第19話 商談と戦争(中)


「はあ……予想以上にアホやなあ。自分」


 クレスタが処置なしとばかりに首を振る。


 熟練の商売人であるクレスタであったが、今回は商談の相手を間違えたようだ。

 現実が見えていない夢想家も、理性を持たないケダモノも、商売の相手としては向いていない。

 水晶妃は、シュバルツ・ウッドロウという男を会話をするに値しない愚物であると判断した。


「そんな都合のいい理屈が通用すると思ってるん? それに……『俺の女になれ』やって? 追い詰められ過ぎて頭の中に虫が湧いてしもうたみたいやな。ほんまに可哀そうやわ」


「同情してくれてありがとうよ。だが……俺は女を口説くときにはいつも真剣だ。世辞も冗談も言わん」


「冗談やないのなら狂うとるというわけやな。どうやら、アンタとの商談はここまでみたいや」


 クレスタがイスから立ち上がり、シュバルツを冷たく睨みつける。


「ウチが女やと思って舐めとるみたいやな? 2人きりになったのを利用して、力ずくでものにするつもりかもしれんけど……いくら何でも、何の策もなしに男と逢引きなんてせえへんわ」


「む……!」


 クレスタがドレスの胸元に手を入れる。思わず目を見張ったシュバルツの視線の先……取り出されたのは小指ほどのサイズの銀色の円筒だった。


「それは……笛か?」


「そうや。マジックアイテムでも何でもあらへん。持ち運びが便利なだけのタダの笛や。ウチがコレを吹いたら護衛の部下が部屋に入ってくることになっとる……ウチに手を出したら、どうなるかわかるやろ?」


「ほお……1体1。タイマンの商談じゃなかったのか?」


 シュバルツがテーブルの上に置かれたマジックアイテムに目を向ける。

『防音』の効果があるマジックアイテムは確かに起動していた。この部屋から外に音は漏れないはずである。


「悪いなあ、ちょっとだけ嘘をつかせてもらったわ。その『防音』のマジックアイテムは中をちょっと弄ってあってな。効果範囲を少し広めに設定しとるんや。隣の部屋まではカバーしとるから、そこまでは音は届くで?」


「ああ……そういうことか。俺は最初から嵌められていたわけか」


「商売人の用心深さを侮ったらあかん。敵のホームに乗り込むんやから、これくらいの仕掛けは当然するやろ?」


「…………」


 言い込められたシュバルツの視線の先──クレスタが銀色の笛に唇をつける。


「さあ、どうするん? 床に頭を擦りつけて許しを請うのなら勘弁してやってもええよ? 商談の続きは国王とするから、そん時に息子の不手際分だけ勉強してもらうわ」


 揶揄からかうように、勝ち誇ったようにクレスタは言う。

 追い詰められたシュバルツであったが……突如として「ハッ!」と破顔した。


「吹けよ、その笛を」


「は……?」


「仲間を呼べって言ってんだよ。さっさとしやがれ」


 シュバルツは傲然とした笑みを浮かべて両手を広げる。


「弱者は群れるものと相場が決まっている。独りが不安だったら仲間でも何でも呼んでみやがれ!」


「……自分、ほんまに頭がどうかしとるんと違う? 護衛よりも、医者を呼んだ方がええか?」


 クレスタは狂人を見ているかのように表情を引きつらせた。

 正体不明の自信はいっそ不気味ですらあり、まるで追い詰められているのがクレスタのほうではないかとすら思わせる。


「そこまでゆうなら……やらせてもらうわ! 後悔しても知らんよ!」


 目の前の不敵な男への恐怖を振り払うように、クレスタは勢いよく笛に息を吹きかける。ピーッと甲高い音が部屋の中に鳴り響く。


「…………」


 シュバルツは動かない。

 イスから立ち上がった姿勢のまま、じっと目を閉じている。


「…………は?」


 5秒。10秒。20秒と時間が経ち、クレスタが青い瞳を大きく目を見開いた。

 隣の部屋で待機しているはずの護衛が入ってこない。一向に現れない味方に、思わず声を張り上げる。


「ちょ……何やっとるん!? 早く入ってきいや!」


「どうやら……お仲間は来ないようだな。アテが外れたか?」


「…………!?」


 嘲るようなシュバルツの声はゾッとするほど近くから放たれた。

 いったい、いつの間に移動したのだろうか。さっきまでテーブルを隔てた先にいたはずのシュバルツが眼前に立っていたのだ。


「く……!」


「遅い」


 シュバルツがクレスタの腕を掴む。銀色の笛が床に落ちてカランコロンと音を鳴らす。

 慌てて男の手を振り払おうとするクレスタであったが……直後、シュバルツが予想外の行動に出た。


「はんっ……!?」


 シュバルツの唇がクレスタの唇に重ねられる。

 キスをされた──そう認識すると同時に、口腔内に異物が入り込んだ。

 シュバルツの舌がクレスタの口内に差し入れられる。不躾な侵入者は我が物顔で口の内部を蹂躙し、クレスタの舌まで絡めとられてしまう。


「んんっ……!?」


 クレスタの肩がビクリと跳ねる。

 それは商売人の道を歩み、金以外を信用していない女にとって、生まれて初めて感じる官能の愉悦であった。

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