第97話 ヴァイスの帰還
「フウ……ようやく到着したな!」
その数日後、ウッドロウ王国の王宮に一人の男がやってきた。
男は宮殿の建物を見上げて、爽やかな笑みを浮かべる。
「ほんの一年間だったけど、随分と久しぶりに感じるな! 僕は帰ってきたぞ、懐かしき故郷よ!」
〇 〇 〇
王太子ヴァイス・ウッドロウの帰還。
いよいよ、シュバルツにとって恐れていた出来事がやってきた。
「あれって王太子殿下?」
「え……どうして、あんな格好をしているのかしら?」
「どこかに出かけていたのか? ここ数日、姿を見なかったが……?」
旅装のヴァイスが王宮に帰ってきた姿を見て、文官や使用人の大部分は不思議そうな顔をした。
彼らはシュバルツがヴァイスに成り代わっているのを知らぬ者。突然、長旅から帰ってきたような服装で現れた王太子を見て、どうしたのだろうと首を傾げる。
「ヴァイス殿下!」
「こちらへ! 早くこちらへお越しください!」
その一方で、事情を知っている者は顔を青ざめさせた。
ヴァイスが後宮の妃をほったらかしにして恋人と駆け落ちしてしまったのは、誰にも知られてはいけない秘中の秘である。
慌てて宮殿の奥にヴァイスを連れていき、国王に知らせを走らせた。
ヴァイスは旅装から正装へと着替えさせられ、そのまま国王の御前へと連れていかれる。
「戻ったようだな。ヴァイスよ……」
「ただいま戻りました。お元気そうで何よりです、父上!」
「…………」
苦々しい顔をする父親へ、ヴァイスは明るい口調で帰還の挨拶をした。
大勢の人間に迷惑をかけて出奔したくせに、ヴァイスには少しも申し訳なさそうにする様子はない。
父親の渋面を見ても、感じるところはまるでないようだ。
「そなたも元気そうで何よりだが……ところで、息子よ。余に何か言うべきことはないのか?」
国王……グラオスは怒鳴りつけたくなる衝動を堪えて、静かな口調で訊ねた。
できることなら、自分で間違いを自覚して戻ってきたのであって欲しい……そう願っていたのだが、ヴァイスの口から出てきたのは予想外の言葉である。
「もちろん、ありますとも! 此度は私の勝手でご迷惑をおかけしました。私も父上の勝手を水に流して許しますから、父上も今回のことは忘れてください!」
「は……?」
「父上が無理やり、私を他国の姫と婚約させようとしたことを許してあげると言っているのです。私も大人になりますから、これで仲直りといたしましょう」
「…………」
笑顔で言ってのけるヴァイスにグラオスが固まった。
部屋には宰相や騎士団長など事情を知る者が何人かいたが……彼らも顔を引きつらせている。
「お前は……お前という奴は……!」
「どうかされましたか? 父上?」
「どうかしたかだと……国を滅ぼしかねない事態を引き起こしておいて、何を言っているか!」
グラオスがとうとう堪えきれなくなり、声を荒げた。
ヴァイスが他国の姫に恥をかかせるような形で家出をしたせいで、最悪の場合、四つの国に囲まれて国が滅亡するところだったのだ。
それなのに……原因となった男の口から出てきたのは「許してやる」「水に流せ」という勝手極まりない言葉である。
いくらグラオスが穏健な性格であったとはいえ、我慢できる域をとうに超えていた。
「自分が何をしたのかわかっていないのか!? この愚か者が!」
「何をって……恋人との愛を貫いただけじゃないですか。その程度のことで何を怒っているのですか?」
「その程度……だと!? まさか、本気でそんなふうに思っているのか!?」
「違うんですか?」
ヴァイスが不思議そうに首を傾げた。
グラオスの怒声にまるで動じた様子を見せることなく。
「恋人との愛を貫くことは正しいことです。正しいことをして、どうして責められなければいけないのですか? 仮にそのせいで戦争が起こったとしても、それは戦争をはじめた人間の責任でしょう。僕が責められるのは筋違いですよ」
「な……何を言って……」
「ほら、そんなに興奮するとお身体に触りますよ。もう若くないんですから落ち着いてください。侍女に水を持ってこさせましょうか?」
ヴァイスが困ったような顔で怒り狂う父親をなだめる。もっとも、それは火に油を注ぐような煽り文句でしかなかったが。
「貴様はいったい、何を言っているのだ……本当にヴァイスなのか?」
グラオスは背筋に寒気を感じながら、呆然と息子の顔を見つめた。
そこにいるのは間違いなく己の息子……ヴァイス・ウッドロウである。シュバルツの変装などでもなく、別人が化けているわけでもない。
仮にも父親だ。双子であったとしても、息子を見間違えることなどあり得ない。
(どうして、そんなに平然としていられるのだ……お前はまさか、本当に自分が王子であるという自覚がないのか……?)
ヴァイスにおかしいところがあるのではない。むしろ、何も無さ過ぎることが恐ろしい。
国を揺るがすような事態を起こしておいて、平然といつも通りに振る舞っていることが異常に感じられた。
ヴァイスの言葉に震撼するグラオスであったが……実のところ、彼は自分の息子の本質に気がついていなかった。
ヴァイス・ウッドロウは穏やかな性格、誰にでも分け隔てなく接する度量の深さによって、多くの人間から慕われていた。
しかし、実際のところ、ヴァイスの優しさは圧倒的な強者としての余裕からくるものである。その気になれば、単騎で一軍を滅ぼせるほどの戦闘能力を有している……そんな上位者の立場から周囲の人間を見下ろしているから、ヴァイスは誰よりも優しくなることができるのだ。
高みから人々を見下ろす仏のごとき慈愛。それがヴァイス・ウッドロウという人間の根幹なのである。
「ほら、深呼吸してくださいよ。落ち着かないと話もできないでしょう?」
そんなふうに笑顔で父親に声をかけるヴァイスは、本当に自分が悪い事をしたと思っていない。
何故なら、ヴァイスは誰よりも正しいから。強いから。だから間違えることはない。人から責められる理由なんてない。
自分が正しいと信じているヴァイスには父親の怒りが理解できない。強者であるがゆえに、弱者の気持ちは理解できないのである。
「ヴァイス、貴様……!」
グラオスは得体の知れない生き物を見るような目でヴァイスを見つめる。
ヴァイスは少し奔放で自由な性格だとばかり思っていたのだが……まさか、ここまで会話ができないとは思わなかった。
自分がいくらヴァイスを諭したところで、その言葉は決して届かない。
それを理解してしまい……グラオスはもはや息子にかける言葉が思いつかなかった。
宰相も騎士団長も茫然としている。誰もが言葉を失って、崩れ落ちるようにして椅子に座っていた。
「傲岸不遜。唯我独尊。自分勝手極まりない……随分と素敵に狂っていやがるな。愚弟が」
「え……?」
部屋の扉が開き、一人の男が入室してくる。
それは王宮の中でただ一人、ヴァイスの異常さを知っていた人間。己の半身が慈愛という名の狂気を孕んでいることを理解していた人間である。
「君は……シュバルツ!」
「久しぶりだな、我が片割れ。二度と会いたくなかったぜ」
五年ぶりに顔を合わせた双子の弟に向かって……シュバルツはゴミでも見るような目を向けて、そう吐き捨てたのであった。
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