第14話 四人の上級妃(中)


 庭園に設置された円形のテーブルには5人の人間が座っている。


 1番奥の席に座っているのはヴァイスに成りすましたシュバルツ・ウッドロウ。仮初ではあったが……後宮の主であり、ここに集められた4人の妃の夫となった人物である。

 シュバルツから見て右側に2人の妃、左側にも2人の妃がそれぞれ座っていた。妃の後ろには彼女達が母国から連れてきたお付きの侍女が控えている。

 茶会の準備をしてくれた女官は少し離れた場所に並んで立っており、背筋を伸ばして楚々とした姿で控えていた。


 いよいよ、茶会の出席者である4人の上級妃がテーブルについた。

 生まれも育ちも違う、4人の高貴な姫君の視線がシュバルツへと集中する。


「はじめまして、我が友好国よりいらっしゃいました4人の美姫。私はウッドロウ王国が王太子──ヴァイス・ウッドロウと申します。皆様を妃として迎えることができて、心より光栄でございます」


『ヴァイス・ウッドロウ』の仮面をかぶったシュバルツは、イスから立ち上がって丁寧に頭を下げた。

 胸に手をあてて腰を折る仕草は洗練された紳士そのもの。今のシュバルツを見て、彼が少し前まで娼館で暮らしていた荒くれ者の遊び人であるとは誰も思わないだろう。

 緊張はしていたが態度にはまったく出ていない。裏社会の人間として培った度胸により、額に汗すらかいていなかった。


「これはこれは、ヴァイス殿下……丁寧なお迎え、心から嬉しく思いますわ」


 真っ先に立ち上がり、スカートの端をつまんで綺麗なカーテシーで応えたのは、シュバルツから見て右側手前のイスに座っている妃である。


 白いドレスに身を包み、プラチナの美しい髪を背中に流した彼女の名前はアンバー・イヴリーズ。

 後宮において『琥珀妃』の名前を授かっている上級妃であり、『神聖イヴリーズ帝国』を支配している教皇の娘である。


 ウッドロウ王国の西側にある神聖イヴリーズ帝国は『天使教』の教えを信望する宗教国家であり、国家元首である王は『教皇』を名乗って信者の頂点に君臨していた。

 天使教の信者はウッドロウ王国にも大勢いるため、国家としてはもちろん、宗教としても非常に強い影響力を有している。


「ええ……夫である殿下とお会いできる日を、首を長くしてお待ちしておりました。かれこれ1ヵ月になるでしょうか? ようやくお会いできましたね」


 アンバーは美しく整った美貌にたおやかな笑顔を浮かべていたが……その口ぶりにはどこか辛辣である。

 対面を喜んでいるような口調でありながら、その裏で1ヵ月以上も後宮を放置していたことを非難していた。


「申し訳ありません……アンバー妃。流行り病で体調を崩しておりまして。本当は皆さんにもっと早く会いたかったのですが……」


 アンバーの嫌味に、シュバルツは困ったような曖昧な笑みで応える。

 ヴァイスがいなくなったせいで、後宮が設置されてから1ヵ月以上もここにいる妃らは放置されていた。

 表向き、その理由は王太子であるヴァイスが流行り病にかかってしまったことを理由に挙げていた。単なる病であれば『見舞い』の名目でヴァイスに面会を求める妃もいるだろうが、人に感染る病気であれば断ることができるからだ。


「ああ、そうでしたわ……病気だったと説明されましたね。快癒されたようで何よりでございます」


「ご心配をおかけいたしました。皆さんをお待たせしてしまい、本当に申し訳なく思っております」


「いいえ、病であれば仕方がありませんわ。他の女性と逢引きでもしているのであればまだしも、病気はどうにもなりませんもの」


「ははは……ご冗談を」


 シュバルツは顔が引きつらないように注意して笑顔を浮かべた。

 琥珀妃アンバーの嫌味は的を射ている。ヴァイスは女と駆け落ちしているし、ついでに言うとシュバルツは娼館住まいで女を抱きまくっている。

 鎌をかけただけだと信じたいが……2つの意味でアンバーはこちらの急所を見事につついていた。


(まさか勘づいてはいないよな? 大陸最大の宗教国家。その教皇の娘、侮りがたいな……)


 シュバルツは笑みを顔面に貼りつけながら、アンバーに対する警戒レベルを上げた。


「イヴリーズ様、それぐらいに許したってや。旦那さんが困ってるやないの」


 どのように返したものかと言葉を迷っていると……1人の女性が助け舟を出してきた。

 独特のイントネーションの喋り方で会話に入ってきたのは、シュバルツから見て左側手前に座っていた女性である。


 胸元や背中に大胆なカットが入った赤のドレス。青みがかった濃ゆい髪を頭の上で編み込んで纏めている彼女の名前はクレスタ・ローゼンハイド。

『水晶妃』の名を与えられており、『北海イルダナ連合国』から送り込まれてきた上級妃である。


 イルダナ連合国は大陸の北端にあるウッドロウ王国から船で北に進んだ場所にある島国であり、国としては珍しく王がいない国として知られていた。

 この国は7つの商会の代表者によって構成された議会に治められており、海運を利用した貿易を主な収入源にしている。

 ローゼンハイド家はイルダナ連合国を治める『神商七家』の1つであり、クレスタはその商会長でもあるのだ。


「旦那さんも病気やったら仕方がないやないの。あんまりイジメたら可哀そうやで」


「……別にイジメているつもりはありませんわ。ただの世間話ではありませんか」


 北方なまりで諭してくるクレスタに、アンバーは唇を尖らせて顔をそむけた。

 シュバルツから視線を逸らし、拗ねたように紅茶に口をつけているアンバーに、クレスタは苦笑して首を傾ける。


「ごめんな、この娘も悪気はないはずや。ただ……故郷から離れて他国に嫁いできて、1ヵ月も放っておかれたもんやから不安なだけだと思うわ」


「はい、勿論わかっております。皆様との顔合わせを先延ばしにしてしまったのはこちらの事情。全ては僕の不徳の致すところです。本当にご迷惑をおかけしました」


 殊勝な顔でシュバルツが謝罪をすると、アンバーも「……別に怒ってません」とポツリとつぶやいて顔を伏せた。

 クレスタは人好きのする明るい表情でうんうんと頷いて、こちらに笑顔を向けてくる。


「うんうん、謝ってくれるならええよ。ウチは1ヵ月間のびのびとやらせてもらえたから、かえって楽しかったわ。他の妃とも商いの話もできたし……これからこの国でもいい商売ができそうや」


「そういえば……クレスタ妃はローゼンハイド商会の会長をされているのですよね? 商会長である貴女が他国に嫁いでもよろしかったのですか?」


「ちょうど年齢の合う未婚の娘が『神商七家』におらんかったからなあ。商会運営は部下に任せてるから問題はないし、ウッドロウ王国の王太子妃って肩書は商いの役にも立つからかまわへんよ……このまま正妃にしてくれると、もっとええんやけど?」


「ははは……それは私の一存では決めかねますね。神の思し召しに委ねるしかありませんよ」


 ニヤニヤと笑いながら探るような眼差しを向けてくるクレスタに、シュバルツは困ったように肩をすくめた。

 集められた上級妃の中から最初に子を孕んだ女性が『正妃』が選ばれることになり、それ以外の妃は側妃として置かれるか、離縁して国許に戻されることになる。

 それは4人の上級妃の実家にも事前に通達されていることであり、誰が正妃になったとしても国際問題に発展する可能性は低い。


(とはいえ……俺が孕ませたりしたら流石に問題になるだろうな。俺は偽物でおまけに魔力無しの『失格王子』と呼ばれているんだから)


 4人の上級妃はあくまでも『ヴァイス・ウッドロウ』の妃であり、シュバルツの妻ではないのだ。

 ヴァイスの駆け落ちを隠すためにシュバルツが後宮に送り込まれたが、彼女達に手を出すことまでは当然ながら許可されていない。


『いいですか、シュバルツ殿下。貴方はあくまでもヴァイス殿下の不在を隠し、上級妃らが後宮での生活に不満を持たないように接待するだけです。彼女達の身体に触れるようなことがあれば、国王陛下に報告させていただきますよ』


 ……というのは、ここに来る前に女官長から強く言われたことである。

 女官長が、その配下である女官らが目を光らせている以上、上級妃らを手籠めにするのは至難だろう。


(それでも……ここにいる4人を口説き落として俺の女にしてやらないと、俺が王になる目はないな。ヴァイスではないことがバレたら終わり。上級妃に手を出そうとしていることがバレても終わり……なかなかスリリングな仕事じゃないか)


 シュバルツは生涯最大の困難を前にして、恐怖とスリル、一抹の興奮に背筋を震わせた。


「そろそろ、私も自己紹介をさせてもらっても構わないだろうか?」


 そうこうしていると……別の妃が右手を上げてくる。

 凛とした眼差しでこちらを見つめているのは、右側奥のイスに座っていた美貌の女性であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る