第81話 琥珀妃との茶会(中)
ユリウスが差し出した木箱には、一口大の黒い粒が等間隔に並べられている。
それはクレスタ傘下のローゼンハイド商会が海外から仕入れた、カカオという木の実を加工して作ったものである。
「これが栽培されている生産国では、選ばれた者しか口にすることができない『神の食べ物』とされているそうですよ?」
「あら……それは興味深いですわね。元・神官として、是非とも食べてみたいものですわ」
アンバーが頬に手を添えて、おっとりとした口調で言う。
(好感触。これはイケるか?)
そんなアンバーの表情を窺いながら、シュバルツが秘かにほくそ笑む。
わざわざ高価な菓子をプレゼントとして持ってきたのは、決してご機嫌取りのためではない。
その食べ物……チョコレートは砂糖と牛乳によって菓子として加工されているものの、元々の用途は薬に近いものだった。
この食べ物には口にする者に多幸感と高揚感を与え、ある種の媚薬のように作用する効能があるのだ。
そんな食べ物をあえてアンバーに食べさせようとするのだから、当然ながら下卑た思惑があってのことである。
(薬に頼るだなんてテメエの魅力に自信のないクズ野郎がすることだが……こうでもしないと、この女との距離を詰められないからな)
顔を合わせて半年以上が経過しているが、いまだにアンバーを攻略する糸口は掴めていなかった。
双子の弟――ヴァイス・ウッドロウがいつ帰還するともわからないのだ。多少強引な手段を使ってでも、堕としてしまいたかった。
(チョコレートは別に毒じゃない。それは俺自ら毒見をして証明している。これを食ったアンバーに何が起こったとしても、そうそう罰されはしないだろう)
チョコレートには媚薬に近い効果があるが、酒や刺激物に慣れた人間には効果が薄いらしい。日常的に飲酒をしているシュバルツにはさほど効果はなかった。
アンバーが酒を飲めないこと、薄味を好んでいて香辛料が入った食べ物を食べないことは調査済みである。彼女にならば十分に効果を発揮するはず。
「あらあら、とても嬉しい贈り物ですこと。せっかくのお茶会ですし、一緒に召し上がりましょうか」
アンバーは両手を合わせて華やかな笑みを浮かべた。
近くにいた女官が木箱ごとチョコレートを受け取り、さらに盛り直すために厨房に持っていこうとする。
「ヴァイス殿下からの贈り物です。落としたりしたらダメよ? くれぐれも足元には気をつけて頂戴ね?」
「はい、かしこまりました」
女官は言われたとおり、万が一にも落とすことのないように両手で木箱を運んでいき、すぐに大皿に移し替えて戻ってきた。
銀製の大皿を掲げるようにして持ち、慎重な足取りでゆっくりと歩いてくる。
しかし……
「あ?」
「あら?」
「ああっ!」
シュバルツ、アンバー、ユリウスが同時に声を上げる。女官の足元を一匹の鼠が横切っていったのだ。
「ひゃっ!?」
足元の鼠に気がついた女官がたたらを踏んで、前のめりに倒れそうになる。
あと少しで転びそうというところをユリウスが慌てて支えるが……転倒を免れる代わりに銀製の大皿ごとチョコレートを落としてしまった。
「も、申し訳ございませんっ!」
女官がすぐさま平伏して、地面に額をこすりつける。
見るからに貴重そうな菓子を自分のミスで台無しにしてしまった……女官はこれでもかと顔を青ざめさせており、今にも死んでしまいそうだった。
「とんでもないことをしてくれましたわね……いったい、どう責任を取るつもりなのかしら?」
アンバーが扇で口元を隠し、目を細める。
優雅な所作で椅子に座っている姿は美しいが……それ以上に恐ろしい。視線だけで人を凍えさせてしまいそうなほど冷たい目をしていた。
「殿下からの贈り物、それも他国から取り寄せた稀少な品を台無しにしたのです。簡単に償えるとは思っていませんよね?」
「申し訳ございません、申し訳ございませんっ!」
女官は両手をついたまま、ひたすら謝罪の言葉を繰り返す。
厳しいことを言っているように聞こえるが……決して、アンバーの主張は大げさなものではない。
海外の菓子となればかなり高価なものだし、ついでに菓子を持っていた皿も高級な品である。銀製であるため割れることはなかったが、落とした拍子にへこんでしまっていた。
残酷なことではあるが……場合によっては、斬首になることもあり得る失態である。
「アンバー妃。良いですよ、気にしなくても」
しかし、シュバルツが穏やかな表情で女官を責めるアンバーを止める。
「輸入品とは言っても、そこまで高価なものではありません。少なくとも、王家に仕えてくれている忠臣の命ほどの価値はありませんよ」
「ヴァイス殿下、しかし……」
「菓子はまた取り寄せれば良いし、皿だって修理に出せば良い。けれど、臣下の命は失えば帰ってはきません。ここは私の顔を立ててはいただけませんか?」
「ヴァイス殿下……」
女官が顔をあげて、感極まったような顔をする。
自分を庇ってくれる主君に感動しているようだが……正直、シュバルツとしてはそこまで感謝されるようなことはしていない。
(チッ……くだらない策略のせいで人死にが出るとか、さすがに勘弁だぞ……ここは引くしかないな)
シュバルツには、アンバーに媚薬を盛ろうとした後ろめたさがあった。
その過程で女官がミスをしてしまい、首を斬られるだなんて罪悪感が増すばかりではないか。
(作戦は失敗したが……仕方がない。別の方法を考えるとしようか)
「……ヴァイス殿下がそう仰るのでしたら、是非もございません。あなたも気をつけるようにしてください」
「ありがとうございます……! 御慈悲は一生、忘れません……!」
アンバーが肩をすくめ、女官が涙を流してお礼を言ってくる。
シュバルツは穏やかな笑みを張り付けて頷きながら……内心では策略が失敗したことに大きく舌打ちをするのであった。
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