幕間コラム3(人種)

 ここまで読み進めていただき、ありがとうございます。

 しばらくマカレーナたちのピンチがつづきましたが、ちょっとコラムを挿んでひとやすみ――


 この物語では、「黒人」とか「純血の白人」「褐色の肌」「先住民」といった、肌の色、人種に関した言葉がときどき出てきます。(差別の意図は毛頭ありません。政治・思想・信条等の問題に踏み入るつもりもありません。念のため)


 しくも今年は、Black Lives Matterと、何よりパンデミックが世界を騒然とさせましたが、この物語を書きはじめたときは、まったく想定していませんでした。

 この物語の背景(文字通りの「景色」)として、今後も登場人物の人種や肌の色について語られる機会はあろうと思いますので、簡単に触れておきたいと思います。


 なお、このコラムは飛ばして、本編だけお読みいただいても、まったく支障ありません。


① コロンブス以降の南米の(人口の)歴史を簡単に

 欧州人がアメリカ大陸と出会ってから百年余りの間に、インディオの人口は激減しました。

 当時の欧州人たちは、現代の倫理観からすると到底許されない虐殺や圧政も行ったようですが、実は、人口激減の最大の理由はそこではなく、ウイルスによるものでした。

 一万年にもわたって旧世界と隔絶されていたアメリカ大陸の人類の免疫系は、欧州人の持ち込んだウイルスに対し無防備だったのです。たびたびインディオたちをパンデミックが襲い、半分から、ひどいところでは90%以上もの人口が失われたという研究もあります。

 現在のコロナ禍どころか、欧州のペストをも上回る惨状ですね。

 そこで、激減した先住民の代わりに、労働力として連れてこられたのが、アフリカの黒人だったわけです。


② 人種の坩堝るつぼ

 かつてアメリカ合衆国を指して「人種の坩堝」と称していましたが、現在は「人種のサラダボウル」と呼ぶそうです。つまり、血は混じり合わずに、それぞれの個性を残したまま社会で共存している、ということですね。

 それに比べると、南米は「坩堝」と呼んでよい状況かな、と私は思います。

 南米を歩くと、様々な肌の色した人びととすれ違います。明確に白人、黒人、あるいは日系人と区別できる人も勿論たくさんいますが、それ以上に思うのは、もはやOriginを明確に定義できなさそうな外見の人が実に多い、ということです。

 白人の血が三割ぐらいかな、とか、インディオの面影があるな、とか、あるいは三種ミックスだな、とか。どう見ても日本人ではなさそうな容貌の方が日本語ペラペラだったり。


③ 現代の南米の人種差別観(あくまで、外からちらっと見ての個人的感想です)

 アメリカ合衆国でときどき先鋭化するような根深い対立は、南米では比較的希薄なように思えます。それは純粋の白人・黒人・インディオというものが少数になって、そのいずれの血をも引く、という人が多いのも一因かと思います。

 ただし、今でも昔ながらの生活を堅持するインディオのコミュニティは常に絶滅の危機に晒されていますし、貧民街に行くほど住人の肌の色が濃くなる傾向は確かにあって、「制度的差別」と北米で言われた問題が南米でも存在することは否めません。


 コカ畑やカルテルで生きる人びとの多くは、そういった「肌の色の濃い人」です。


 さて、次からは「フアン編」。ちなみにフアンは、インディオと白人の血が半々に、すこし黒人の面影もあり、という貧民街出身者にありがちな肌の色です。

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