第98話 再会と宣戦布告
「久しぶりじゃないか! 元気そうだね!」
ヴァイスが双子の兄に駆け寄って、シュバルツの両肩を叩いた。
「怪我や病気をしてるんじゃないかと心配したよ。しばらく会わないうちに随分と筋肉質になったね! ひょっとして、魔力がないから代わりに身体を鍛えていたのかな? 継承戦で僕が勝ってしまって、君が王宮からいなくなったことをずっと気にしてたんだ!」
ニコニコとした笑顔で、ヴァイスがシュバルツの傷口に塩を塗り込んだ。
嫌味を言って煽っているように聞こえるが……ヴァイスには全く悪意はない。ヴァイスの口から発せられる言葉は全て本心である。
(いっそ嫌味だったら良かったんだがな……相変わらず狂っていやがるな。このボケは)
シュバルツは内心で悪態をつきながら、その部屋にいる人間を見渡した。
父王グラオス。宰相。騎士団長。侍従長。その他大勢……。
いずれも理解しがたいヴァイスの言動を受けて、困惑しきった表情をしている。
理想の王子であるはずのヴァイス・ウッドロウが帰ってきた。
これで全てが丸く収まる。おかしくなっていたものが正しい形に戻るはず。
そんなふうに考えていたのだろうが……ヴァイスが口にしている狂気のごとき言葉の数々を受け入れることができず、混乱の極みにあるのだろう。
(本気で気がついていなかったんだな……ヴァイスの本性に。誰一人として)
ヴァイス・ウッドロウは人間ではない。
少なくとも、双子の片割れであるシュバルツはそう考えている。
ヴァイス・ウッドロウは生まれつき膨大な魔力を有しており、それ故に周囲からの期待を一身に背負っていた。
そんなヴァイスの人格形成の始まりとなったのは、物心ついたころから行われていた執拗なまでの倫理教育である。
圧倒的な魔力を生まれつき有しているヴァイスに誰もが大きな期待を寄せていたが、同時にその力を恐れてもいた。
そのため、ヴァイスには過度ともいえるほどの倫理・道徳教育が施されている。
人を意味もなく傷つけてはいけない。臣民に優しくしなくてはいけない。感情のままに力を振るってはいけない。
力ある者として責任を説きながら、同時に敵に対しては容赦なく魔力を行使できるようにしなければいけないのが悩ましいところだった。
過度な倫理教育をされたヴァイスであったが、問題はそれらの教育が何のためのものかをヴァイス本人が理解できていないことだった。
物心ついて間もないタイミングでの倫理教育の詰め込み。表面上、それは上手くいっているかのように見えた。
ヴァイスは心優しい青年に育ったし、自分よりも弱い人間に優しくできる人間になった。理由もなく魔力を使って誰かを虐げることもなかった。
誰しも、ヴァイスが理想的な王子に育ったと思ったことだろう。
双子の兄であるシュバルツを除いては。
(心というのは人間関係の中でしか成熟しない。人と接して、ぶつかって、傷つけられて……そうやって心は育っていく。だが、ヴァイスはそれができなかった。もっとも多感になる時期に他人とぶつかって挫折をする機会を持てなかった)
ヴァイスは教育通り人に優しくしているが、どうして他者に優しくしなければならないのかを理解していない。
幼い頃からヴァイスの周囲にいるのは過剰な期待を押しつけてくる人間しかおらず、対等な立場で接してくれる人間がいなかった。シュバルツがそうであるように悪意を向けられた経験もない。
どれほど品行方正に見えたとしても、ヴァイスは心が育っていないのだ。
強者であるがゆえに弱者の気持ちを理解できず、凄まじい力を持っているがゆえに失敗したことがない。
自分自身が大切なものを持たないがゆえに、他人の大切なものを容赦なく踏みにじることができる。
継承戦でシュバルツを倒したときも、それによってシュバルツがどれだけ傷つくことになるのか理解できていなかったに違いない。
(優しく、穏やかだが他人の気持ちを理解することができないモンスター……それがヴァイス・ウッドロウという人間の本質。圧倒的高みから凡人を見下ろしている傲慢な絶対強者たる男のふるまい)
グラオスも他の人間もヴァイスがそういう存在であることに気がついていなかったらしい。
あり得ない、どうして気がつかないんだと文句を言ってやりたくなるほど鈍すぎる。
(目が曇っていたんだろうな。親父も他の連中も)
彼らはヴァイスに期待していた。理想を抱いていた。
だが……期待も理想も『理解』からは程遠い感情である。
神魔のごとく魔力を生まれ持ち、王になるべくこの世に現れた王子への巨大な期待と理想が皆の目をくらませていたに違いない。
(俺以外には誰も気がついていなかった。いや……違うのか?)
シュバルツは親しげに話しかけてくるヴァイスの背中越し、この部屋の奥にいる一人の女性に視線を向けた。
うっすらと微笑みながら優雅に椅子に腰かけているのは、この国の王妃であるヴァイオレット・ウッドロウである。
ヴァイオレットは愛する息子であるヴァイスと、暗殺しようとしていた息子のシュバルツを前にしながら、何を思っているのか愉快そうに唇を吊り上げていた。
(ヴァイスが化物ならば、この女は妖人か。どいつもこいつも舐めた態度を取りやがって。残らず潰してやりたくなるな)
「なあ……ヴァイス。お前はこれからどうするつもりだ? 何のために王宮に戻ってきた?」
「何のためって……もちろん、自分の役割を果たすためだよ」
「役割……?」
「うん、僕は王になるために戻ってきた。そのために生まれて育てられた人間だからね。これからは立派な王になるために頑張っていくつもりだよ」
「フン……」
王太子の責任がようやく芽生えた……などというもっともらしい理由ではあるまい。
何かがあったのだ。『真実の愛』を貫くことが正しいと信じているヴァイスの考え方を変えるような出来事が。
「そういえば……お前、一緒に駆け落ちした女はどうした?」
「…………」
「姿が見えないようだが……もしかして、フラれたか?」
「違う!」
「…………!?」
ヴァイスが初めて声を荒げた。
超然としていた化物の仮面が崩れて、その奥にある『人間』が姿を覗かせる。
「彼女は僕を捨てたりしていない! 僕と彼女は…………すまない、声を荒げてしまったね」
再び、ヴァイスに笑顔が戻る。
「彼女はこの国に戻ってきていないよ。事情を説明するのは……勘弁してくれないかな。話せば長くなるからね」
「……まあ、いいだろう」
駆け落ちした女の存在。そこにヴァイスを突き崩す何かがあるのかもしれないが、今はあえて追及しない。
それよりも、優先して確認しなければいけないことがあるからだ。
「お前が王太子としての地位に戻ろうとしているのは良いが……だったら、後宮にいる妃はどうするつもりだ? 大勢の女性を娶るのが間違っているからって、わざわざ国を出奔までしたんだろう?」
シュバルツはヴァイスの胸を拳で軽く叩き、近距離から睨みつける。
「まさかとは思うが……一年近くも彼女達をほったらかしにしておいて、シレッと元の鞘に収まろうだなんて考えていないよな?」
「元の鞘……君が何を言いたいのかは知らないけど、王太子としての役割だからね。仕方がないから受け入れるつもりだよ」
ヴァイスが不思議そうな顔をして答える。
「僕の真実の愛は『彼女』だけのものさ。他の女性を愛することはないだろう……だけど、政略結婚の必要性は理解できたからね。仕方がないから妃らのことは受け入れるし、抱いて子供だって作るつもりだよ」
「…………」
シュバルツはブワリと自分の中に激情が膨れ上がるのを感じた。
(俺の女を随分と軽く扱ってくれるじゃねえか……どうやら、死にたいようだな)
殺す。
断じて、殺す。
これまでにも双子の弟に対して恨みや苛立ちは感じていたものの、それが殺意にまで昇華したのは初めてのことである。
(いっそのこと、ここで斬るか……この間合いならば簡単だ)
シュバルツの右手が腰の剣に伸びかけた。
抑えきれなくなった殺意を目の前の相手にぶつけようとするが、それよりも先に再び部屋の扉が開かれる。
「シュバルツ殿下、それは計画と違いますわよ!」
「ム……」
「ヴァイス殿下には然るべき場所、然るべき機会にわからせるのでしょう? それはここではありませんわ!」
音を立てて扉を開け放ち、中に入ってきたのは金色のドレスを纏った女性である。
アンバー・イヴリーズ……男子禁制の鳥かごである後宮にいるはずの彼女が、籠から外に出てこの場に現れた。
「なっ……アンバー妃、どうしてここに!?」
憔悴して黙り込んでいた父王グラオスが立ち上がり、愕然として叫ぶ。
グラオスはシュバルツとヴァイスを交互に見やり、シュバルツの成りすましがバレてしまったのかと焦りをあらわにした。
(だんだん、親父が哀れになってきたな……何というか、初めて申し訳ない気持ちになってきたよ)
アンバーの登場、父親の焦った顔を見て……とりあえず、シュバルツの殺意が霧散する。
状況が理解できずに困惑しているグラオス。
他の面々も同様であったが……本当に彼らが肝を抜かれるのはここからである。
「そうや! ウチらの出番を取らんといてな!」
「その通り。わざわざ後宮から出てきた甲斐がない」
「んっ! んっ!」
さらに……クレスタ・ローゼンハイド、シンラ・レン、ヤシュ・ドラグーンが現れる。
四人の上級妃が一堂に会して、王と一部の側近だけが入ることを許されたその部屋に足を踏み入れてきた。
「馬鹿な、どうして上級妃が……」
「悪いな、親父……つまりこういうことだ」
シュバルツが笑って、彼女達の傍へと歩み寄る。
「コイツらはもう俺の女だ。四人ともすべてを知っているし、ヴァイスのものにはならない……そして、玉座もだ」
パチクリと瞬きをしているヴァイスに。
唖然とした様子のグラオスとその側近達に。
興味深そうに目を細めている毒婦……ヴァイオレットに。
その場にいる一堂に向けて、シュバルツは初めて己の野望を突きつける。
「『失格王子』と呼ばれたこの俺だが……四人の上級妃はすでに征服している。俺がこの国の王になってやるから覚悟しやがれ!」
居並ぶ国の首脳らに向かって、シュバルツは悪童のような得意げな笑みを浮かべて宣言したのであった。
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