第2話 欲望と暴力の町
ウッドロウ王国は大陸北方にある大国である。
豊かな土壌から作られた農作物。
西の山々から採れる鉱山資源。
北海からは海産物が産出され、人々の生活を潤している。
豊かな資源を背景として経済的に恵まれたこの国は、強固な軍事力の下で平和な時代が続いていた。
その大国としての在り様はまさに『太陽の沈まぬ国』である。
貴族も平民も、誰しもウッドロウ王国の平和がこれから先も続いていくことを、当たり前のように信じていた。
だが――強い光の下に色濃い影ができるように、どんなに豊かな国にも『負』の部分が凝り固まった場所があるものだ。
王都の郊外にある『色街』。
多くの娼館や妓楼が店を構えて集まったその街もまた、ウッドロウ王国の光が生み出した影の一部であった。
「うっ……」
その街は、夜だというのに昼間のように明るかった。
通りのあちこちに魔力灯が設置されて町並みを照らしている。魔法によって生み出された人口の光が映し出すのは『娼館』と呼ばれる建物。女が――時には男や子供が、客に一夜の春を売るための店である。
そんな娼館が集まった町の入口に、1人の少年が所在なさげに立っていた。
十代前半ほどの年齢の少年はとても整った顔をしており、優しげな面立ちは中性的で幼い印象を見る者に与える。
色街という『大人の街』には非常に場違いな少年であり、道行く人々や客寄せをしている娼婦の視線を集めていた。
「ゴクリ……。こんな場所に本当にシュバルツ殿下がいるのだろうか……?」
少年がポツリとつぶやく。
彼がこの街にやって来たのは春を買うためではない。人探しをしにきたのだ。
少年の名前はユリウス・イルティス。
ウッドロウ王国に仕える騎士であり、王命によってシュバルツ・ウッドロウを捜索している真っ最中であった。
今をさかのぼること5年前。
シュバルツは弟のヴァイス・ウッドロウとの王位継承戦に敗れ、『王太子』の地位を弟に持っていかれることになった。
元々、魔力が極端に少ないというハンデキャップを背負っていたシュバルツは、この敗北を契機に王宮内での居場所を失ってしまう。
王宮にいても貴族や使用人から蔑まれる日々。疎まれ、嘲笑われる生活に辟易したシュバルツは、王宮を出奔して行方をくらませたのである。
王族としての籍こそ残しているが、『失格王子』と呼ばれるシュバルツをあえて探そうとする者はいなかった。
1ヵ月前にとある事情で王命による捜索が始められるまで、5年以上もシュバルツは消息を絶っていたのである。
シュバルツを捜索する命令が出されて1ヵ月。
王太子となった双子の弟とよく似た顔立ちの人物が、この色街でたびたび目撃されているとの情報が入った。
それはウワサ話程度で信憑性の薄い情報だったが……その真偽を確かめるべく、ユリウスは色街を訪れたのである。
「どうして、シュバルツ殿下がこのような街に……? 王族ともあろう御方が、こんな汚れた場所に住んでいるなんて信じられないな……」
若く潔癖な性格のユリウスにとって、『色街』という場所は汚れた欲望の坩堝というイメージしかない。
そこにいる人間は、客も娼婦も平等に汚らわしい存在であると偏見を抱いていた。
そんな街に王族であるシュバルツがいるというのは信じがたい話であったが、目撃情報が上がっている以上、確認しないわけにはいかない。
ユリウスは意を決して色街に足を踏み入れ、娼館や妓楼が並んだ通りを歩いて行く。
「あら、可愛い男の子ね。こっちで遊んでいかない?」
「うわっ!?」
可愛らしい顔立ちのユリウスに艶やかなドレスを着た女が声をかける。
誘うような、揶揄うような客寄せにユリウスはビクリと肩を震わせながら、キッと睨みつけるように路上に立っていた娼婦を睨みつける。
「わ、私は女性を買いにきたのではない! 人探しに来たのだ!」
「あら、そうなの? 残念ねえ。年下の男の子は大好きだったのに」
「……この辺りに銀髪黒眼で年齢が20前後の青年を知らないか? 名前は……『バルト』と名乗っているらしいのだが」
「バルト……? ああ、バルトの若旦那ね。知っているわよ。有名人だもの」
少年の問いに、紫髪の娼婦が首を傾げて答えた。
「何年か前から、この界隈で見かけるようになった御仁ねえ。噂では大商人の跡取り息子だとか、上級貴族のご落胤だとか。高級妓女から場末の街娼まで、派手に金をバラまいている有名な遊び人よ」
「あ、遊び人?」
「ええ、私も何度か相手をしたことがあるわあ。気前もいいし、偉ぶらないし、それにとおっても
「…………」
生々しい女の発言にユリウスが顔をひきつらせた。
純情な少年には刺激が強い話である。本来であれば、崇めて敬愛するべき王族のスキャンダラスな話題を受けて、ユリウスは居心地が悪そうに目線をさまよわせる。
「そ、それで……『バルトの若旦那』とやらは何処に行けば会えるのだろうか?」
「そうねえ……。あの御仁は宿なしで決まった場所に暮らしていないはずだけど……街の中央にある『朱の鳥』という高級娼館をよく利用してると思うわあ」
「そ、そうか。情報提供に感謝する」
「あ……」
知りたい情報を聞き出すと、ユリウスはそそくさと紫髪の娼婦から離れていった。
途中で何度か女性から、時には男性からも声をかけられてしまったが……立ち止まることなくユリウスは色街を進んでいく。
一刻も早く用事を済ませて色街から出たかった。
誘惑してくる女にも、何を勘違いしたのか自分を『男娼』と勘違いして声をかけてくる男にも、ユリウスはすっかり参っていた。
「まったく……。よりにもよって、どうしてこんな街にいるんだ。シュバルツ殿下がよもや色狂いだったなんて……王族の自覚はもうないのだろうか?」
ユリウスは苛立ちながらずんずんと足を進めていく。
一歩進むごとにフラストレーションが溜まっていく。こんな事ならば、別の人間に任せてしまえばよかった。
王命を果たす栄誉を得るために自ら志願してシュバルツを探しにきたが、それが仇になってしまったようである。
「えっと……店はこっちだったな」
悶々と、鬱々と溜息を吐くユリウスであったが……あと少しで目的の店にたどり着こうというところで大きな怒号が響いてきた。
「ふざけるなあああああアアアアアッ! よくも騙したなああああああアアアアアッ!」
「ムッ……?」
騎士としての癖で思わず身構えてしまう。
腰にさげた剣の柄を握りしめ、声がした方向を鋭く睨みつける。
声の主は20メートルほど離れた場所にいた。
見上げるような大男が女性の腕をひねり上げ、大声で喚き散らしていたのである。
「我だけを愛していると言ったではないか!? 他の男に尻を振りおって……よくも騙してくれたな、この淫売めがあああああアアアアアッ!」
「痛っ……やめて、誰か助けてくださいませ……!」
大男が女の腕を掴んだまま怒声を発した。
大男は獣の皮をそのまま被ったような粗野な格好をしており、女は安物のドレスを身に纏っている。
どうやら、娼婦と客が痴話喧嘩を起こしているらしい。痴話喧嘩とは言ったものの……実際は男が女に対して一方的に乱暴を働いており、女の顔には殴られたような青アザができていた。
「下種め、婦女子になんて酷いことを……!」
ユリウスは娼婦を汚らわしい存在であると思っていたが、だからといって暴力を振るわれていいとは思っていない。
男がか弱い女に手を上げるなど許しがたい横暴である。目の前で行われる蛮行を止めるべく、目的を後回しにして2人のほうに足を向けた。
「お、おいおい! やめときなよ、ケガするぜ!」
大男に向かって行くユリウスに、道行く通行人が慌てて声をかけてくる。
「止めないでくれ! 女性に手を上げるような卑劣漢を放ってはおけない!」
「やめとけって言ってるだろ! 頭の角を見ろよ。あの男は人間じゃねえ。亜人種……オーガだよ!」
「オーガ……?」
ユリウスが怪訝な目つきを大男の頭部に向ける。
2メートルを超す巨体の頭部には、左右それぞれに牛のような角が生えていた。どうやら、男は人間ではなく
大鬼族は人間のように魔法を使うことはできないものの、常人の数倍の腕力を持っていることで知られていた。
強力な魔法使いがいれば話は別だが……力ずくで取り押さえるとなれば、兵士が十人以上は必要だろう。
「だからといって見捨てることはできない! このままでは、あの女性が殺されてしまうかもしれないぞ!?」
「……それも仕方がねえだろうが。この街じゃあ、珍しくもないことさ。ガキにはわからないかもしれねえけどな」
通行人の男は困ったように頭を掻いた。
実際、このような痴話喧嘩は色街においてありふれたものなのだろう。
娼婦は男性を客として相手をするが、客の方が勘違いをして本気になってしまうことは珍しくもない。
男が独占欲から相手の女に狼藉を働いたり、一人の女を取り合って別の男と諍いをおこしたり……そんな騒動にいちいち首を突っ込んでいたら命がいくつあっても足りない。
しかし……それでもユリウスには見て見ぬふりは出来なかった。
「忠告、感謝しよう。だが……それでも彼女は助けねばならない。目の前で理不尽な暴力にさらされている女性を見捨てられない!」
ユリウスはキッと強い眼差しをオーガに向けた。
色街に来るにあたって身分を隠しているが、ユリウスは王宮に仕える騎士である。一人の騎士として、理不尽な暴力を受けている女性を放置することなどできなかった。
ユリウスは迷うことなく大男に向かって歩いて行く。
上流階級出身のユリウスは魔法が使えるが……騎士としての経験は浅く、実戦に出たことはほとんどなかった。
対して、大鬼族の男は身体のあちこちに刃物の傷があり、背中には年季の入った大剣を背負っている。おそらく、貴族の用心棒か傭兵というところだろう。いかにも荒事に慣れていそうである。
勝ち目は薄い。
だが……それでも、ユリウスに引くという選択肢はなかった。
(魔法と剣を使って先制攻撃。どうにかして相手を怯ませ、女性を抱えて路地裏に逃げて……)
女性を救出する算段をつけながら、ユリウスは腰の剣に手をかける。
あと数メートルで大男の元までたどり着く。近づいてくる少年に気がつき、大鬼族の男が吊り上がった眼を向けてきて……
「
ユリウスが剣を抜いて斬りかかるよりも早く、オーガに声をかける人間がいた。
オーガの背中に暴言を吐きつけたのは20前後の年齢の青年である。精悍な顔立ちから強い眼光を放ち、二回り以上は巨大なオーガを睨みつけている。
「我に言っているのかあ? 人間ごときがあ!?」
自分に向けられた暴言に形相を歪め、オーガが青年に目を向ける。
それは不思議な雰囲気の青年だった。黒と白が入り混じった不思議な色合いの髪。精悍に整った相貌は人目を惹きつけるもので、『色男』と呼んでも過言はない。
何より……黒い瞳には欠片ほどの恐怖もなく、見上げるほどの巨体のオーガを相手に少しも怯えた様子がなかった。
「グウ……」
「あ……」
その強い眼光に気圧されたのか、オーガがわずかにうろたえた様子を見せる。
一方で、オーガを挟んで反対側から青年の姿を見たユリウスもまた、動揺に目を見開いてしまう。
「あの御方はまさか……!」
ユリウスがその人物に会うのは初めてである。
だが……その美しくも男らしい顔つき。銀色の髪、漆黒の瞳には見覚えがあった。それと全く同じ身体的特徴を有した人間と面識があったのだ。
「シュバルツ・ウッドロウ殿下……!」
王太子であるヴァイス・ウッドロウと同じ容姿を持った青年は、この世に1人しかいない。
シュバルツ・ウッドロウ。
行方不明となっているもう1人の王子。ユリウスの探し人がそこに立っていたのである。
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