第82話 琥珀妃との茶会(下)


 琥珀妃アンバー・イヴリーズとの茶会が終わった頃には、すでに日も傾いて夕刻になっていた。

 シュバルツは日頃から後宮に侵入してはクレスタやシンラ、ヤシュらと逢瀬を交わしている。しかし、表向きは後宮の中で夜を明かすことを許されてはいない。

 自分の正体を知っている女官長らにしっかりと見送られ、後宮から出ていった。


「チッ……失敗したか」


「殿下、どうしたんですか? そんな悔しそうな顔をして」


 後宮からの帰り道、不機嫌をあらわにしているシュバルツにユリウスが瞳をパチクリと瞬かせた。

 後宮に通うようになって半年以上になるが……シュバルツの供をしているのは相変わらずユリウスだけである。

 シュバルツの正体を知る者は少なく、近衛騎士の半数が行方不明になったヴァイス捜索に駆り出されているからだ。


「良かったじゃないですか、琥珀妃様があの女官を許してくれて。一時はどうなることかと思いましたよ」


「…………」


「それとも……そんなにあのお菓子が食べたかったんですか? チョコレートって言いましたっけ? 惜しかったですよね……せっかくの珍しい食べ物が地面に落ちちゃって」


 ユリウスは土まみれになったチョコレートを思い出しているのか、残念そうに眉をへの字にする。


「確かに美味しそうなお菓子でしたよね……色は真っ黒でおかしかったですけど、不思議と良い匂いがしていて。僕も食べたかったなあ……。あ、そういえば殿下はもう食べたんですよね? アレってどんな味が…………みぎゃあっ!?」


「うるせえ、少し黙れ」


 シュバルツが不意打ちでユリウスを抱き寄せた。

 騎士の制服の首元から手を突っ込み、ひかえめな胸をガッチリとホールドする。


「なあっ! んっ! な、何してるんですかあっ!?」


「考え事だ。手慰みくらいにはなりやがれ」


 シュバルツは暴れるユリウスを抑え込みながら、ささやかな膨らみを弄ぶ。

 発展途上の乳房に五指を喰いこませ、感触を確かめるようにして上下に揺らす。


「んぎゃあああああああああああっ!」


「アンバー・イヴリーズ……やはり強敵だな。また別の策を考えないと」


 色気のない男装騎士の悲鳴を聞きながら……シュバルツは失敗した策略について考えを巡らせる。

 シュバルツがやろうとしたの媚薬効果のある菓子――チョコレートを食べさせることで、アンバーを堕とすというものだ。

 チョコレートは稀少な品。ローゼンハイド商会の力をもってしてもそうそう手に入る物ではない。同じ作戦を取ることはできそうなかった。


(まさか侍女が菓子を落としてしまうとはな……予想外の失敗だ。あと少しで食べさせることができたんだが)


 それにしても……偶然にも鼠が足元を通り過ぎ、皿を落としてしまうとはついてない。いっそのこと鼠に気がつかなければ良かったものを。


(偶然……だよな? どうにも出来過ぎているような気がするのだが)


 シュバルツの脳裏にふと疑念がよぎる。

 媚薬効果のある菓子を持った侍女が勝手に転び、難を逃れるなんて幸運があるのだろうか。偶然にしては出来過ぎているのではないか。

 ひょっとすると、シュバルツの策謀が何らかの手段によって読まれていたのではないか。わざと落とすように仕組まれていたのではないか。

 そんな疑いが生じるが……方法がわからない。いくら考えても偶発的な事故であるとしか思えなかった。


(菓子が入った皿を落としただけならば簡単だ。侍女にそうするように指示を出しておけば良いだけのこと。だが……鼠が通り過ぎたのは狙って出来ることではないよな。仮にアンバーが俺の策略に気がついていたとしても不可能だ)


「で、殿下っ! そろそろ離してくれませんかっ!? どうして無言で僕の胸をまさぐってるんですか!?」


(そういえば……あの女はこの国に嫁ぐまでは教会で神官をしていたんだったな。ひょっとすると、神の御加護とやらに守られているのかね?)


「い、いい加減にしてくださいいいいいいいいいいっ! 人の胸を何だと思ってるんですかああああああっ!」


 腕の中でユリウスが叫んでいるが……構うことなくシュバルツは自分の考えに没頭した。

 ユリウスが開放されたのはたっぷり十分ほど経ってから。

 その間、男装の女騎士はひたすら色気の欠ける悲鳴を上げて身悶えさせられるのであった。


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