第84話 密談

 王宮の奥深くには、国王と一部の側近だけしか入室を許可されていない部屋があった。

 明かりも落とされた薄暗い部屋の中央には丸い円卓が置かれており、そこには数人の壮年男性が集まっている。

 国王と宰相、大臣、国の中枢を担っている者達だ。


「そうか……ヴァイスが見つかったか」


 重々しくつぶやいたのは部屋の主――ウッドロウ王国国王グラオス・ウッドロウである。

 灰色の髭を蓄えた男は顔に深い皺を作りながら、渋面になって溜息をつく。


「手間をかけさせおって……あの馬鹿息子が」


 行方不明になった息子がようやく見つかったというのに、グラオスの顔は忌々しげである。

 当然だろう。ヴァイスが王太子としての責務を放り出して出奔したせいで、グラオスをはじめとした大勢の人間が迷惑をこうむっているのだ。

 問題は様々であるが……特に大きな問題は後宮について。

 集められた妃らの夫となる男が逃げ出してしまったと明らかになれば、妃の出身国や家から非難を浴びせられ、戦争にも発展しかねない。秘匿するために、どれほどの手間と労力がかけられたかわかったものではなかった。

 捜索隊の派遣、双子の兄であるシュバルツを呼び戻したこともそうだが……四人の上級妃らの生国にヴァイス不在が露見しないようにするために、とんでもなく苦労させられた。

 他国の大使や外交官を誤魔化し、ヴァイスに扮したシュバルツが表舞台に出てボロを出さないように配慮して。結婚式の日程などもヴァイスの体調不良などアレコレと理由をつけて先送りにしている。

 おかげで……他国も怪しんではいるものの、ヴァイス不在の確信を得てはいない様子だった。


「ヴァイスの帰還はいつ頃になる?」


「おそらく、一カ月は先になるでしょう」


 グラオスの質問に宰相が答える。

 行方不明になったヴァイスであったが、ウッドロウ王国から遠く離れた北方の国まで旅をしていたらしい。

 降り積もる雪、凍りついた海のせいで道が隔たれており、帰国には随分と手間取っているらしい。

 出奔したヴァイスを説得するのにもかなり時間がかかったと報告を受けている。

 ヴァイスは何故か北方の小国で起こった内乱に巻き込まれており、そちらが片付くまで帰るわけにはいかないと強く断言していたそうだ。

 最終的にはウッドロウ王国に帰国するよう承知してくれたが……捜索隊からの報告書を読みや、彼らがとんでもなく骨を折ったことが伝わってくる内容だった。


「本当に労をかけてくれましたな……いっそのこと、王太子を交代できれば良かったのですが」


 などとつぶやいたのは近衛騎士団の団長を勤めている大柄な男性だった。

 捜索隊は近衛騎士を中心として編成されている。ヴァイス捜索に部下を取られてしまったせいで、もっとも仕事を増やしたのは騎士団長だろう。

 連日、王宮に泊まり込んでは増えた仕事をこなしており、団長の目には色濃いクマができていた。

 その苦労を知っているから……「王太子を交代するべき」などという過ぎた発言を咎める者はいない。

 円卓についている彼らもまた、内心では同じようなことを考えているのだから。


 ヴァイス・ウッドロウは類まれな魔力を生まれ持った傑物だった。

 膨大な魔力量に裏打ちされた圧倒的な強さは、歴代の王族の中でも一、二を争うほど。ヴァイス一人で一軍にも匹敵する戦闘能力を有している。

 だが……そんなヴァイスに王としての器が欠けていることが、今回の一件で明らかになってしまった。

 どれほど強くとも、国や民を放り出してフラフラと他国に出奔するような人間に王の資格があるわけがない。


「言うな……騎士団長。予とてそう考えている」


 グラオスが重々しくつぶやいた。

 ヴァイスは王族の責務を軽んじている……それは国王とて、わかっている。

 今回の出奔もそうだが、王宮にいた頃もたびたび王家の伝統やしきたりを軽視して問題を起こしていたのだから。

 ヴァイスは清廉で正義感の強い人間であるが……聖者と権力は相容れぬもの。

 王とは正しきを成すものではなく、国のため、民のために手を汚せる者のほうが向いているのだから。


「もしも他に王位を譲るに値するものがいれば、そうしていたことだろう。例えば、シュバルツにヴァイスの半分でも魔力があったのであれば奴を立太子していただろうな」


 グラオスはシュバルツのことを愛していないわけではない。はっきりと口に出したことはないが、血を分けた息子として大切に思っている。

 類まれな魔力を生まれ持った弟――ヴァイスに対して、兄のシュバルツの魔力は平民の半分以下。継承戦に敗れて王宮から出て行くまでは『魔力無しの失格王子』などと小馬鹿にされていた。

 王族として身分を捨てて、外で暮らした方が幸福になれるだろう。

 そう考えていたからこそ、グラオスはあえてシュバルツに冷たく接しており、王宮から姿を消したときも探すようなことはしなかった。


「そうですね……シュバルツ殿下を王にできれば、どれほど良かったことか」


「シュバルツ殿下は勉学も優秀だったのでしょう? まったく、どうして魔力だけを持っていないのだか」


 円卓に座る側近からも溜息が漏れる。

 実のところ、魔力の量以外のあらゆる才能や資質は、シュバルツが優っていた。

 算術や歴史をはじめとした勉学に長けており、剣術に至っては十五歳の時点で近衛騎士を圧倒できるほど。

 せめて下級貴族ほどでも魔力があったのなら、自慢の息子としてグラオスも胸を張ることができただろう。


「だが……シュバルツを王にすることはできない。絶対にだ」


「…………」


 グラオスの言葉に、側近も無言で頷いた。

 この国の貴族の大部分は『魔力至上主義』の思想を有している。シュバルツが王位に就けば、貴族の大半が従わずに反旗を翻すことだろう。

 仮に貴族を納得させられたとしても、シュバルツの子や孫もまた魔力が少ない可能性がある。

 王家が弱体化すれば、国内の貴族の反逆だけではなく、他国からの侵略まで許しかねない。

 魔力量というのは、それだけ王族として重い資質。それが欠けているだけで、他のあらゆる才能が塵芥ちりあくたに変わってしまうほどに。


「ま、まあ良かったではありませんか。ともあれ、ヴァイス殿下が見つかったのですから。上級妃の祖国である四つの国との国際問題も避けられましたなあ」


 暗くなってしまった場の空気を換えようと、側近の一人が手を叩く。


「シュバルツ殿下も王族として国に貢献できて、さぞや喜んでいる事でしょう。殿下にもたっぷりと恩賞を渡さなくてはいけませんな!」


「然り。忠勤には十分な褒美を与えるべきでしょう。『魔力無し』であるかは関係ありませぬ」


「シュバルツ殿下は誘拐された翡翠妃様を救出した功もありますからな。さてさて、どのような恩賞を与えるべきか」


「そうだな……」


 側近たちの言葉に、グラオスも深く頷いた。


「今回の騒動における最大の功労者は息子――シュバルツだ。奴には王家の直轄領のどこかを与えて、領主として暮らすことができるよう……」


「なりませんわ、国王陛下」


「…………!」


 ガチャリと扉が開かれ、凛と澄んだ声音が部屋に響き渡る。

 円卓についていた側近が一斉に扉の方を振り返ると……そこには背の高いドレス姿の女性が立っていた。

 白髪の混じった黒い髪を頭の後ろで結っている。鷹のようにクッキリとした鼻筋に、いかにも気の強そうな赤い両目。濃い目の化粧をしているためにわかりづらいが、年齢はグラオスよりも一つ上だった。


「王妃様……」


 側近の誰かがつぶやいた。


 その女性の名前はヴァイオレット・ウッドロウ。

 シュバルツとヴァイスを産んだ実母であり、国王と並んで国の頂点に君臨している最高権力者だった。

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