第86話 逢魔が時

「ん……?」


「どうかされましたか、シュバルツ殿下?」


 いつものように後宮に通おうとしたシュバルツであったが……ふと背筋に悪寒を感じて立ち止まった。

 後宮に向かう道にはシュバルツと供のユリウス以外は誰もいない。特に不穏な気配があるということでもないのだが。


「いや、何でもない……こともないな。嫌な予感がする」


「はあ?」


 ユリウスが目を白黒とさせる。

 呆れた様子のユリウスであったが……シュバルツは答えることなく、周囲に警戒の目を向けた。

 長年、裏社会の人間として培ってきた経験が言っている。自分の身に何か危険が迫っているということを。

 背筋がざわつく感覚。死神の鎌を首筋につきつけられているような……そんな不穏な予感に額に汗が流れる。


(気のせいではないな……これはもう確信。また、どこかの国か貴族が暗殺者でもさし向けてきやがったか?)


 ヴァイスとして王宮に戻ってきて以来、シュバルツは何度となく命を狙われていた。

 相手は何者かが差し向けてきた暗殺者であったり、堕とさなくてはいけない上級妃であったり、様々である。

 シュバルツの予感はすぐに的中することになった。

 それまで誰もいなかった後宮への道中に、複数の気配が出現したのである。


「シュバルツ殿下……!」


「わかっている……油断するなよ」


 遅れて、ユリウスも不穏な気配に気がついたのだろう。男装の女騎士が腰の剣を抜いて構えた。

 二人が臨戦態勢をとって十秒ほど。前後の道から正体不明の男達が現れる。


「コイツらは……?」


 現れたのはいかにも怪しそうな黒ずくめの男……などではない。

 見なりの良い男が前方から一人。後方から一人。年齢はどちらも二十代後半ほど。身なりからして貴族のように見える。


「何者ですか、貴方達は!」


 前後から近づいてくる男達に向かって、ユリウスが声を張り上げた。


「こちらにいらっしゃる御方を誰だと思っているのですか!? 王太子であるヴァイス・ウッドロウ殿下ですよ!」


「知っているとも、偽物のヴァイス・ウッドロウだろう?」


「…………!」


 前方から歩いてきた男が口を開く。

 厳めしい表情をした陰鬱そうな男が、シュバルツの正体を言い当てる。


「シュバルツ・ウッドロウ。魔法を使うこともできず継承戦で惨敗。あっさりと王宮から逃げ出した『魔力無しの失格王子』だろう?」


「ハハッ! 王家の出涸らし。母親の腹の内で魔力を全部吸い取られた無能者だ! 笑えるよなあ!」


 続いて、後方にいる軽薄そうな男も嘲笑をする。

 陰鬱な男と、軽薄そうな男。性格はまるで異なるようだが……彼らはどちらもシュバルツの正体を把握しており、その上で敵対するつもりのようだ。


「俺の正体を知っているか……雇い主の名前を吐けよ。素直に口を割るのであれば楽に殺してやるぜ?」


 シュバルツが前方の男に向けて言葉を投げかける。もちろん、そうしている間も後方の男への注意は怠らない。


「魔力を持たない無能者と話すことなど何もない。貴様のような男がヴァイス殿下の名前を騙っているなど吐き気がする。ここで死ぬがいい」


「ああ……その類の連中か。理解できたよ」


 以前にも、『魔力至上主義』を掲げている輩がシュバルツを襲撃したことがあった。

 彼らはいずれも魔法が使えるだけで大した戦闘能力を持っておらず、あっさりとシュバルツに鎮圧されたのだが。


(コイツらも同じような連中なのだろうが……前に襲ってきた奴らとはレベルが違うな)


 ヒリヒリと伝わってくる殺意から、シュバルツはおおよその力を把握する。

 目の前の連中がどのような経歴を持っているかは知らないが、腕前はかなりのものだった。

 変装することなく、顔もさらして襲撃を仕掛けてきたのも、ここで確実にシュバルツを仕留めることができるという自信のあらわれに違いない。


(ここで殺すから身元がバレることはない……舐められたものだな)


「いいぜ……相手になってやるよ!」


 目の前の相手を殺害することを決めて、シュバルツは剣の柄に手をかけた。

 出来るならば生け捕りにして首謀者の名前を聞き出したいところだが……その選択肢を即座に放棄する。

 この敵は生け捕りにできるほど甘い相手ではない。

 誰に雇われてここにいるのかは知らないが、生半可な覚悟で戦えば足元をすくわれてしまうだろう。


「先手必勝!」


「シュバルツ殿下!?」


 ユリウスをその場において、シュバルツが前方に向けて飛び出した。

 経験から判断した観察によると……前方の相手の方が手ごわそうだ。後ろの軽薄そうな男をユリウスに任せて、シュバルツは陰鬱な男を片付けにかかった。

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