第106話 罪の女の歌 ④恋相談
「ダニー」
ホールにまだ客のまばらな開店直後。暗がりになったあたり、階段の袖に姿を見せたダニエリを、
「なにしに来たのよ。あんたはもう店に出るの禁止って言ったでしょ」
ガブリエルがボーイとして働き始めた頃からダニエリはホールに顔を出さなくなっていたが、ガブリエルが辞めた後またホールに出ようとするダニエリに、マカレーナは今度こそ断固として禁止を言い渡したのだった。
「働こうってんじゃないよ」ホールの様子を覗くダニエリ。「相談があってさ」
「なになに?」さっとその顔がうれしそうな表情に変わる。「なんだって聞いてあげようじゃない、伊達に人生経験積んじゃいないわ」
だがダニエリは素っ気なく、マカレーナから視線を隣に移した。
「カタリナに相談」
「なによ、あたしに相談しなさいよ」マカレーナは不満顔だ。
「…………ガビのことなんだけど」
途端にマカレーナは背を向けホールへ逃げ出した。
「ガビがどうしたって?」
半笑いでマカレーナのうしろ姿を見送りながら続きを促すカタリナ。
ダニエリは口にするのをしばらく躊躇っていたが、
「ガビがね――」
と言いかけたところでまたすこし間を置いて、
「あたしになにもしてくんないの」とちいさな声で言った。
思わず噴き出すカタリナの胸を、顔を赤くしてダニエリが叩く。
「ごめんごめん。いやあダニー、そりゃ心配だよなあ」
無理に笑いを喉の奥に押し込んで、
「こんな可愛い子が目の前にいて、手ぇ出さないなんてなあ? まったくガビの奴は規格外だな。信じらんね」
そこでこほんと咳払いすると、
「あたしにゃあいつの考えてることは想像もつかないけど、」と真面目な顔をつくって言った。「気にしないでいんじゃない? とにかくあいつは普通じゃないよ」
「むー」頬を膨らしダニエリは、「役立たず」とまた胸を叩いて、カウンターのナボに向かった。
「ナボだったら男心がわかる?」
「お姫さまがお尋ねならば」と恭しくポーズをとるナボ。
「当てになんないな」
失礼な発言をまったく気にせずナボは、
「おれにも可愛い少年時代があったわけさ」にっと白い歯を見せた。
「可愛いってのは怪しいけどねー」
まだ客がつかず手持ち無沙汰の女たちがわらわらと寄って来た。ちゃっかりマカレーナもそのなかに交じっている。
「昔っから男が好きだったの?」
「あー、そんときは両方」と秘密らしくもなくあっさり曝して、「そんで、頭んなかはエッチなことでいっぱいなのに、好きな子でだけは妄想できねんだな、これが。なんか、神聖侵すべからず、って感じ? ガビも、そんな風にダニーを思ってんじゃないの?」
そう言うナボの視線に釣られて女たちの視線もダニエリに集まった。
「なんかその解釈、あたしはどうでもいい女って言われてるみたいで、納得いかない」
陰でこそっと囁くマカレーナに、
「ややこしくなるから、あんた黙ってな」とカタリナが嗜める。
すこし安心したようにダニエリの口許にも笑みが浮かんだ。ところがナボは、
「それが
「相手、男になってる」
「なんか眉唾ぁ」
「むちゃくちゃ……って。どんなの? どんなの?」じゅるっと
「てゆっか、ガビ二十歳越してるじゃん」
「参考になんなーい」
かしましい嬌声をものともせず、ナボはすました顔で低音を響かせた。
「そりゃガビはおれとは違うさ」
結局なんにもわからず
「ダニー」
部屋の扉に手をかけ冷たい目を返すダニエリに、急いで階段を四階まで上がったマカレーナは息を弾ませながら言う。
「自信持ちな。ガビはあんたが大好きよ。ガビを幸せにするのはあんたしかいないわ。そんで、あんたを幸せにすんのもガビ」
「うそ」
ちいさく答えて、ダニエリは部屋に入った。マカレーナがそのあとにつづいた。
「勝手に入ってこないでよ」
信じられないって顔して抗議するが、ダイニングテーブルで宿題しながら夜食を食べていたアナマリーアが、
「いーじゃん、あたしらだってさんざん勝手にマカレーナの部屋に入り浸ったんだから」
と引き留めた揚げ句、
「あたしシャワー浴びてくるねー」と席を外してふたりきりにした。
「どうすんのよ。アナに妙な気まわされちゃったじゃん」
氷の目で睨むダニエリは、
「シャワーなんて四、五分だけどね」と苦笑いするマカレーナに
「それだって長いわ」とつれなく返す。
「じゃ、大事なとこだけ言うよ。ガビと幸せになんな、これまでの分ぜんぶ取り返して、幸せになるんだ」
その言葉に、ダニエリはふり返ってマカレーナを見た。マカレーナはめずらしくまじめな顔で見つめ返した。ふたりとも相手の次の言葉を待ってできた沈黙を、やがて奥から聞こえてきたシャワーの水音が破った。
「あたし、そんな資格ないもん」
ダニエリはよわよわしく首を振った。
「あたし、汚れてるから。わるい子だから。あたしは天使に触れちゃいけないの」
「それ言ったら、あたしなんか肺の奥まで泥まみれのどろんこよ?」
「マカレーナはなにしたって汚れないもん」
ダニエリの言葉に、マカレーナはおおきくため息を吐いた。
「あんた、自分のことわかってないのねえ」そう言って、ダニエリと並んで椅子に腰かける。「あんたこそ、汚れてなんかいないわ。どれだけ男があんたのうえを通り過ぎたのか知んないけど、あんたは
「あたしは娼婦よ、十歳のときから」
しょうがないなあ、とマカレーナは笑った。
「男を悦ばせる技巧も知らないくせに」とん、と額を人差し指でつついて。「そんで自分が娼婦だって思ってんならずいぶんな思い上がりだわ」
ダニエリが顔を上げた。その髪をくしゃっと撫でて、
「あんたは紛れもなく
そう言うマカレーナ自身が、娼婦のドレスに身を包んでいるのに、そのときダニエリには聖母のように見えた。
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