第85話 王妃ヴァイオレット


「ヴァイオレット、お前はこの部屋に招いていないが?」


 突如として扉を開いて現れた王妃に、グラオスが苦い顔になって口を開く。

 王の眉間にはクッキリと深い皺が刻まれており、ヴァイオレットの登場を快く思っていないことは明らかである。

 国王と王妃が不仲であることは、この場にいる誰もが知っていることだった。

 グラオスの妃はヴァイオレットしかいない。かつては後宮を持っており、多くの妃を持っていたのだが……ヴァイオレット以外の妃は王宮から姿を消している。


 かつて、ヴァイオレットは『琥珀妃』を賜っており、上級妃の一人として後宮に君臨していた。

 しかし、他の上級妃が次々と命を落としてしまったことで正妃の位を得る。

 他の妃らは殺害されたのだ。ヴァイオレットの手によって。

 殺害された妃の中にはグラオスが寵愛していた女性も混じっている。

 グラオスは仕方がなしに『後宮』という蟲毒の壺の勝者であるヴァイオレットを正妃にして、シュバルツとヴァイスという二人の王子が産まれたのである。


「あら……殿方が何やら内緒話をしていると聞いて、様子を見にきたのです。王妃である私を除け者にして悪巧みとは感心いたしませんわ」


 部屋の入口に立った王妃の向こうには、申し訳なさそうな顔をした近衛騎士が立っている。

 騎士は部屋の入口を固めて部外者が入らないようにしていたのだが、押し入ってきた王妃を通してしまった。

 もちろん、止めようとはしたのだが……権力を盾にする王妃に逆らうことができず、部屋に入れてしまったのである。


「皆様、随分と面白い話をしていたようですわね。シュバルツへの恩賞でしたか?」


 ヴァイオレットが冷たい表情で、手に持った扇を口元に当てる。


「シュバルツへの恩賞など不要ですわ。王家の直轄地を与えるなどもってのほか」


「な……!?」


 ヴァイオレットの言葉にグラオスが目を剥いた。円卓についている側近らからもざわつきが生じる。


「褒美はいらぬだと……ヴァイスが引き起こした騒動の尻拭いに、シュバルツがどれほど尽力したかわかっていないのか?」


 グラオスが円卓から立ち上がる。国王の目には怒りの感情が浮かんでいた。


「シュバルツが後宮の妃らの相手をしてくれなければ、ヴァイスが行方不明となっていることが明らかとなり、周辺諸国と国際問題になってしまっただろう。よもや、それがわからぬというのか!?」


 グラオスが声を荒げた。

 温厚で知られる国王には珍しい態度である。それほどヴァイオレットのことを嫌っているということだろう。


「国王陛下……少し考えればわかることですわ。シュバルツに恩賞を与えるとして、どんな理由をつけるおつもりですか?」


「…………!」


「王家の直轄地を与えるとなれば、それ相応の理由が必要となりますわ。ヴァイスとシュバルツが入れ替わっていることを知るのはわずかな人物のみ。本当の理由は公にできません。ならば……どのような言い訳をするつもりですか? 『魔力無しの失格王子』で五年間も王宮から姿をくらませていたシュバルツに、どんな大義名分があれば領地を割譲させることができますか?」


「それは……」


 グラオスは黙り込んだ。

 感情では納得できないが、ヴァイオレットの言葉は理にかなったものである。

 王家の直轄地はいずれも重要な場所ばかり。貿易の拠点であったり、港町であったり、豊かな農作地や鉱山を有している場所である。

 そこを与えるとなれば、それ相応の理由が必要だった。理由もなしに「王の息子だから」と領地を与えてしまえば、貴族から不満の声が上がるだろう。

「王の息子であれば国に貢献せずとも領地が得られる」などという前例ができてしまうのも、良くないことである。

 黙り込んだ国王を見て、側近の一人が挙手をした。


「ならば、金品などを与えて報酬としては如何でしょう。領地と違って後腐れもないですし……」


「いくら渡すというのだ? 中途半端な金額ではシュバルツ殿下も納得しないだろう?」


 側近の言葉に、宰相が苦言を呈する。

 ここでいうところの『恩賞』には『口止め料』という意味合いも含まれていた。

 安値の報酬ではシュバルツも納得せず、良いように利用されたとかえって不満を持ってしまうだろう。

 王宮の対応に不満を感じたシュバルツが、上級妃の出身国に入れ替わっていたことを密告する可能性もあった。そうなれば、やはり国際問題に発展するだろう。


「ならば役職を……いや、王宮内の役職は貴族共が納得せぬか」


「かといって、地方の役人や代官に命じられたとしても、やはりシュバルツ殿下は不服に思うでしょうな……」


「貴族から不平の出ない領地も同じか……旨味のない領地など、与えられたとしてもかえって怒りを煽るだけであろうな……」


 側近らが口々に話し合うが、誰もが納得できるような答えは出てこない。

 議論が行き詰ったタイミングで口を開いたのは……やはり王妃ヴァイオレットだった。


「何を悩むことがあるというのです? やはり殿方は肝心な時に頼りになりませんこと」


「王妃様……何か妙案でもあるのですかな?」


「もちろんですわ」


 宰相の問いに、王妃が扇で顔を扇ぎながら悠然と口を開く。


「シュバルツを殺してしまえば良いのです。死人に口なし。用済みになったのなら片付けてしまえば、それで済む問題ではありませんか」


「な……!」


「馬鹿な……!」


 あまりの言葉に宰相が目を見開き、グラオスも円卓を拳で叩いた。


「ヴァイオレット……貴様、何を口にしているのかわかっているのか!?」


「わかっておりますとも。陛下こそ、何を怒っているのです?」


「当然だろう……シュバルツは我が息子ぞ!」


 グラオスが憤怒の表情を浮かべ、己の妻を怒鳴りつける。


「利用するだけ利用して殺すなどという非道な真似が許されるものか! ましてや、シュバルツもまた貴様が腹を痛めて産んだ子であろうが!?」


「私の息子はヴァイスだけですわ。五年前の継承戦からずっと」


「…………!」


「陛下こそ、今さら綺麗事を言わないでくださいな。そもそも……シュバルツを王宮に呼び戻したのは陛下でしょうに」


 国王の怒声を受けながら、ヴァイオレットは表情を変えることなく淡々と言葉を続ける。


「シュバルツが大切だというのなら、ヴァイスの身代わりになどしなければ良かったではありませんか。国の大事だからと自由を与えた息子を連れ戻しておいて、今になって良い父親を気取らないでください」


「…………」


「国のために息子を利用することにしたのなら……最後まで使い潰してしまえばよろしいでしょう? 慈悲など必要はありません。ヴァイスが戻ってくるのであればシュバルツは不要。口封じも兼ねて消してしまいましょう」


「許されぬ。そんなことは……許さない」


「フフッ……」


 譫言のようにつぶやくグラオスに、ヴァイオレットは初めて破顔する。

 おかしそうに笑って、ドレスの裾を翻して背中を向けた。


「陛下が手を下せないのであれば、こちらで始末をつけておきますわ。どうせ一ヵ月後には愛する息子・・・・・が帰ってくるのです。息子が戻ってくる前に、道化人形は処分いたしましょう」


「ヴァイオレット……!」


「ああ、それと……」


 ヴァイオレットは振り返り、底冷えのするような冷たい目でグラオスを見やる。


「ヴァイスの甘いところは陛下に似たのですよ。青臭くて、実よりも情を優先させてしまうところがそっくりです。そんな貴方を矯正するためにアミリスを・・・・・殺してあげた・・・・・・というのに……やはり人間の根本は変わらないのですね」


「…………!」


「それでは、お邪魔いたしました」


 若かりし頃に愛し、奪われた寵妃の名前にグラオスが凍りつく。

 そんな夫の姿をよそに、ヴァイオレットは悠然な足取りで部屋から出て行くのであった。

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