第80話 琥珀妃との茶会(上)


 ウッドロウ王国の後宮には四人の上級妃がいる。

 北方にある貿易国家、北海イルダナ連合国から嫁いできた『水晶妃』――クレスタ・ローゼンハイド。

 東方にある軍事国家、錬王朝から嫁いできた『紅玉妃』――シンラ・レン。

 南方にある他部族連合国家、亜人連合国から嫁いできた『翡翠妃』――ヤシュ・ドラグーン。

 そして……最後の一人が西方にある宗教国家、神聖イヴリーズ帝国から嫁いできた『琥珀妃』――アンバー・イヴリーズである。


 アンバーは長く伸ばしたプラチナの髪を背中に流した美貌の女性。

 神聖帝国を収めている教皇の娘であり、彼女自身も祖国では神官を務めていたとのことである。

 完成された美しさ。丁寧な所作からは育ちの良さが伝わってくるよう。

 腰が細くて胸は膨らみ、完璧すぎるプロポーションはあらゆる男を魅了し、虜にするに違いない。

 人心掌握術にも長けているようで、後宮に入ってから一年で中級妃や女官の半数以上を傘下に収めている。

 本人にその意思があるかは不明だが……能力、人間性ともに最も『正妃』にふさわしい女性であった。


 そんなアンバーのことが、実はシュバルツは苦手だったりする。

 女については百戦錬磨。ほぼ負けなしのシュバルツであったが……アンバーは彼の周囲にはいなかったタイプの女性である。

 シュバルツがこれまで口説き、夜を共にしてきたのは娼婦や妓女のような商売女。あるいは町娘や村娘、珍しいところでは女の冒険者などだった。

 アンバーのような生粋のお嬢様とはほぼほぼ縁がなく、どう扱って良いのかわからないタイプの女性である。


(それに……この女、どことなく母親に似ているんだよな……)


「あら? どうかされましたか、ヴァイス・・・・殿下」


 とある日の昼下がり。

 その日、シュバルツは琥珀宮にやってきており、アンバーと一緒に茶会をしていた。ヴァイス不在を隠すためのご機嫌取りである

 庭園に設置された丸テーブルには、上質な茶葉を惜しげもなく使って淹れられた紅茶、特別に注文して取り寄せた甘味が並べられている。

 どちらも最高級の一品。経済力に優れたクレスタであってもなかなか手に入れることはできない品だった。


「いえ……とても美味しいお茶だと思いましてね。神聖帝国で採れたものですか?」


「ええ、我が国の西域は温暖湿潤な気候のおかげで、上質な作物が育ちやすいのです。この茶葉もそこで採れたものなのです」


「へえ、それは興味深いね。是非とも行ってみたいものだ」


「ええ、是非とも一度いらしてくださいな。我が国をあげて歓迎いたしますわ」


 笑顔で歓談しているように見えるシュバルツとアンバーであったが……その腹の内はまったく知れない。

 シュバルツは双子の弟である『ヴァイス・ウッドロウ』の仮面を被って正体を隠しており、アンバーもまた笑顔で武装して何を考えているのかが不明である。

 穏やかに話をしているように見えるが、その会話はどこか薄ら寒くて空虚だった。


(これだ……この笑顔。塗り固めた仮面みたいな笑顔を見せられるたび、あの女・・・のことを思い出しちまう……)


 シュバルツは穏やかな表情を張り付けたまま、内心で大きく舌打ちをする。

『あの女』というのはシュバルツとヴァイスを産んだ母親――ウッドロウ王国の王妃であるヴァイオレット・ウッドロウのことだった。

 父王であるグラオス・ウッドロウとは王宮に戻ってから何度か顔を合わせたが……母妃であるヴァイオレットとはまだ会っていない。

 母親の方から会いに来ることはなかったし、シュバルツも会いたいとは思っていない。

 ずっと家出をしていて合わせる顔がないなどという理由ではない。シュバルツとヴァイオレットとの仲が冷めきっているだけである。


(いや……『冷める』以前に、あの女が俺を息子として扱ったことはないか)


 母妃ヴァイオレットにとって、シュバルツは最初から存在しないようなものだった。

 この国では昔から、双子というものが不吉な存在であるとされている。そのせいで、双子の王子を産んだヴァイオレットは『不吉をもたらす妃』などと影口を叩かれたらしい。

 ヴァイオレットは生まれた双子のうち、魔力が多かった弟王子だけを自分の息子として育て、出来損ないの兄の方は乳母に任せきりにしていたのだ。

 物心ついてから、シュバルツは母親に抱かれた記憶はない。言葉を交わしたことすら片手の指で数えられるほどだった。

 シュバルツにとって母妃ヴァイオレットは血がつながっているだけの他人。父親や弟以上に苦手とする相手となっている。


「ヴァイス殿下、どうかされましたか?」


 嫌な人間の顔を思い出して黙り込んでいたヴァイスに、アンバーが不思議そうに小首を傾げている。


「……ああ、失礼。少し考え事をしていました」


「あら? こんな良い天気の日に浮かない顔をして、悩み事でもあるのでしょうか? 私で良ければ聞きますことよ?」


「そうですね……また機会があったら、愚痴にでも付き合っていただきましょうか。それよりも、今日は贈り物があって参りました」


 シュバルツはコホンと咳払いをして、背後に控えていたユリウスに手で合図を出す。

 男装の女騎士はすすっと音もなく進み出てきて、事前に預けていた木箱を開いて中身を見せてくる。


「これは……お菓子でしょうか? 甘い匂いがしますけど……」


「ええ、偶然手に入った外国のお菓子です。この大陸では滅多に手に入らないものなのですよ」


 シュバルツは人好きのする穏やかな笑みを浮かべ、心の中でニヤリと笑った。


「辺境の島国でとれる木の実を加工したもので……チョコレートというものです」

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