第17話 水晶宮
その日の夜半。人々が静まり返った時間を見計らってシュバルツは後宮へと訪れた。
後宮の入口には当然のように警備の兵士が立っていたが……彼らはシュバルツの姿を見るや、門を開いて中へと招き入れる。
「気をつけろよ、バルト」
「ああ、サンキューな」
顔見知りの相手と挨拶を交わし、シュバルツは男子禁制の女の園へと足を踏み入れた。
門を守っていた兵士であったが……彼らは王宮に潜り込んでいた『夜啼鳥』の構成員である。シュバルツにとっては仕事を一緒にしたこともある仲間だった。
シュバルツはマジックアイテムを通じて、今晩、後宮に忍びこんで水晶妃に会わなくてはいけないこと。そのために助けが欲しいことをクロハに頼んだ。
それから半刻と待つことなくクロハがシュバルツのところにやってきたのだが……クロハの口から、後宮の警備兵に仲間を潜り込ませていて簡単に中に入れることを告げられた。
警備をかいくぐって後宮に侵入するまでが1つの難題であると考えていたというのに、拍子抜けするほどあっさりとした解決である。
(たぶん……いや、間違いなく俺が後宮に忍び込むことを事前に予期していたんだな。アイツ、いつからこの展開を読んでいたんだ?)
まるで未来予知の力でもあるのではないかと思えるほど用意周到な行動である。準備が良すぎて、かえって疑わしく思えしまう。
(クロハは俺をこの国の王にしたがっているようだが……いったい、いつから計画していたんだろうな? ひょっとしたら、ずっと前から俺はアイツの手の平の上で踊らされてたんじゃ……?)
「……恐ろしい女だ。自分の行動が自分の意志によるものなのか、わからなくなってきたぜ」
後宮に侵入をはたしたシュバルツは、たどり着いた『水晶宮』を見上げて深々と嘆息をした。
『水晶宮』はその名の通り、水晶妃であるクレスタ・ローゼンハイドのための宮殿である。
後宮にいる妃にはそれぞれに屋敷が用意されているが、中でも4人の上級妃には小さな宮殿が与えられていた
水晶をかたどっているのか水色の色彩が施された門扉。そこには、1人の女官が待ち構えている。
「……お待ちしてはりました。シュバルツ殿下」
当然のようにシュバルツを本名で呼んでくるその女官は、ウッドロウ王国が用意した人間ではなくクレスタが故郷から連れてきた使用人だった。口調にもわずかに北方なまりが混じっている。
「お嬢様が待ってはります。人払いは済ませてますので、どうぞこちらへ……」
「ああ……案内を頼む」
女官の案内で、シュバルツは深夜の水晶宮へと足を踏み入れた。
建物の中は静まり返っている。すでにここで働いている女官や使用人は寝静まっているのだろう。
案内されたのは1番奥の部屋。水晶妃に与えられた寝室だった。
(いきなり寝室に通されるとはな。まあ、色っぽい用件ではないのだろうが)
女官がノックをするとすぐに返事が返ってきた。扉が開かれて中に招かれる。
「よう来てくれはったなあ、シュバルツ殿下」
「…………」
部屋に入ると、そこには水晶妃──クレスタ・ローゼンハイドが待ち構えていた。
イスから立ち上がって出迎えてくれたクレスタは昼間の茶会のようなドレスではなく、女性もののスーツのような衣装を身につけている。
控えめな装飾があしらわれたシャツとスーツ、タイトスカートはクレスタに非常に似合っており、ドレスなどよりよほど様になっているように見えた。
シュバルツが部屋に入るとすぐに女官が出ていってしまう。寝室にはシュバルツとクレスタだけが残された。
「ふふ……こんな時間に殿方を寝室に招くのは初めてや。思ったよりも緊張しますなあ」
「私もスーツ姿の女性に出迎えてられたのは初めてですよ。とても良くお似合いです」
「お世辞でも嬉しいわあ。ところで……そんな改まったような口調はせんでもええよ? ここはウチと旦那さんしかおらん。盗み聞きできへんように『音消し』のマジックアイテムも仕掛けてるからなあ」
クレスタが部屋の中央に置かれたテーブルに目を向ける。
そこには円筒形の置物のようなものが置かれており、その表面には淡くにじむような光を発する幾何学的な文様が描かれていた。
「これはウチの商会で取り扱っとるマジックアイテムの1つで、一定範囲内の音が外に漏れんようにするものや。これから話す内容は他のもんには聞かせられへんからなあ」
「おや、そうなのですか? どんな話をしていただけるのか楽しみですね」
「そうやろ? わかっとるくせに惚けるのはなしや」
クレスタが確信を持った目でシュバルツを見据える。
「アンタが『ヴァイス・ウッドロウ』でないことはわかっとる。もう演技は必要ないわ」
「…………」
「正体をみせや。5年前に王宮を出奔して行方不明になっとるはずのシュバルツ・ウッドロウはん?」
「……そうかよ。そこまでバレているのなら畏まった口調は必要ないな」
どうやら、カマをかけているわけではなく本当にシュバルツの正体を見抜いているようだ。
シュバルツは『ヴァイス・ウッドロウ』の仮面を脱ぎ捨て、素の自分になって口を開く。
「こうやって遠慮なく話せるのはかえって有り難いな。敬語は苦手だから疲れるんだ」
「へえ……それが素の口調なんやな。ええやん、そっちの方がウチの好みやわ」
「どうもありがとう……それで、そろそろ話してくれないか? いったいどうやって俺の正体を見抜いたんだよ?」
「そんなに焦るもんやないわ。それも含めて……これから商談をしようやないの」
「商談……?」
「そう……商談は戦争。弁舌という剣と槍で戦う命のやりとりや。タイマンの勝負といこうやないの」
クレスタはテーブルに置かれたイスに座り、対面のイスにシュバルツを促す。
拒否する理由はない。シュバルツは警戒しながらも言われるがままに腰かけた。
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