第102話 カリブの波間 ⑬別れ

 ガブリエルの助けを借りて白砂のうえに起き上がると、その腕のなかでマカレーナはせいいっぱい華やかに笑った。


 どうしたってあんたはあたしを受け止めてくれるのね。やさしいガビ。やっぱりあんたは天使だわ――あたしなんかが手に触れちゃいけなかったのよ。



「あーもう、どんな我儘言っても、あんたはあたしに愛想を尽かしたりしないのね。もういいわ。探しになんか行かなくっていいわよ。帽子は海にあげる」

 目を逸らしたくなるのを、背中を思いきりつねって堪えた。

「あんたってほんと人がいいんだから。怒らせたかったのに、ちっとも怒ったりしないんだもん、ざーんねん。もういいわ、あたしから言うから」かるく、言葉をぽんぽん吐き出した。「あんたとはここまでよ、別れましょ。ごめんね、飽きちゃったの」


 マカレーナの言うことを理解できないで見返すガブリエルに、

「あんたなんか、ちょっとからかっただけよ」といたずらっぽく言った。「愛してなんかいないわ。もう、本気になっちゃって。あんた、可愛いわ。そうゆうとこ、ダニーとお似合いよ」


「嘘だよ。マカレーナ、きみがおれを愛してないって? そんな嘘ついて、どうしたの?」

 本気で心配する目。真っ直ぐな目で見てくるガブリエルへの未練を、マカレーナは振り切った。かるい、ごく軽い口吻くちぶりで返す。


「ちょっとぐらいは愛したかもね」

 あたしに初めて恋を教えてくれたひと。


「ちょっと? ほんとにそれだけ?」

 本心よ。神様にだってそう言うわ、これがあたしの本心。だからそんな心配そうな目で見ないで。


「んふふん。あたしは移り気なの。だれにも縛られやしないわ。あんたみたいな鈍感には、わかんないかもしんないけどね」

 嘘じゃないわ。あんたに会うまでは、あたしは自由だった。なにも恐いものなんてなかった。あんたに恋して、あたしの手足にはかせがかけられたのよ。残酷にあたしに罪を教えて、あたたかくあたしを繋ぎとめて、あたしの胸を甘く締めつける枷。


「からかって悪かったわね。あたしって、ほら、罪深い女だし」

 ほんとよ。あたしあんたを騙して、自分も騙して、わるい女だわ。愛してる。だから、あんたはダニーと幸せになるのよ。


 でも最後にもう一度だけ、触れたい。抱きしめてほしい。これを最後にするから。

 泣きそうになるのを、唇を噛みしめてこらえた。代わりにマカレーナは、全身全霊で笑顔をつくって見せた。いちばんいい顔をガビがいつまでもずっとずっと覚えていてくれるように。


「さ、お別れよ。笑って別れましょ、あとくされなしでね。未練なんて残しちゃだめよ。ストーカーも、化けて出るのもお断り」

 笑って見せる唇がふるえて、ガブリエルの額をつつく指が感覚を失くした。

「やぁだ。そんな辛気臭い顔しないでよ、あたしまでつられて涙こぼしちゃったじゃん」



「……わかった」ずっとマカレーナを見つめていたガブリエルが、しずかに口を開いた。「泣かないで、マカレーナ。これまでありがとう。一緒に過ごせてよかったよ。だから泣かないで」

「泣いてなんかないわ。あんたがあんまり滑稽で憐れだから、つい涙が出るのよ」

 両目からあふれだした涙に、ずっと遠目に見守っていたギャラリーがそれぞれ胸のなかで悲痛な叫びを上げたが、声を出す者はひとりもいなかった。

「先に帰るわ。あんたはもすこしここにいて。そうね……一時間ぐらい。その間にあたしは消えるわ、ホテルにはあんたの荷物だけ残して、あたしは先に帰る」

 話すあいだも涙がつぎからつぎへと流れ落ちた。おかげでたっぷり塗った日焼け止めと化粧が崩れたけれど、それでもやっぱりマカレーナは美しかった。


 ガブリエルに背を向けると、雲を踏むようにふわふわしている足を叱りつけてホテルへと歩きだした。ガブリエルと、ビーチじゅうの男女の視線を背に受け、目を閉じて、だれにも聞こえないちいさな声で言った。

「あたしを赦さないで。憎んで、さげすんで、そんでずっと忘れないで」


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