第20話 商談と戦争(下)


 荒々しいキスに翻弄されて硬直していたクレスタであったが……やがて思い出したようにハッと瞳を見開いた。


「っ……この!」


「おっと……!?」


 クレスタはスーツの下に隠していたナイフを取り出し、傍若無人な男を斬りつける。

 シュバルツは瞬発的に後方に飛び退いて襲いかかる刃をやり過ごした。


「おっかないな。当たったらどうするんだよ」


 クレスタの手に握られたナイフには奇妙な文様が彫られており、淡く赤い光をまとっている。確実に何らかの魔法が込められたマジックアイテムである。


「かすっただけでも何が起こるかわからないな……服の下に刃物を隠しているとか、常識知らずな女め」


 自分がしたことを棚に上げてシュバルツが憮然として言う。

 一方で、唇を奪われたクレスタは手の甲で口元をぬぐいながら、烈火の視線とナイフの先端をシュバルツへと向ける。


「よくも乙女の唇を嬲ってくれたなあ! これは高くつくで!?」


「ほう、随分と動揺しているじゃないか。ひょっとして初めてだったのか?」


「五月蠅いわ!」


 クレスタが怒鳴る。先ほどまでの商売人としての冷静な口調はすっかり消え去っている。

 どうやら……初めてという指摘は正鵠を射ていたようだ。シュバルツが予想していた以上にクレスタは動揺していた。


(コイツの弱点を見つけたな。どうやら、男に免疫はないらしい)


 考えても見れば……クレスタは王太子妃となるために嫁いできたのだ。

 生娘であることくらい確認されているだろう。この様子だと恋愛をしたことすらないかもしれない。


「……ストイックなことだ。人生はリンゴの果実と一緒。ちょっとくらい腐ったほうが美味いんだぜ?」


「何を言うとるかわからんけど……アンタは許さへん。ここで確実に潰す!」


 クレスタは警戒した様子でナイフを向けながら……タイトスカートの裾に手を入れて、太腿のあたりに隠していた『何か』を取り出す。どうやら、まだ服の下に何らかの道具を隠していたようである。

 取り出されたのはシュバルツが見たことのない形状の物体だった。手のひらほどの大きさで、材質はおそらく鉄。持ち手となる部分から筒のような部品が伸びており、中央に空いた穴が不気味にシュバルツに向けられている。


「っ……!」


 それは本能的な直観だった。

 背筋をざわりと撫でた危機感に動かされ、シュバルツは横に飛び退いた。


「くたばりや!」


「うおっ!?」


 謎の物体が火花を散らし、「ズダンッ」と何かがはじける音が鳴る。

 直後……小さな弾丸が先ほどまでシュバルツがいた空間を通り抜けていき、背後の壁に小さな穴を穿つ。


「飛び道具のマジックアイテムかよ!? どんだけ武器を仕込んでいやがる!」


「女の身体は三千世界や! 何が出てくるかわからんで!」


「うおわあっ!?」


 クレスタは左手に構えていたナイフを投げ捨て、右手に持っている『何か』と同じ物体をさらに取り出した。

 左右の手に握られた『何か』が火を噴いて、次々と放たれる弾丸がシュバルツを襲う。


「女を弄んだ罰や! 地獄に堕ちいや!!」


「っ……シャレにならんぞ、それは!」


「女の唇を奪っといてシャレで済むわけないやろが! ウチが18年間守っていたみさお……アンタの残りの人生で償ってもらうわ!」


「操って、キスくらいで大袈裟な……うおおおおおおおおおおおっ!?」


 飛んでくる弾丸をシュバルツは慌てて躱していく。

 弾丸の速さは目にも止まらないほど。弾丸が放たれた後で回避するのは不可能である。瞬時にクレスタが持つ『何か』の性質を理解したシュバルツは、とにかく照準を合わせられないように動き続けた。


はやっ……バケモンか、自分は!」


 必死に逃げ回るシュバルツに対して、クレスタもまた焦りの表情を浮かべている。

 シュバルツは床を蹴り、壁を蹴り、天井まで蹴って重力を無視した動きで弾丸を避けていた。曲芸じみた縦横無尽な動きはまるで魔法のようである。


「魔法が使えんとか聞いたけど嘘やったん!? その動きは不気味過ぎるやろ!」


「魔法なんて使わなくても、訓練すれば誰だってこれくらいできるっての……あぶなっ!?」


 頭頂部スレスレを飛んでいった弾丸に肝を冷やしつつ、シュバルツは逆転のチャンスが巡ってくるのを待った。


 迂闊に飛び込むのは危険である。だが……いずれは終わりの時がやってくるだろう。

 マジックアイテムを使用するためには魔力を消耗する。使用者の魔力を消費する場合もあれば、事前にアイテムの内部に充填されていた魔力を消費する場合もあった。

 シュバルツが弾丸にあたってしまうのが先か。それとも、クレスタの武器が魔力切れを起こすのが先か。

 シュバルツは己の勝利を信じてひたすら回避を続けた。


「…………!」


 その時は、シュバルツが思っていたよりも早くに訪れた。

 クレスタの手に握られた『何か』がカチカチと乾いた音を鳴らす。けれど、弾丸は発射されない。どうやら……早くも魔力切れを起こしたらしい。


「くっ……この……!」


「好機!」


 シュバルツが天井を蹴り、鷹がウサギに襲いかかるようにクレスタに飛びかかる。

 クレスタはまたしても服の下から武器を取り出そうとするが……それよりも先に、シュバルツがその両腕を拘束する。


「あ……!」


 クレスタは床に押し倒され、両手を拘束されて身動きを封じられてしまった。

 シュバルツは危機を乗り越えたことで安堵の息をつくが……まだ勝敗はついてはいなかった。


「油断したらいかんよ! 水よ切り裂け──ウォーターカッター!」


「っ……!」


 男の手に抑えられたクレスタの手に魔力が集中する。

 てっきり魔力切れを起こしているかと思いきや、謎の武器はクレスタの魔力を消耗して攻撃したわけではないようだ。

 両手が拘束されていたとしても魔法を使うことはできる。クレスタの眼前に集まった魔力は水の刃へと変換され、シュバルツを切り裂こうとして……


「マジックキャンセラー」


「っ……!」


 突如として、掻き消されてしまう。

 自分の魔法が消されたことでクレスタが愕然とした顔になるが、シュバルツは何もしていない。

 何かをしたのは2人とは別の第三者だった。


「相手が女性だと思って油断しましたね。らしくもないミスですこと」


「っ……!?」


 いつの間にか、隣の部屋と繋がっている扉が開いていた。

 扉の前に立っているのは待機しているはずのクレスタの部下ではなく、黒衣の装束を着た黒髪の女性である。

 女性の掌は揉み合って床に倒れる2人へ向けられていた。クレスタは瞬時に悟る。あの見知らぬ女性が何らかの手段で自分の魔法を撃ち消したのだと。

 そして……隣の部屋にいたはずの自分の部下は、この女によって無力化されたのだと。


「アンタ……!」


「悪いな。寝ていろ」


「かっ……!」


 クレスタの首にシュバルツの手が当てられ……ゆっくりと絞め落とす。目の前が真っ暗になり、クレスタはそのまま意識を失ってしまった。


「…………!」


 薄れゆく意識の中で最後に目に入ってきたのは……自分のファーストキスを奪った男の憎たらしい顔であった。






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