入ることを許されなかった人びとが集まって自然発生的に形成されたものだ。そのとき目印となったのが広場の中央に立つキリスト像だった。身長一メートルばかりの、決して大きくはないキリスト像。それでも人の背丈ほどある花崗岩の台の上に立つため、市場で取り引きしている者皆が磔刑のキリストを常に目にすることになる。

 人類の救済のためすべての罪を一身に背負って磔刑に処されたキリストが見下ろす下で、この市場の人びとは商売することを選んだのだった。

 幸いなるかなキリストの目を恐れる者! その像は常に市場の人びとに問うのだ。キリストの磔刑に恥じぬ商いをお前たちはしているのか、お前たちは彼の祝福に値する生き方をしているのか、と。


 そのキリスト像を真正面に見据えるマカレーナの眸は、憎しみとも熱愛ともつかない、異様な光を放つ。その眸は、自分は何者にも恥じることはないと言いきっていた。もし神が自分を責めると言うなら神に逆らうことさえ辞さないと、もし世界がダニエリを糾弾するならばそんな世界は滅ぼしてやると、その燃える眸は言っていた。




 ――キリストの前で待っていたのは五分かそこらのことだったろう。

 やがて野次馬たちが店員の手を引っ張り戻って来た。キリスト像の前に立たされた店員はなにごとか理解できないで、なにやらぶつぶつ言っている。

 ここへ連れてきた野次馬のひとりからダニエリとアナマリーアを指し示されると、迷惑そうな表情でふたりを見た。さっと顔を緊張させる少女たち。

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