第15話 四人の上級妃(下)


「ああ、話し込んでしまってすまんかったなあ。シンラ様」


 割って入ってきた女性にクレスタが申し訳なさそうに首を傾げる。


「積もる話もあるだろうから構わないよ。そろそろ黙ったままでいるのも気まずくなってきてしまってね? こちらこそ堪え性がなくて申し訳ない」


「ええよ、ええよ。ウチはお菓子でも食べてるから、旦那さんとたくさん話しや」


 クレスタと赤髪の女性が和やかな口調で言葉を交わしている。


 凛然とした顔立ちで、燃えるような紅い髪を頭の上で編み込んでいる女性。

 東方の民族衣装である『アオザイ』と呼ばれる艶やかなドレスを身に纏っているのはシンラ・レン。

『紅玉妃』の名を受けており、東方にある軍事国家──錬王朝から送られてきた上級妃である。


 錬王朝は独特の文化を有する国であり、シンラはその皇帝の娘である。民族衣装であるドレスには特殊な技法で華のイラストが刺繍されており、裾には深いスリットが入って長い脚が大胆に露出していた。

 整ったスタイルは明らかに女性らしいものだったが……凛とした佇まい、迂闊に触れれば切れてしまいそうな鋭い気配は、熟達した剣士のようである。


(この女……かなり強いな)


「はじめまして、シンラ妃。お会いすることができて光栄です」


 シュバルツは和やかな『ヴァイス』の面を被りながら、内心でシンラのことを高く評価した。

 剣士として数々の修羅場をくぐり抜けてきたシュバルツだからわかることだが……シンラは明らかにただの女ではない。何らかの武術を極めた達人だ。

 その油断ならない気配。隙のない立ち居振る舞いからヒシヒシと武芸者特有のオーラが感じられた。


「こちらこそ、会うことができて光栄だ……ヴァイス殿下は魔法の達人であると聞いていたが、どうやら武術も嗜んでいるようだな。相当な使い手とお見受けした」


 相手の実力を見抜いたのはシンラも同様だった。シュバルツが剣の達人であることを悟り、興味深そうに見つめてくる。


「許されるならば、どこかで手合わせでもしたいものだ。楽しい戦いができそうだな……!」


 穏やかな笑顔で語るシンラであったが……その背後からは濃密な魔力が湧き上がっている。殺気にも近い鋭さを放ってくる魔力。明らかに冗談ではなく、本気でシュバルツと斬り合いをしたがっているらしい。


(……冗談じゃないぞ。マジか、この女は)


 錬王朝は武力によって版図を広げてきた軍事国家。男も女も好き好んで武術を習うとは聞いていたが……まさかこれほどの使い手が送り込まれてくるとは思わなかった。

 シュバルツは剣の達人ではあったが……魔法はからきし。魔力が一般人の半分程度しかないのだから当然である。

 双子の弟であるヴァイスは魔法は天才的だったが、剣術などの武術は素人に毛が生えた程度のレベルだった。


 対して……目の前にいる女性は武芸者でありながら、魔法使いとしての素養にも恵まれている。

 神から二物を与えられた天才。魔法の打ち合いだけならばヴァイスが勝つだろうが、剣と魔法を織り交ぜた戦いならばシンラに軍配が上がるかもしれない。


(わからないな……どうして、これほどの力量を持つ女が妃として他国に送り込まれたんだ?)


 シンラは武と魔の両方に長けた怪物。これほどの戦力を手放して他国に送り込むなど、よほどの阿呆でもなければしないはず。

 錬王朝は何を考えているのだろう。何か秘めたる思惑でもあるのだろうか。


「……ええ、機会があればお相手させていただきますよ。機会があれば、ですけど」


「必ず戦うチャンスがあると信じているよ。私の勘は当たるんだ。いずれ、私と貴方は剣を交えることになるだろう。その日を心待ちにしているよ」


「…………」


 確信をもって言ってくるシンラに、シュバルツは顔が引きつらないようにするのが精一杯だった。

 アンバーもクレスタも一筋縄ではいかない雰囲気を持っているが……シンラはこれまた怪物である。本当に戦うことになってしまったらどうしようと、シュバルツは頭を悩ませることになった。


「さ、さて……それでは『翡翠妃』にも挨拶させていただきましょう」


 シュバルツはとりあえず問題を先送りにして、この場にいる最後の一人へと目を向けた。


 左側奥のイスに座っていたのは小柄な女性である。

 それは……外見だけならば、4人の上級妃の中で特に目を惹く姿をしていた。

 緑色の長い髪。踊り子のような露出の大きいドレスを身に纏っており、色黒の肌がかなり際どい部分まで剥き出しになっている。それでいて、顔には何故か薄手の布をかけていて目元より下が見ることができない。

 露出したいのかそうでないのか全くわからない……そんな恰好をした女性の名前はヤシュ・ドラグーン。南方にある亜人連合国から送られてきた女性であり、『翡翠妃』の名を与えられた上級妃である。


 シュバルツは奇妙な服装のヤシュに困惑しつつ……笑顔で小柄な女性に話しかけた。


「えーと……はじめまして、ヤシュ妃。お会いできて光栄です。これからどうぞよろしくお願いします」


「…………」


 言葉を向けられたヤシュは無言。金色に輝く瞳だけがシュバルツへと向けられる。

 蛇のように縦長に開いた瞳孔がシュバルツを捉える。『ドラグーン族』という亜人独特の蛇眼に魅入られて、シュバルツの背筋にゾワリと鳥肌が立った。


「……ヤシュ様がおっしゃります。『こちらこそお会いすることができて光栄でございます』と」


「は……?」


 言葉を発したのはヤシュではない。その後ろに立っている侍女だった。

 こちらも色黒の女性だったが、ヤシュのように露出過多な衣装ではなくごく一般的な女性の使用人服を着ている。頭の上には羊のような巻き角がピンと立っていた。


「えっと……君はいったい……」


「ヤシュ様は人と話すのが得意ではありません。故に、私が通訳を務めさせていただきます」


「通訳って……」


 シュバルツは激しく困惑した。

 南方の亜人連合国はその名の通り、人口の大部分が人間と似て非なる『亜人』によって構成されている。

 とはいえ、人間も亜人も話す言語は同じである。通訳など必要ないはずだった。


「……ヤシュ様がおっしゃります。『我が国において、ドラグーン族の女は、家族と契りを交わした男性以外とは口を利くことができないのが掟。どうか無礼をお許しください』と」


「…………」


 ヤシュがペコリと頭を下げてきた。

 どうやら……後ろの侍女が勝手にしゃべっているわけではなく、ある程度の意思表示ができているらしい。

 いったい、どうやってこの2人はコミュニケーションをとっているのだろう。会話などはしていないはずなのに。


「……ヤシュ様がおっしゃります。『ヴァイス殿下のように素敵な殿方の妻となれて、心より幸福でございます。これからどうぞ可愛がってくださいませ』と」


「…………」


「そ……そうか。貴女がこの国で心穏やかに過ごせるように誠心誠意、努力させてもらうよ。どこの国にも法や掟はあるからな。通訳のことはどうか気にしないでもらいたい」


 言いながらも……シュバルツは激しい不安と共に頭痛を感じた。


『琥珀妃』──アンバー・イヴリーズ

『水晶妃』──クレスタ・ローゼンハイド

『紅玉妃』──シンラ・レン

『翡翠妃』──ヤシュ・ドラグーン


 東西南北、四方の国々から嫁いできた妃らと顔合わせをしたが……いずれも曲者と思えるような者ばかり。1人として、容易く堕とせるような女性はいなかった。


(彼女達を口説き落として、王になることを目指すのか……やれやれ、ドキドキが止まらないぜ。心臓が張り裂けて死んでしまいそうなくらいだ)


 シュバルツは内心で嘆息しつつ……4人との顔合わせ、最初の茶会を終えた。

 簡単な自己紹介を終えてから世間話に興じたが……このメンバーで話が弾むわけもなく、茶会はどこか空々しいものに終わった。

 これから彼女達を騙しきり、さらに自分が王になるために手籠めにしなくてはいけないと思うと……頭痛どころか胃や心臓まで痛くなってくる。


 茶会を終えて、4人の上級妃が順番に退席していく。

 お辞儀をして去っていく彼女達を見送りながら……シュバルツは今後の算段を思案する。


(この中で最初に落とすべきなのは……『水晶妃』のクレスタかな? 比較的、好意的なように見えるし、そんなに問題も抱えてなさそうだ。アンバーはこちらに敵意があって、シンラは何故か俺と戦いたがっている。ヤシュに至っては何を考えているのか全くわからなかったからな)


 シュバルツは4人の上級妃の中で、クレスタがもっとも与しやすそうであると評価した。

 だが……その予想はすぐに覆されることになる。


「ひゃっ!?」


「おっと……!」


 庭園から去っていこうとする上級妃。その中で、クレスタが突如としてドレスの裾につまずいて転びそうになった。

 傍にいたシュバルツが慌てて支えに入る。素早く腕を差し出して腰を支えたことで、クレスタは転倒を免れた。


「~~~~~~~」


「っ……!?」


 だが……2人の身体が密着した瞬間、クレスタがシュバルツの耳元で何事かをささやきかけてきた。

 驚愕に目を見開くシュバルツ。クレスタは体勢を直して頭を下げてくる。


「ありがとうなあ、旦那さん。おかげで転ばずにすんだわあ」


「あ、ああ。無事でよかった」


「ほな……また、お会いしようなあ?」


「…………」


 どこか意味深な口調で言い残して、クレスタは茶会から去っていく。

 季節の花々が咲き誇る庭園にはシュバルツと、後宮で働く女官だけが残された。


「あの女……」


 シュバルツはクレスタから囁かれた言葉を反芻して、周りの女官に気づかれないように舌打ちをした。


『今日の深夜、水晶宮で待っとるで。シュバルツ殿下・・・・・・・


 どうやら、4人の上級妃の中でもっとも警戒するべきは『水晶妃』──クレスタ・ローゼンハイドだったようである。


 シュバルツは己の正体を言い当ててみせた女のしたり顔を頭に浮かべ、小さく舌打ちするのだった。


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