第26話 違和感


「申し訳ありません……本日はちょっとシンラ様の体調が優れないようで、お会いすることはできません」


「そうですか、それは仕方がありませんね」


 紅玉宮を訪れたシュバルツは、そこで働いている女官の言葉に残念そうに眉尻を下げた。

 女官が言うところには、紅玉妃──シンラ・レンは昨晩から風邪をひいており、ベッドで眠っているとのことである。

 せっかく会いにきたのだが、面会を断られてしまった。


「季節の変わり目ですし……心配ですね。よければお見舞いをさせて欲しいのですが、構いませんか?」


「い、いえいえ! 王太子殿下に風邪が感染うつってしまったら責任が取れません! 殿下の御心遣いは主に伝えておきますゆえ、どうか今日のところはお引き取りくださいませ!」


「…………」


 左右にブンブンと手を振って言い募る女官であったが……俺はその慌てぶりに違和感を覚えた。

 実のところ、紅玉宮にやってきて門前払いを受けるのはこれが初めてではない。何度か体調不良やら何やら理由をつけて、面会を断られていたのだ。

 数日前から面会の約束を取りつけて会いに行った時には、普通に会うことができる。だが……当日になって急に会いに行くと、このように断られることが多かった。


(もちろん、急に訪れたこっちに非があるんだが……それにしたって不自然だな。何か隠し事があるんじゃないか?)


「そうですか……それでは後ほど見舞いの品を届けさせます。どうぞ安静に養生されますようにシンラにお伝えください」


「必ず伝えておきます。殿下の御恩情に心より感謝を申し上げます……!」


 女官は直角に腰を曲げて深々とお辞儀をする。恐縮しきった様子は、逆に怪しさを募らせる効果しかなかったが。


 シュバルツはそのまま紅玉宮から去り、女官長らに見送られて後宮の門から外に出る。

 ユリウスと2人きりになったシュバルツは被っていたヴァイスの仮面を外して素の自分に戻り、大きく肩を回す。


「やれやれ。ヴァイスのフリをするのも板についてきたが……やっぱり肩が凝るな。王太子のくせに真面目腐った喋り方をして疲れないのかね、アイツは」


「ヴァイス殿下は生来、穏やかな気質の方ですから。礼儀正しくふるまうことが染みついておられるのでしょう」


「へえ? それじゃあ、俺の育ちが悪いみたいに聞こえるな。一応、俺だって15までは王族として生きてきたんだが?」


「そういう意味では…………申し訳ありません」


 ユリウスがシュンと肩を落として項垂れる。

 本気で怒っているわけでもなかったシュバルツはクツクツと笑いながら、男装の騎士の尻を叩く。


「ひんっ!」


「冗談だ。いちいち落ち込むな。俺はこういう性格なんだから、いい加減に慣れろよ」


「慣れませんよう……お尻ばっかり触ってきて……」


「尻が嫌なら乳でも揉んでやろうか? 得意分野だぜ、女の胸を揉んで育てるのは」


「ふあっ!?」


 男に触られると乳房が大きく育つという迷信をユリウスも聞いたことがあった。しばし迷ったユリウスであったが……ハッと目を見開いてブンブンと首を振る。


「大丈夫です! 自分で何とかしますから! 牛の乳をたくさん飲んでますから問題ないですっ!」


「……一応、小さいことは気にしているんだな。揶揄って悪かったよ」


「余計に惨めだから謝らないでくださいようっ!」


 ユリウスは涙目になってワタワタと両手を上下させた。

 この男装の女騎士……騎士としての腕はどうかわからないが、性格はかなり揶揄い甲斐があって愉快である。

 女としてはまだまだ未熟だが……シュバルツはすっかりユリウスのことが気に入っていた。


(俺が王になったら妃の1人として迎えてやってもいいかもな。上級妃は無理にしても、中級妃としてだったらねじ込めるだろ)


「な、何か殿下の視線が怖いんですけど……実はかなり怒ってたりしますか?」


「いや? 全く怒ってないぞ。むしろ愉快になってきたくらいだ」


「ううっ……それはそれで恐ろしいんですけど……」


 本格的に怯えだしたユリウスは話を変えるべく、不自然に声のトーンを上げる。


「そ、それにしてもっ……紅玉妃様って意外と病弱なんですね! やはり故郷から遠く離れた地に嫁いできて水が会わなかったのでしょうか!?」


「さあな。何度か会って話した印象としては、そこまで軟弱には見えなかったが……」


「強がっていただけじゃないですか? やはり上級妃の1人としては隙を見せるわけにもいきませんし、虚勢を張っていただけなのでは?」


「どうだかな……」


 シュバルツは紅玉妃――シンラ・レンの姿を思い浮かべた。

 初対面ですでに気がついていたが……シンラは間違いなく、何らかの武術を極めた達人である。油断ない佇まい、歩き方だけでその力量が見て取れた。

 実際に戦ってみたわけではないが、それなりに修羅場をくぐっている印象がある。


「……やはりタダの体調不良には思えないな。ひょっとして、後宮を抜け出して遊び歩いているんじゃないか?」


「まさか! 見張りもいる後宮から抜け出すことなんてできませんよ!」


 後宮にいる妃は許可がなければ外に出ることはできない。

 そして、その許可は滅多に出ることはないし、万一許可が下りたとしても王家から何人も護衛と見張りがつけられる。後宮から出た妃が外で男性と接触するのを防ぐためだ。


「ハッ! 上級妃が後宮から出て男と密会していたら、大したロマンスになるだろうな。どこぞの吟遊詩人が面白おかしく歌い歩きそうだぜ!」


 苦笑して肩を揺らしながら……シュバルツはそれがありえない可能性ではないことに思い至った。

 考えてもみれば、行方不明になったヴァイス捜索のために近衛騎士が駆り出されており、王宮の警備はかなり手薄になっている。

 実際、シュバルツの協力者である『夜啼鳥』が何度も潜入しているのだ。内部にいる人間が外に出ることは不可能ではないだろう。


(ましてや……シンラ・レンの身体能力ならば、それくらいできたとしても不自然ではないか。彼女は間違いなく、俺達と同じ側の人間だ)


「…………」


「どうしましたか、急に黙り込んだりして?」


「いや……問題ない。それよりも、今日は女を抱きたい気分になった。色街に行くけど構わないよな」


「なっ……!」


『色街』という単語にユリウスが赤面した。ユリウスも何度も訪れているというのに、いまだに初々しい反応である。


「……国王陛下からは可能な限り、シュバルツ殿下を自由にさせるように言われています。おそらく、許可は下りるでしょうけど」


「だったら問題ないだろ。こっちは王の命令でおかしな任務をこなしてるんだ。息抜きくらいさせろよ」


「むう……」


 ユリウスが唇を尖らせる。

 王命によってヴァイスに成りすましているシュバルツであったが、別に王宮に軟禁されているわけではない。

 むしろ、息子に難題を押しつけている罪悪感から、グラオス王からは後宮で過ごす時間以外は自由にするよう許されていた。

 それでも、潔癖なユリウスはシュバルツが色街に出入りすることを良く思っていないらしい。あからさまに顔を顰めて軽蔑の目になっている。


「それとも……お前が相手をしてくれるのか?」


「へ? 僕ですか?」


「ああ。ユリウスが今晩、俺の部屋に忍んできてくれるというのなら……別に構わないぜ。たまには青い果実をもいでみるのも一興だ。女にしてやるから遠慮なく夜這いに来いよ」


「色街に行きましょう! すぐに馬車を手配しますのでお待ちくださいっ!」


 顔を真っ赤にしたユリウスが逃げるように走り去っていく。

 アイツは俺の護衛のはずなのだが、本当に自覚があるのだろうかと疑いたくなる有様である。


「……本当に愉快な玩具だな。ひん剥いて押し倒してやりたくなるぜ」


 唇を三日月に吊り上げながら、シュバルツは遠ざかっていく小さな背中を追いかけるのであった。


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