第50話 フアン ⑪スコール

 銃声は、まさにフェルナンドがチンピラの襟を掴んで殴ろうとしたそのとき、街へとつづく道の上に轟いた。うめき声を上げたのは、フェルナンドだった。少年たちが目を向けた先で、平生ゴールを決めるたび雄叫びで周囲を盛り上げるエースストライカーが、悲痛なわめき声を上げながら膝を押さえていた。うずくまった背中に、雨が暗い模様をさかんに染みつけていた。


 動きを止めた少年たちの前で、乾いた発砲音が二発、三発とつづいた。彼らの半ばはまた散ろうとした。残り半数は銃弾に立ち竦んで動けなかった。逃げ散ろうとしていた少年たちが足を止めたのは、チンピラたちに背を向けた途端目の前にアロンソを見たからだ。

 アロンソは逃げようとするチームメイトたちとすれ違いながら、銃をぶっ放すギャングたちの方へ進み出た。


「逃げるな」

 静かなアロンソの声は、銃声のなかでもはっきりと皆の耳へ届いた。

 次第に激しくなる雨音と、銃声と、撃たれた少年のえる声にチンピラどもの罵声。そこに混じっていた泥を撥ね上げる足音が止まった。

 少年たちの目に、アロンソの周りだけが、フィルムがこわれたように、音も、動きも、止まって見えた。

 浮足立っていた少年たちは、ふたたび彼らのリーダーとしてアロンソを仰ぎ見た。


 アロンソは撃ってくるチンピラたちを見ず、少年たちを見まわした。

「踏みとどまって戦え。イスマイルの仇を討たなくていいのか?」

 そして胸から回転式拳銃リボルバーを取り出し、ゆっくり前へ向け、狙いを定めて撃った。


 甲高い、乾いた音とともに硝煙がアロンソの周囲に匂うと、いい気で自動式拳銃オートマチックから弾丸を撒き散らしていた男が頭から血を噴いてたおれた。それを見た隣の男が、少ない語彙で悪口雑言を喚きたてながら銃をぶっ放すが、アロンソには当たらない。既に数発無駄に撃っていたその銃は、三発撃ったところでたまが切れた。

 男が弾倉マガジンを交換するあいだもアロンソはゆっくり歩いて男に近づいた。狂ったように雨粒を叩きつけるスコールが、弾倉を男の手のなかでなんども滑らせ、装填を妨げた。

 ようやく初弾を装填して前を向いたとき、すぐそばまで来ていたアロンソが銃を構えるのが目に入った。銃身の奥までが見えてしまう至近距離。男は死の恐怖を間近に感じて、弾を込めた銃を構えることを忘れた。

 アロンソは男を安心させるかのように、うっすらと笑みを見せた。男が呆けたように笑い返すのを見届け、引きがねを引くと頭を撃ち抜いた。



  ***



「……ただの伝説だろ?」

 初めてこの話をしたときの、パブロの第一声だ。そして、「出来過ぎだ」とつづけた。銃弾の飛び交うなかで、十代のガキにそんな肚の据わった行動がそうそう取れるものか。


 山中のコカ畑で、ふたり葉陰にうつぶせ軍警察の捜索をやり過ごしていた間のことだ。そのときもひどいスコールが降っていた。太陽は厚い雲の陰に隠れ、スコールが山を煙らせ、コカ畑にちょっとした泥川のすじを幾つも作っていた。おかげで銃の内部なかまで入りこんでくる泥にフアンはさんざん毒づいたが、その代価に警察犬の探索から逃げおおせるという僥倖をもたらした。


「事実だよ」

 額を伝う雨を拭い、フアンはちぎったコカの葉を齧りながら答えたのだった。

「奴の弟から聞いた」




 アロンソの弟フェルナンドは、膝を撃ち抜かれてフットボール選手になる夢を断たれた空虚を穴埋めするようにしばらく兄の組織を手伝ったあと、堅気に戻った。彼の営む花屋はビーチリゾートの片隅にあってそこそこ繁盛している。いまや八人の孫に囲まれた爺さんだ。


「花か……」

 そうだ、マカレーナに花を持ってってやろう。女ってのはなんであんな、腹の足しにもなンねえものを喜ぶんだか、気が知れねえ――そう胸で吐き捨てながら、受け取ったときのマカレーナの表情を想像して、目を閉じたままフアンは微かに口の端を上げた。

 赤、オレンジ、黄、白……とにかく明るい色の花だ、数も、種類もたくさんの。マカレーナの華奢な両手じゃ抱えきれないほどの。



  ***



 耳障りな急ブレーキの音で、フアンの夢想は中断された。

「……フアン、まずい」

 助手席から振り返ったピオが言う。物憂い目で外を見ると、雨に霞んだ先に、無数のヘッドライトがこちらへ向けられていた。


「何台だ?」

 瞬時に目を覚ますと、傍らの銃を掴んだ。

「十台? もっとか? メキシコ野郎どもだ」

「ちッ……待ち伏せか? だれかおれの行動を洩らしやがったな」

 舌打ちしてふたたび窓の外へ目を遣ると、マシンガンを構えた男たちの姿が、雨のカーテンの先に見えた。ここにも、スコールが近づいていた。

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