第13話 四人の上級妃(上)
それから1週間ほどの準備期間を経て、シュバルツは後宮へ向かうことになった。
女官長から後宮でのマナーや礼儀作法を厳しく教えられ、宰相からはヴァイスに成りすますための演技指導を受け、さらに父王が雇った家庭教師からは上級妃の出身国である4つの国の文化や習俗を徹底的に叩き込まれた。
あまりにも短すぎる準備期間。かなりの付け焼刃ではあったものの……4人の上級妃は1ヵ月も前に後宮に入っているのだ。
他国から招いた妃をいつまでも待たせるわけにはいかないということで、早くも彼女達と面会することになった。
「ここが後宮。色街とは違う意味での女の園か。流石に緊張するな……娼婦以外の女と話すのは久しぶりかもしれん」
「僕も一応は女ですし、娼婦じゃないんですけど……」
来るべきその日。
後宮の表門に立ったシュバルツに、ユリウスが不満そうに唇を尖らせる。
本日、シュバルツは初めて後宮に足を踏み入れることになる。
4人の上級妃との間で顔合わせの茶会が開かれることになっているのだ。
シュバルツのお供として付いてきたのは男装の少女騎士──ユリウスである。
100人を超える妃を擁する後宮は男子禁制。後宮の主であるヴァイス・ウッドロウを除いて、男性は一切入ることが許されない。
今日のユリウスは男ではなく女の騎士としてここに来ている。女でなければ、護衛として付いてくることができないからだ。
ユリウスは1年前に騎士団に入ったばかりの新米だった。
そんな彼女がヴァイスの失踪を知らされて使者としてシュバルツのもとに送り込まれたのも、ユリウスが騎士団長の娘であるため裏切られる心配がなく、かつ女性という立場だからである。
ユリウスは緊張に引きつった顔をしており、心なしか唇も小刻みに震えていた。
「……今日は上級妃とのお茶会。大丈夫です。いざとなれば、後宮の管理者である女官長がサポートしてくれる手はずになっています。だから大丈夫。本当に大丈夫です。安心してください」
「お前が大丈夫じゃないだろうが。タダの護衛であるお前が緊張してどうするんだ…………ほれ!」
「ひゃあっ!?」
シュバルツがユリウスの尻を掌で叩いた。
不意打ちで喰らった刺激に、小柄な騎士が悲鳴を上げて跳ねる。
「なっ、ななななななななっ! 何してるんですか乙女のお尻にっ!」
「お前が緊張しているから和ませてやっただけだ。そんなに固い顔をしてたら後ろ暗いことがあるって言ってるようなものだろ……せっかく苦労して演技指導を受けたんだ。お前のミスで台無しにされるのは勘弁しろよ」
「……わかってます。僕のせいで国を滅ぼすわけにはいきません!」
ユリウスはなおも固い顔をしていたが、それでも多少は肩の力が抜けたらしい。決意を込めて背筋を伸ばす。
「その意気だ。それじゃあ……男と女の戦いのはじまりだ」
「僕も女ですけどねっ!」
シュバルツはユリウスを連れて後宮の門をくぐった。
後宮の敷地に入ると、フワリと柔らかな花の匂いが香って来てシュバルツの花をくすぐってくる。
色街でも女性がつける化粧品や香水の匂いがあちこちに漂っていたが、後宮の香りはどこか上品で心地良くなる匂いだった。
後宮の敷地には妃らが寝泊まりする家屋が大量に建てられており、そこには色とりどりの飾りがあしらわれ、庭園には多くの花が咲き乱れている。
「外観は綺麗だな。まるで夢の国のようだ……」
だが……それが表向きだけであることをシュバルツは知っていた。
後宮では大勢の妃が王族の寵を奪い合い、その背後には国家の薄ら暗い陰謀が渦巻いている。
時には妃が暗殺されるという事件も起こるのだ。ここはある種の戦場と言っても過言ではなかった。
(そして……俺にとってもここは戦場。向かう先は墓場か。それとも栄光の玉座か)
これから、シュバルツはここにいる妃らを騙しぬかなくてはいけない。
そして……そのうえで彼女達の心を手に入れて、己が飛躍するための糧にしなくてはならないのだ。
「鬼が出るか蛇が出るか……女は生まれたときから花であり獣だ。油断大敵だな」
「お待ちしておりました。
後宮に入ると、そこでは女官長を中心に10人以上もの女官が並んで待ち構えていた。
昨日まで後宮のマナーを鬼のような形相で教え込んでいた女官長が、取り繕ったような微笑みを浮かべて頭を下げる。
「王太子であるヴァイス殿下を後宮に迎え入れることができ、歓喜の極みでございます。すでに庭園で茶会の準備はできております。どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ」
「はい、出迎えありがとう。イモータス夫人」
シュバルツは穏やかな笑みを浮かべて女官長──アメンダ・イモータスに応える。
優しく温厚、紳士的な微笑みは『ヴァイス・ウッドロウ』そのものであり、事情を知らない者であれば正体を見抜くことは不可能だろう。
その自然な演技にユリウスも感心したように頷き、後ろから小声でささやきかける。
(……見事な成りすましですね。まさか演技の才能をお持ちとは思わなかったです)
(天は二物を与えずとは言うがな。俺は魔力以外は何だって与えられてるんだよ)
粗暴な態度からは想像もつかないが……シュバルツは剣術だけでなく勉学についても優秀な成績を修めていた。
継承戦に敗北して王宮を出奔する以前は、王族として政治や経済、帝王学などを学んでいたが……実のところ、座学の成績はヴァイスよりも上だった。
『魔力』という最も重要な資質が欠けていたが……それ以外はほぼ完璧。理想の王子と言っても過言ではなかったのである。
「それでは……こちらへお越しください。テーブルまでご案内いたします」
女官長の案内で、『ヴァイス・ウッドロウ』の仮面をかぶったシュバルツは後宮を進んでいく。
たどり着いたのは桜の花に囲まれた広い庭園。その真ん中に設置された大きな円形のテーブルである。
テーブルの周囲では多くの女官が茶会の準備をしていたが、妃らしき人物の姿は見えなかった。
「じきに上級妃の方々が来られます。どうぞこちらでお待ちください」
「ああ、ありがとう」
シュバルツは勧められるがままにイスに腰かけた。
女官長が庭園の奥へと消えていき、ユリウスがシュバルツの背後にビシリと背筋を正して立つ。
シュバルツは優雅に脚を組み、庭園に目を向けて花々を楽しむふりをする。
「…………」
やがて女官の1人が紅茶が入ったティーカップを差し出してきた。
もちろん、シュバルツは手を付けない。賓客が現れるまではお茶にも菓子にも触れないのが茶会のマナーだからである。
待たされていたのは5分ほどの時間だった。再び女官長が姿を現し、深々と腰を折って頭を下げる。
「上級妃の方々が参られました。ご案内させていただきます」
「ああ、よろしく頼むよ」
シュバルツが許可を出すと、お供を連れた4人の女性が現れた。
ウッドロウ王国の東西南北を囲む国々から送り込まれた4人の妃。四者四様の服装で庭園に入ってくる女性にシュバルツは目を見張った。
現れた4人の女性は
上級妃らはそれぞれ1人ずつお供の女官を連れている。服装や容姿からして、この国の人間ではなく祖国から連れてきた者達だろう。
(なるほど……これは厄介極まりないな)
シュバルツは内心で嘆息する。
激しい危機感を胸に、ゴクリと音を鳴らして唾を飲む。
(権力を持った美女っていうのは一筋縄ではいかなって相場が決まっている。俺も気を引き締めないとな)
シュバルツは大きく深呼吸をして心を落ち着けて、改めて『ヴァイス』の仮面をかぶり直すのであった。
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