第7話 夜啼鳥の女


 シュバルツに王宮に帰ってくるように約束を取りつけ、ユリウスは店から去っていく。

 シュバルツが約束を破って逃げると考えていないあたり、子供らしい迂闊さが感じられるが……ともあれ、部屋にはシュバルツとクロハの2人が残されることになった。


「それで……どうするつもりかしら。あんな約束をして良かったの?」


 この店でもっとも位が高い高級娼婦――クロハがシュバルツの身体にしなだれかかり、そう訊ねてきた。

 乱れた着物の胸元から深い谷間が覗いており、シュバルツの顔を覗き込む瞳からは妖しい色気を放たれている。


「仕方がないだろうが。まさか、あのガキが脱ぎだすとは思わなかったんだよ」


「女の意地を舐めるからそうなるのよ。子供だろうと、女は生まれた時から女なんだから。男とは背負った覚悟が違うのよ」


「金言だな……胸に刻み込んでおこう」


 シュバルツは苦々しい顔で首を振る。

 実際、ユリウスが子供と思って軽視していた部分はあった。まさか「抱かせろ」などという無茶な要求を鵜呑みにするとは思わなかった。


「いっそのこと逃げてしまうのはどうかしら? 真正直に約束を守ることはないと思うけれど」


「そうはいくかよ。女の覚悟とやらを見せつけられて、男がケツまくって逃げられるか。これは男の意地だ。こうなったら、王宮でもどこでも行ってやろうじゃねえか」


「あら……5年ぶりの里帰りね。やっぱり家族の顔が恋しくなったの?」


「冗談を言えよ。あんな連中のことなんて知るか」


 シュバルツは表情を歪めて吐き捨てた。

 無関心な両親も、同じ顔に生まれながら真逆の人生を歩んでいる弟も、出来ることなら一生顔を合わせたくはない。


「だけど……逃げてもいずれは追いつかれるからな。俺が公然と指名手配されるようなことがあれば、組織にだって迷惑がかかっちまう」


「あら……ウチの組織に気を遣ってくれるのね。嬉しいわ」


 クロハが破顔して笑い、大きな乳房をシュバルツの胸に押しつけてきた。


 一見すると客と娼婦という間柄に見える2人であったが、実はそれとは別の関係性があった。

 クロハはこの国の裏社会において力を持っている義賊――『夜啼鳥』の女ボスだった。

 娼館の娼婦というのは世間を偽るための仮の姿。実際はその陰で暗殺や諜報といった闇の稼業に関わっていた。


 そして、シュバルツは『夜啼鳥』に所属する構成員にして、ボスの愛人という秘密の関係があったのだ。


 5年前、シュバルツは王宮を出奔して外の世界に飛び立った。

 シュバルツは持ち前の剣の腕を振るい、傭兵や魔物退治と言ったことを仕事にして生計を立てていたのだが……そんな折に偶然にもクロハの目に留まり、組織の構成員としてスカウトされたのである。

 シュバルツは遊び人のフリをして娼館に通いながら、裏の稼業に加担していた。


「仮にも王族であった人間が暗殺者まがいのことをしているとか、大したスキャンダルだよな。親父が知ったらどんな顔をするやら」


「……貴方が帰ってしまうのは寂しいわ。毎晩、枕を涙で濡らしてしまうかも」


 言いながら、クロハがシュバルツの胸にしなだれかかってくる。熱い吐息が胸板をくすぐってきて、シュバルツの背筋がザワリと粟立つ。

 王宮を出奔して5年。色街に住み着いて3年。数えきれない女性と肌を合わせてきたシュバルツであったが、いまだにクロハに触れられると思春期の男子のように色めき立ってしまう。


 それというのも、クロハは絶世の美女であると同時に『色魔族』という亜人種族で、生まれながらに異性を誘惑することに長けているからである。


 耐性のない男であれば、たとえ子供や老人、修行を積んだ僧侶であったとしてもクロハの色香には敵わない。肌から香るフェロモンのような匂いを嗅いだだけで理性を地平線まで吹き飛ばしてしまうのだ。

 ユリウスが女性であることに確信を持てたのも、あの男装の騎士がクロハの色香に惑わされなかったことが理由としてある。

 もしもユリウスが男だったら、クロハと目が合っただけで心を奪われて虜になっていたことだろう。


(……耐性がついた俺でもこの有様だ。ガキがコイツの色気に勝てるものかよ)


「ただ……『夜啼鳥』の長としては、貴方が王宮に戻ってくれるとありがたいわね。国の中枢に構成員を送り込むことができるチャンスだから」


「野心的だな。親父の目的もわからないってのに……ひょっとしたら、帰った途端に殺されるかもしれないんだぜ?」


「あら? 殺すつもりだったら、5年前の継承戦の後にそうしていたと思うけれど? 貴方にとっては不愉快だと思うけど……この国の王は貴方の命になんて興味がないと思うわ」


「フンッ……だったら、あの男はどうして俺を呼び戻そうとしているんだろうな。ロクな理由じゃないのは間違いないが」


「そうねえ……多分だけど、貴方の弟――ヴァイス・ウッドロウに何かあったんじゃないかしら?」


 シュバルツが疑問を投げかけると、クロハは首を傾げながらそんな答えを返してくる。


「王宮にとって貴方の存在に価値があるとすれば、ヴァイス・ウッドロウのスペアとして使えることくらいでしょう? 王太子である彼に何かあって、急遽代理が必要な事態になったんじゃないかしら?」


「まさか……アイツ、死んだのか?」


 王位継承権を持つヴァイスにもしものことがあったのであれば、すでに失格者として見限られているシュバルツに王の目が向けられてもおかしくはない。

 だが、クロハは「うーん……」と左右のこめかみを指で擦りながら眉間にシワを寄せる。


「王太子が病気や大怪我をしたら組織に情報が入ってこないわけがないのだけど……。ここ数年は戦争なども起こっていないし、王国最強の魔力を持っている彼が暗殺されるとも思えないわね」


「だよな……俺もアイツが死ぬところなんて想像できない。非常に不本意だが、ヴァイス・ウッドロウという男は最強だ。負けた俺が保証する」


 シュバルツは忌々しそうにつぶやき、大きく舌打ちをする。

 シュバルツにとって、ヴァイスは好き嫌いという言葉では片付けられない複雑な感情を抱く相手だった。


 莫大な魔力を持った妬みの対象。目の上にできた大きなタンコブ。王宮を出奔する原因になった憎むべき敵。

 それと同時に自分と全く同じ容姿を持つ写し鏡であり、誰よりも近しい肉親。5年前に袂を分かったきり顔を合わせていないが、子供の頃はそれなりに仲の良い兄弟だった記憶もある。


 消えてもらいたいと思う打算と、できれば幸福でいてもらいたいと願う感情が、複雑に絡まり合って同居していた。


「関係があるかどうかはわからないけれど……近いうちに、王宮の内部にヴァイス殿下のための『後宮』が設置されるそうよ?」


「後宮って……あの後宮か?」


「貴方の想像通りの後宮よ。若き王太子の子を孕むため、国の内外から100人以上もの美姫が集められるそうよ」


 ウッドロウ王国は法律で一夫一妻が定められているが、王族や高位貴族のみ複数の女性を妻として娶ることが許されていた。

 魔力というのは子から親へと遺伝する。大きな魔力を持つ人間は国にとって重要な戦力であり、国力そのものだ。

 国家の軍事力を一定以上に保つため、国王が後宮をもって多くの妃を囲うのも必要なことなのである。


「ヴァイス殿下は貴方と同じく20歳。むしろ結婚としては遅いくらいよね。ただでさえ、魔力が大きいと子供が生まれづらいのに……」


「……アイツは潔癖だからな。俺が王宮にいた頃から「自分は好きになった女性と結婚する!」とか言って政略結婚を拒んでいたよ」


「それでも後宮が設置されるということは、ヴァイス殿下もようやく諦めたということね。年貢の納め時。人生の墓場への一直線……というところかしら?」


「ム……」


 シュバルツは額に指先を当てて考え込む。

『後宮設置』という情報を聞いて、妙に違和感があった。

 シュバルツの記憶によると――ヴァイスは打算や政略による結婚を酷く嫌っており、やたらと『純愛』や『真実の愛』への憧れを語っていた。

 そんなヴァイスが後宮を設置し、100人以上もの女性と結婚することを認めるだろうか?


(5年も会ってないし、アイツも現実を見るようになったのか? それとも……親父がヴァイスの意思を無視して強行したとか?)


 父王はヴァイスを溺愛しており、ロマンチストな息子が夢や愛を語ってワガママを押し通すことも見逃していた。

 だが……そんな父王ももうじき60歳になる。長年、子宝に恵まれなかった王であるからこそ、ヴァイスが同じようになることに危惧を抱いているはず。

 早急にヴァイスに妻を娶らせたいと考えていることだろう。


(魔力無しの俺には縁談なんて1つも来なかったが……ヴァイスは違う。アイツは物心ついた頃から貴族どもから娘を妻にと勧められていた。親父もそろそろ孫の顔が見たくなる年だ。痺れを切らして、外堀を固めようとした可能性は十分に考えられるな)


「……もしも俺を連れ戻そうとしているのが後宮がらみの話なら、相当にくだらない用件かもしれないな。嫌な予感がしてきたぜ」


「やっぱり逃げたらどうかしら? 別のアジトで匿ってあげるわよ?」


「…………」


 クロハからの魅力的な誘いに……シュバルツは無言で首を横に振る。


 ユリウスとの約束を違えるのが嫌だったということもあるが、それ以上にクロハに迷惑をかけたくない。

 ここでシュバルツが行方をくらまし、国王が本気で捜索をすれば……闇の組織である『夜啼鳥』のことも明るみに出てしまうかもしれない。

 自分を拾ってくれた組織に迷惑をかけるつもりはなかった。逃げるという選択肢はない。


「……明日は5年ぶりの帰郷だ。老いさらばえた親父の顔でも拝んでくるよ」


「そう……だったら、今晩はいつもよりも可愛がって頂戴ね? これが今生の別れかもしれないから」


 クロハが着物をはだけさせ、豊満なバストを見せつけてくる。

 シュバルツは逆らえない引力のままに手を伸ばして柔肉に触れ、甘く熟した女の身体を押し倒した。

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