第83話 琥珀色の秘密

「あらあら、女を手籠めにするのにお薬を使うだなんてらしくない。よほど切羽詰まっているようねえ」


「うるせえ、茶化すなよ」


 王都郊外にある色街にて。

 いつもの店を訪れたシュバルツは、顔なじみの娼婦――クロハの軽口に表情を歪めた。

 畳の上に座った女の太腿を枕にしたシュバルツは、不機嫌を隠そうともしない顔で寝転がっている。


「薬といっても、お前らが使うようなヤバい代物じゃない。いずれローゼンハイド商会が目玉商品として売り出す予定のもので、ちゃんと菓子として通用するものだ」


「あら、そうなの? 私も食べてみたかったわ」


「今度持ってきてやるよ……それで、アンバーの調査は進んでるのか?」


 シュバルツはかねてよりアンバー・イヴリーズの調査を『夜啼鳥』に依頼していた。

 彼女の過去、攻略の糸口になる弱みを掴むことが目的である。


「うーん……それが上手くいっていないのよねえ」


「調査を依頼したのは半年も前だぞ? 天下の大義賊ともあろうものが、女一人を裸にするのにどれだけ時間がかかっているんだよ」


 シュバルツがアンバーの調査を依頼したのは、王宮に連れ戻されてすぐのこと。

 それから随分と経っているのも関わらず、いまだに調査は進んでいないようだった。


「簡単に言うけどね……あの国、神聖イヴリーズ帝国は不可侵領域アンタッチャブルよ。大陸最古にして最大の宗教国家だけあって、かなり守りが固いのよ。私達だって容易に潜り込むことができる場所じゃないわ」


 神聖イヴリーズ帝国は『神の国』とも称される宗教国家である。

 その歴史は千年とも二千年とも言われており、軍事力だけならばウッドロウ王国が優っているかもしれないが、長い歴史によって培われた魔法の叡智は侮れない。

 神聖帝国だけでしか使われていない魔法技術も多く、国の中枢に関する情報はブラックボックスのように秘匿されていた。


「あの国はとにかく秘密主義よ。王家ではなく教皇と呼ばれる宗教的権威者が国を統治していて、琥珀妃さんがその娘であることしかわかっていないわ。それ以外の情報というと、教会でシスターとして奉仕活動をしていたことくらいね。母親の名前だってわからないんだから相当よね」


 クロハが膝枕しているシュバルツの髪を撫でながら、朗々とした口調で説明する。


「神官のトップにいる教皇には奥さんがいない。それなのに十人以上の子供がいることが公表されているわ。おそらく愛人か妾でもいるのだろうけど……それが何処の誰なのかは全くの不明ね」


「表に出せない女が相手ということか? 不特定多数のシスターにでも手を出しているんじゃないのか?」


「私もそう思って、教皇の周囲にいる女性神官を洗ってみたんだけど……子供達が生まれた時期に不自然に人前から姿を消している者はいないわね。本当に誰が産んだ子供なのかしら?」


「フム……」


 関係ない話のようにも思えるが……わざわざ隠そうとしているのだから、そこには特別な意思があるのではないか。

 アンバーの出生に何か攻略の糸口があるのかもしれない。


「調べるのは難しいわよ。すでに失敗しているもの」


 しかし、クロハは一刀両断で断言した。


「私も部下に命じて教皇の過去や女性関係を洗おうとしたのだけど……教会の特殊部隊である『異端審問官』に邪魔されたわ。その部下は死にはしなかったけど、大怪我をして這う這うの体で逃げてきたわ」


「異端審問官ね……そんな部隊が存在したんだな。おとぎ話かと思っていたよ」


 異端審問官というのは都市伝説のような存在。名前は誰もが知っているが、実在するかどうかも不明の秘密組織の名前だった。

 いわく……神によって不可侵であると定められている『七大禁忌』を侵した者の前に現れて、その命を刈り取る断罪者である。禁忌を侵した者は時として国ごと滅ぼされ、その存在をなかったことにされる……などと幼い頃にシュバルツも聞いたことがある。


「おとぎ話というのなら『夜啼鳥』も似たようなものね。存在しないはずの組織が陰で戦っているだなんて、本当に物語みたいよね」


 クロハは苦笑した。

 ともあれ、教会の秘密部隊が相手となると『夜啼鳥』でも分が悪い。アンバーの情報をこれ以上調べることは困難だろう。


「となると……別方向からアプローチをした方が良いか。いっそのこと、本当に夜這いでもかけてみようかね?」


「それが上手くいかなかったから、チョコレートなんて使おうとしたんでしょ?」


「そうなんだよなあ……」


 シュバルツもすでに夜這いしようと試しているが……残念ながら、琥珀宮に侵入することはできなかった。

 警備の数が半端ではないのだ。それもウッドロウ王国が用意した人間ではなく、アンバーが祖国から連れてきた者達ばかり。

『夜啼鳥』の人間をスパイとして潜り込ませることもできず、アンバーに夜這いをかけるのは不可能に近かった。


「アイツはこの国の人間を信用していない。琥珀宮の内部を母国の人間ばかりで固めていて、付け入る隙がまるでない」


「数人ならばまだしも、全員を身内で固めるだなんて……いくら上級妃とはいえ、普通はそんな好待遇はあり得ないわよね」


「ありえない。だが……アイツはそれを実現している。嫁いでくるまでに随分な取引があったようだな」


 後になって調べたことだが……アンバーはこの国に嫁いでくるにあたり、粘り強い交渉を行っていた。

 貿易などの外交上、いくつかの優遇を認めることと引き換えに、琥珀宮の内部では好き勝手に振る舞えるように特権を認めさせたのである。


「隙が無い。とはいえ……どうにかしないわけにはいかないな。ウカウカしていたら、ヴァイスがこの国に戻ってきちまう」


「本物の王太子の帰還。アナタはお役御免というわけね」


「四人の上級妃のうち三人は手中に収めているからな。タダで追い出されるつもりはないが……状況はかなり悪いな」


 上級妃の過半数を手に入れているとはいえ……裏を返せば、彼女達以外にシュバルツを支持している者はいないのだ。

 騎士団を動員されて武力で排除されたら、どうにもならない。


(王子の入れ替わりが露見したら国際問題になる。親父は事を荒立てたくはないだろうし、表立って俺を排除するとは思えないが……暗殺や謀殺くらいなら平気でするだろうな)


 父王――グラオス・ウッドロウは悪人ではない。

 シュバルツのことも息子として愛しており、王宮から追い出すような形になってしまったことを気に病んでいる。

 だが……それでも、グラオスは王だ。

 国のためにシュバルツの存在が邪魔となれば、最終的に見捨てる選択をすることだろう。


「それに……あの女もヴァイスのことを支持しているからな」


 シュバルツが忌々しそうに表情を歪めた。

 シュバルツの脳裏に浮かんでいるのは、シュバルツとヴァイスを産んだ女の顔である。

 あの女はヴァイスにとっては良き母親だったかもしれないが、シュバルツにとっては血がつながっているだけの他人だった。

 あの女であれば、ヴァイスの障害になったシュバルツを平気で殺そうとするだろう。


「だが……それでも俺が勝つ。誰が邪魔をしてきたとしても、上級妃もこの国も俺がもらう」


 二度と双子の弟の風下になど立ってやるものか。

 シュバルツはそう決意を固めて、改めてアンバーを堕とすための方法を考えた。

 だが……そんなシュバルツの決意とは裏腹に、事態は急転直下の勢いで転がり落ちていくことになる。


 異国にて双子の弟――ヴァイス・ウッドロウが発見され、ウッドロウ王国に帰国してくるとの知らせが届いたのである。

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